アンチ亀田として
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ボクシングで亀田三兄弟が大阪から世界を目指すとしてメディアに取り上げられたが、長男・興毅が相手選手に行う挑発的なパフォーマンスやそれを容認する父・史郎の姿勢を疑問視し、否定的な姿勢を見せていた。2006年8月2日に長男・興毅がWBAライトフライ級世界タイトル戦で判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたために史郎が同月7日放送のテレビ朝日系列の朝の情報番組『スーパーモーニング』に出演。ガッツ石松、やくとの公開討論を行い判定の批判への不満を露わにした。史郎はガッツとのやりとりの後、やくに「そんであの、おたく」と呼ぶとやくは「おたくじゃない、やくさんと言いな。俺には名前があるんだ」と言うと(史郎の息子らに対する躾がなっていないとして)「これでカメをしばっとき」と、凧糸を渡した。凧糸を渡された史郎は床に捨てると、やくは「人の土産それはないよな」「これ腹立つやろ、腹立つやろ。あんたの倅はこれと同じことやっとるんや」と長男・興毅の試合前に行っている対戦相手へのパフォーマンスを批判する。その後「オッサンの教育のためにやってきた」「まずは口の利き方を教えてやった方がいい」「安っぽいドラマを見せないでほしい」「あんな1時間半にも渡ってダラダラダラダラパフォーマンスを見せらるのが嫌じゃ」などの挑発を繰り返した。 この際、やくはサングラスをかけて、服も不良が着るような派手な服装で、数珠のようなネックレスを付けて討論に臨んだ。この姿も「おたくの倅がそういう態度で他人に接している」ということをわからせるためにやったと発言した。だが史郎は「ここは話し合いの場であって興毅は闘いの場でやってる。ここでやるのはおかしい」と不快感を露わにした。同席していたガッツも「これは試合の時のためのパフォーマンスだから、この場で亀田の親父さんにやっちゃダメだ」と苦言を呈した。やくは「この親父さんには普通に言ったのでは意味がないから敢えて同じ行動を取ってどれだけ失礼な行為かをわからせたかった」と説明した(討論の途中から、やくはサングラスから普通の眼鏡に掛け直した)。結局、話し合いは解決に至ることはなかった。これ以降、やくと史郎及び亀田三兄弟の共演はなかった。そして翌年2007年10月11日に次男・大毅と内藤大助との試合で大毅は反則行為を繰り返し、亀田家として初めて黒星を喫すると亀田一家に日本中から批判を受けることになった。奇しくも前述の『スーパーモーニング』でやくは史郎の「悪いことしても世間に迷惑かけなきゃええやないか」との発言に「悪いこと肯定できないよ。迷惑かけなきゃコンビニも前に座っていいだろとか、落書きしてもいいとか己のスタイルを貫いてもいいっていう風潮が世の中に蔓延しているのが嫌だと言っている」と苦言を呈していたが、史郎はやくの最初の会話で皮肉めいた挑発に激怒していたため忠告に耳を傾けず、興毅を中心に一連のスタイルを貫きすぎた結果、前述の反則行為で対戦相手の内藤とその陣営や観客や全国のボクシングファンや関係者に迷惑をかける形になり、やくの忠告を無視したことで亀田家は日本中から怒りを買いバッシングを受ける結果となった。 その後亀田家がメディアに取り上げられる機会が減ると痛烈な批判をしなくなったが、インターネットTV「AbemaTV」の1周年記念企画『亀田興毅に勝ったら1000万円』については「どうせ、また弱いやつに相手に勝ったんじゃないですか」と発言し、付け足して「なんて言うと炎上するんですよね。“かっこ笑い”ですからね」とかつて現役時代に強敵選手の対戦要求を拒んで試合を避け続けた亀田一家の行動を揶揄する発言をするなど批判的な発言はなかったものの好印象とまではならなかった。
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