イングランド・グレートブリテン
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「同君連合」の記事における「イングランド・グレートブリテン」の解説
イングランドは王朝が断絶した時に国外から王を迎えたことが多かったため、同君連合の形態が多い。イングランド法では、各国における国王の法人格がそれぞれ独立している。 イングランド王とノルマンディー公 ノルマン・コンクエストによりノルマンディー公がイングランド王を兼ねる(1066年 - 1154年)。 イングランド王としてはフランス王と対等だが、ノルマンディー公としてはフランス王の臣下(百年戦争の遠因)。 イングランド王とアンジュー伯 ノルマン朝の断絶によりアンジュー伯がイングランド王を兼ねる(1154年 - 1399年)。 イングランド王としてはフランス王と対等だが、アンジュー伯としてはフランス王の臣下(百年戦争の遠因)。 イングランド王とアイルランド王 イングランド王ヘンリー8世が1542年、それまでのアイルランド卿(Lord of Ireland)の称号に代えてアイルランド王を称した。1801年にグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立するまで、歴代のイングランド王(のちグレートブリテン王)はアイルランド王を称した。 イングランド王とスコットランド王 スコットランド王ジェームズ6世が1603年、イングランド王ジェームズ1世として即位。1707年にグレートブリテン王国に統合されるまで、同一の君主がイングランド王とスコットランド王を兼ねる体制が続いた(ただし非公式には統合以前にもグレートブリテン王の称号が用いられた)。 グレートブリテン王とハノーファー選帝侯 (後にグレートブリテン及びアイルランド連合王国国王とハノーファー王) ハノーファー選帝侯ゲオルク1世が1714年、グレートブリテン王ジョージ1世として即位。1837年、サリカ法によってヴィクトリア女王はハノーファー女王に即位せず。 英連邦王国:グレートブリテン及び北アイルランド連合王国国王(英国)と元英国領の各国(カナダ・オーストラリア・ジャマイカなど)の元首 1931年にウェストミンスター憲章が公布され、当時自治領(ドミニオン)だったアイルランド自由国・カナダ・ニューファンドランド(後にカナダと統合)・オーストラリア連邦・ニュージーランドと南アフリカ連邦が事実上独立。 その後、数々の変遷があり、2021年現在は英国以外の14か国が英国の国王を自国の国王としている(詳細は英連邦王国、エリザベス2世 を参照)。国王に代わって大権を行使する総督は各国の首相の推薦に基づいて任命され、各国政府の独立性は完全に近い。 グレートブリテン王とインド皇帝 インド大反乱の後のムガル帝国滅亡によりヴィクトリア女王が1877年、インド女帝として即位。インド帝国政府はイギリス政府の事実上の下部組織であったため、インド独立運動はまず「完全自治」をスローガンとして掲げた。 1947年にインド帝国は解体され、引き続きイギリス(国王ジョージ6世)との同君連合となるドミニオン・オブ・インドとドミニオン・オブ・パキスタンが分離発足することで両国は事実上の独立を果たす。第一次印パ戦争では同君連合内での戦争状態となった。インドは1950年、パキスタンは1956年に共和制に移行。
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