アンパンマンと正義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 18:45 UTC 版)
ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景には、やなせの従軍経験がある。第二次世界大戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、特に戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感した。しかし、これまでのヒーローは派手な格好をし、強い力・武器・必殺技を持ちながら「正義」を口にし、悪者や暴れる怪獣を徹底的にやっつけることが主であり、飢えや空腹に苦しむ者を救わなかった。また、戦いによって汚染や破壊された自然や建物に対しての後始末や謝罪がみられなかった。戦中・戦後における深刻な食糧事情もあり、当時からやなせは「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもっていた。50代で『アンパンマン』が大ヒットする以前のやなせは売れない作家であり、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたという。こういった事情が「困っている人に食べ物を届ける、立場や国が変わっても決して逆転しない正義のヒーロー」という着想に繋がった。アンパンマンと「正義」というテーマについて、やなせは端的に「『正義の味方』であれば、まず、食べさせること。飢えを助ける。」と述べている。 また、別のインタビューでも、やはり「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」。かつて、たびたび起こった「顔を食べさせることは残酷だ」という批判にも、「あんパンだから大丈夫です」と冗談めかして反論していた。 空腹の者に顔の一部を与えることで力が半減すると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつ、それでありながら、たとえどんな敵が相手でも恐れない。弱点も多く、雨に濡れてもすぐに弱まってしまう。これらの点について「本当の正義というものは、決して格好のいいものではないし、そしてそのために必ず自分も深く傷つくものです」と、自身が絵本の後書で語っている。また、悪を徹底的に排除することはしない。例として、悪さをするばいきんまんに対して基本的にいきなり攻撃せず、「やめるんだ」とまず説得を試みる、アンパンチなどでばいきんまんを追い払うことができればそれ以上の追撃はしない、仮にばいきんまんと出遭ってもばいきんまんが悪さをしていないのであれば敵視するようなことは一切なく、それどころかもしばいきんまんが困っているのであれば手助けすることすら厭わないことなどが挙げられる。 そして、アンパンマンは食べられることはあっても、食べることはあるか。それは単純に(カレーパンマンやしょくぱんまんとは異なり、)アンパンマンが食事をする場面が一度も描かれないことにも現れている。「飲食」が大きなテーマとなった世界で、本来の「食べる」と「食べられる」の食物連鎖的な循環を裁ち切り、自らを食べ物としてのみ差し出す自己犠牲こそがアンパンマンのヒーロー性を支えているのである。 やなせは『朝日新聞』2008年8月31日版の「たいせつな本」というコーナーにて影響を受けた作品としてメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を挙げ「科学的に生命を創造するというテーマのこの19世紀初頭にかかれた傑作の影響を強くうけて僕はアンパンマンを創作した」と述べている。『熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』の作中では生まれたてのアンパンマンをフランケンシュタイン(正しくはフランケンシュタインの怪物)に喩えている。『アンパンマンの遺書』では『フランケンシュタイン』の他に井伏鱒二、太宰治、『青い鳥』のパンの精の影響を挙げている。また『フランケンシュタイン』の影響はやなせ作『キュラキュラの血』にも観られるという。
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