アモリオンの破壊後の経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 06:48 UTC 版)
「アモリオンの戦い」の記事における「アモリオンの破壊後の経過」の解説
アモリオンの破壊の直後、アラブ軍を攻撃するためにテオフィロスが進軍中であるという噂がカリフの下に届いた。ムウタスィムは自軍とともにドリライオンへ続く道に沿って進軍を開始したが、ビザンツ軍の攻撃に遭う兆候は見られなかった。タバリーによれば、コンスタンティノープルを攻撃するためにこの遠征をさらに続行することをムウタスィムが考慮していた時に、甥にあたるアル=アッバース・ブン・アル=マアムーン(英語版)を首謀者とする陰謀の知らせがムウタスィムの耳に届いた。ムウタスィムは無傷な状態のアモリオンの周辺のいくつかの要塞とドリライオンのテオフィロスの軍を放置して遠征を切り上げ、早急に自国へ帰還する必要に迫られた。帰路はアモリオンからキリキアの門へ直接抜ける道を利用したものの、カリフの軍隊とその捕虜の双方がアナトリア中央部の不毛な大地を通過する行軍に苦しんだ。疲れきって動けなくなった一部の捕虜が処刑されると、すぐに他の捕虜たちは逃亡を試みた。報復としてムウタスィムは捕虜の中で最も重要な人物たちを集団から分離した後、残りのおよそ6,000人を処刑した。 テオフィロスはすぐに貢物と謝罪の手紙を携えたカルシアノン(英語版)のトゥルマルケス(英語版)(師団長)であるバシレイオスを団長とする二度目となる使節をカリフの下に派遣し、ビザンツ内で高い地位にあった捕虜のために20,000ポンド(約6,500キログラム)の金を身代金として払い、ビザンツ側で拘束しているすべてのアラブ人の捕虜を解放すると申し出た。しかしながら、ムウタスィムは身代金を拒否し、遠征だけで100,000ポンド以上の費用がかかったと述べ、数年前にアッバース朝での軍務を放棄してビザンツ側に逃亡したスコライ軍団司令長官(英語版)のマヌエル(英語版)とテオフォボスの身柄の引き渡しを要求した。これに対してビザンツの使節は、実際の問題としてテオフォボスは反乱を起こしている最中であり、マヌエルはアンゼンの戦いで受けた傷が元で死亡したためにこれに応じることはできないと答え、代わりにバシレイオスはテオフィロスのより脅迫的な内容の二つ目の手紙を手渡した。ムウタスィムはこれに怒り、皇帝の貢物の受け取りを拒否した。 アモリオンの破壊を受けて、テオフィロスはアッバース朝の脅威に対抗するために他の勢力による支援を求めた。西方のローマ皇帝ルートヴィヒ1世(在位:813年 - 840年)とコルドバのアミールのアブド・アッラフマーン2世(在位:822年 - 852年)の宮廷に使節団を派遣し、使節団は敬意をもって迎えられたものの、具体的な支援は得られなかった。しかし、アッバース朝側もさらなる成功は追求しなかった。襲撃と反撃を繰り返す二つの帝国間の戦争が数年間続き、ビザンツ側が数度成功を収めた後の841年に、停戦とおそらくは捕虜の交換(ただしアモリオンで捕えられた高位の捕虜は除外された)が合意された。ムウタスィムが死去した842年にアッバース朝はさらなる大規模な侵攻の準備を進めていたものの、コンスタンティノープルを攻撃するために用意された大艦隊が数か月後にケリドニア岬(英語版)で嵐によって失われた。ムウタスィムの死後にアッバース朝は不安定な状態に陥り、844年に発生したマヴロポタモスの戦い(英語版)が850年代以前における最後の大規模なビザンツ帝国とアッバース朝の間の戦闘となった。 アモリオンで捕虜となったビザンツ帝国の有力者の中でもストラテゴスであったアエティオスは、歴史家のウォーレン・トレッドゴールド(英語版)が示唆しているように、おそらくテオフィロスのカリフへの二番目の手紙に対する報復として捕えられてから間もなく処刑された。何年にも及ぶ拘束と身代金が支払われる望みのない中、残りの捕虜たちはイスラームへ改宗するように求められた。しかし、捕虜たちは改宗を拒否し、845年3月6日にサーマッラーで処刑され、東方正教会でアモリオンの42人の殉教者(英語版)として記念された。また、ボイディツェスとその裏切りにまつわるいくつかの物語が生まれた。『アモリオンの42殉教者伝』によると、ボイディツェスはイスラームに改宗したにもかかわらず、他の捕虜とともにカリフによって処刑された。さらに、他の処刑された者はティグリス川にその遺体が「奇跡的に」浮かんだ一方で、ボイディツェスの遺体は川底に沈んだ。
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