アングロサクソン系のアメリカ人で王党派の女性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 10:10 UTC 版)
「アメリカ独立戦争における女性達」の記事における「アングロサクソン系のアメリカ人で王党派の女性」の解説
イギリス王室に対する政治的忠誠心の危機は、植民地アメリカの女性の社会構造を崩壊させた。男性が国王に対する連帯を表明しようとしていまいと、階級、家庭、友情の絆が解かれ、以前の結びつきから女性を孤立化させた。女性の夫に対する忠誠心はかっては私的なことであったが、イギリスに対する忠誠を表明した夫に対する場合は特に政治的な行動に変わった。これら王党派の女性達は独立戦争の間大変な逆境に直面した。女性達は夫が反逆者という理由で自警団や暴徒によって有罪とされ犠牲にされた。富裕な王党派の妻は特に、反逆者と考えられる男の財産を没収したい革命政府の格好のターゲットになった。自分自身の財産を持っている女性の場合は、没収行動が通常は持参金の部分を除外していたので、愛国者の圧力にも耐えられた。しかし社会的な立場がどうあれ、王党派の女性は政治的少数派の一部であり、それゆえに近所や友人の支援も無くなっていった。 多くの王党派女性達は敵の中で生活するよりもその社会を離れる道を選んだ。一人の女性が突然立ち退くとしても、この選択は家財一切を持たずに出て行くことを意味した。王党派の多くはカナダに移動した。そこでは沢山の王党派の仲間がいた。古参兵、家族、寡婦、子供達がノバスコシアに殺到した。王党派の中には土地の愛国者政府に安全な通行を願い出て、家財を持ってイギリスの領土に移動する者もいた。このような場合でも愛国者の役人は女性が持って行くものを制限し、移動のために支払う費用を請求した。最悪の事態では、12歳を超える息子の場合に愛国者軍隊への従軍を求められ残して行くしかなかった。 王党派の女性にとって抵抗が別の選択肢となった。1779年、3人の女性、マーガレット・イングリス、スザンナ・ロビンソン、メアリー・モリスはオールバニ市長の子供の誘拐計画を立てた。新しい政府に対する忠誠を誓うことを拒否するように友人を唆す者もいた。イギリス王を積極的に支持する女性達の多くは王党派軍隊を支援するために従軍し、あるいはイギリス軍のために情報を集めた。夫を逮捕から免れるように隠す女性がいたし、重要な書類や金を当局に取られないよう隠す女性もいた。これらの行動は女性達の政治的活動で自主性に関する問題を投げかけた。つまりその行動は妻としての忠誠なのか、あるいは政治的に独立した選択なのかということであった。 役人は反逆罪を定義する規則に使う言葉を変えることにより、王党派女性の自発的行動の可能性を徐々に認めていった。初めに使われていた言葉は「男」であったが、「人」に置き換えられ、「彼」は「彼または彼女」に置き換えられた。1779年のマサチューセッツの反逆罪に関する規則では、反逆者の資産没収をうたっていたが、伝統的な定義に従って、その妻の私有財産権は保護されていた。不在の男に関する規則は罰則が厳しくなり、女性が夫の資産の中で自分の財産権の保護を求めるならば、自分自身で政治的関与をしなければならないとした。これらの規則では、女性が夫に従って逃げ出す場合には、その財産も没収の対象とするとしていた。この留まる妻と立ち去る妻との間の識別で、マサチューセッツの規則は家族の分割と妻の独立した政治的決断を促した。戦争が終わって逃亡王党派の寡婦が自身の財産権を主張したので、結婚した女性が何に対して忠実であるかという問題が生じた。
※この「アングロサクソン系のアメリカ人で王党派の女性」の解説は、「アメリカ独立戦争における女性達」の解説の一部です。
「アングロサクソン系のアメリカ人で王党派の女性」を含む「アメリカ独立戦争における女性達」の記事については、「アメリカ独立戦争における女性達」の概要を参照ください。
- アングロサクソン系のアメリカ人で王党派の女性のページへのリンク