アリアンと欧州宇宙機関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/17 08:02 UTC 版)
「フランスの宇宙開発」の記事における「アリアンと欧州宇宙機関」の解説
1971年11月にヨーロッパ2ロケットも打ち上げに失敗し、ヨーロッパ3は中止になったが、フランスはディアマンの成功を新型となるL3Sにつなげるべく新型ロケットの開発を提案した。欧州諸国の同意を得るのは苦労した。英国は自らの海洋衛星MARECS(フランス語版)、ドイツはスペースラブの予算調達を優先させ、米国のロケットを利用することで欧州統合ロケットの開発意思からは離れていた。しかし、米国にロケット打ち上げを依存することと引き換えに制限を課されることがあり、費用の高さに加え、特に仏独共同開発のシンフォニー(フランス語版)では打ち上げと引き換えに商用利用が制限されるなど大きな譲歩を必要とし、このような状況から脱却すべくフランスの提唱していた衛星打ち上げの自立化に向かうこととなった。1973年7月31日、ブリュッセルで欧州諸国は主要参加国が推奨する計画の資金調達で合意に達し、アリアン計画が開始された。20億6300万フランの費用となった計画は主にフランスが資金調達をして、計画の運用の中心を担った。これは参加国間の情報共有などの問題に起因するミスを避けるためであり、フランスはロケット開発の予算の60%を保証し、計画の120%を超えた余分を支払うとした。その代わりにフランスのCNESがロケット建造計画の元請となり、多くのフランス企業が開発を担当した。 1975年4月15日、欧州の二つの宇宙機関であったELDOとESROが合併し、ドイツ、ベルギー、デンマーク、フランス、英国、オランダ、アイルランド、イタリア、スウェーデン、スイス、オーストリア、ノルウェー、フィンランドの欧州11カ国と非欧州会員のカナダからなる欧州宇宙機関(ESA)が結成された。加盟国は共同計画への資金供給に一定の金額を支出することを約束し、その他の特定の計画の資金も調達することができるようになった。新しい欧州共同ロケットを管理、運用するために1980年にアリアンスペース社も設立された。 立ち上げ時のアリアン計画の目的は、米ソの技術とは無関係で欧州機関や各国政府の衛星を毎年1-2個打ち上げることであり、商業向けには計画されていなかった。しかし、1968年に完工したギアナ宇宙基地の発射台は、赤道に近く商業向けに見込まれる静止軌道への衛星投入能力を向上させることができるため、後に重要な役割を果たすこととなる。アリアン1号は高さ43m、重量210トン、推力240トンで静止衛星に1700kgの衛星を投入できる能力があった。最初の打ち上げ試験は1979年12月15日に行われたものの圧力センサの問題でエンジンが停止して打ち上げられずに終わり、再打ち上げは12月23日に行われるはずだったがブートシークエンスに問題があったために中止、その後問題が解消され、12月24日に打ち上げられることが決定した。アリアン1の1号機は1979年12月24日17時14分38秒(GMT)に打ち上げられ、初打ち上げは成功裏に終了した。 アリアン1は1979年12月24日に打ち上げが開始され、11機のうち9機で打ち上げに成功。改良が行われたアリアン2、3、4も同様に成功を続け、宇宙経済の主軸として欧州で利用が図られ、商業衛星市場の50%を獲得した。 完全新型となるアリアン5の開発前、欧州とフランスには欧州版スペースシャトルとも言えるエルメスの計画も存在したが、より低予算であることから新型のヴァルカンエンジンを搭載したアリアン5の開発が決定され、420億フランの予算がアリアン5に投入され、開発が行われた。アリアン5は全長52m、重量718トン、推力は1000トンとなっており、1号機は打ち上げの37秒後に爆発し、打ち上げに失敗、2号機も部分的打ち上げ失敗となったが、それ以降、アリアン5は多数の発射を成功させており、成功率95%となっている。
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