くるまおおとしじんじゃのおきなまいとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > くるまおおとしじんじゃのおきなまいの意味・解説 

車大歳神社の翁舞

名称: 車大歳神社の翁舞
ふりがな くるまおおとしじんじゃのおきなまい
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 車大歳神社翁舞保存会
指定年月日 2000.12.27(平成12.12.27)
都道府県(列記): 兵庫県
市区町村(列記): 神戸市須磨区
代表都道府県 兵庫県
備考
解説文:  車大歳神社の翁舞は、現在の能楽一般的な「翁」には登場しない「父【ちち】の尉【じょう】」を含むもので、かつての「翁」の様子うかがわせるのである。車の翁舞は、地元で、オメンカケ(御面掛け)やオメンシキ(御面式)、あるいは単にオメン(御面)などとも呼ばれ毎年正月十四日の夜、車地区の大歳神社上演されている。車地区は、神戸市西端須磨区北部山間にあたり、特に昭和四十年代以降急速に市街地化したが、元禄年間記録によると、戸数五〇ほどの小集落で、その当時から大歳神社地区鎮守であった
 「翁」は神聖視され、一般能の演目とは異な特別な演目で、現在は、舞台披き特別な公演のときに舞われる遅くとも中世後期から近世初頭のころには、専門演技者神事芸能として「翁」を各神社の祭礼演じるようになっていたとされる。車大歳神社の翁舞については、宝暦十四年(一七六四)の記録によって、そのころまで専門演技者演じていたことがわかるが、文久二年(一八六二)とされる台本残っていることから、このころには地元人びと翁舞演じようになったものと考えられる
 この翁舞は、露払【つゆはら】い、翁、三番叟さんばそう】、父の尉で構成され、翁と父の尉は同一人が担当する一連の行事は、まず翁舞の各役割決めることから始まる。かつては正月五日新年最初寄合よりあい】で決定していたが、現在では、十一月下旬に、翁舞練習などの場所となるヤド(宿)、翁および父の尉の役、露払い三番叟地謡じうたい】、さらに囃子方はやしかた】の笛・小鼓こつづみ】・地元オオドウと呼ぶ大鼓おおかわ】の役を決めている。かつてはヤドをつとめなければ隠居ができなかったとされ、または翁および父の尉は、長男がつとめることになっていたといわれ、現在でも、それはできるだけ戸主【こしゅ】から選ぶことになっている。なお露払い一〇歳ほどの少年三番叟一二歳ほどの少年の役である。一方囃子方青年の役で、地謡三-四人、笛二人小鼓二人大鼓一人となっている。翁舞稽古一月八日から十二日までの五日間と定められその間毎日ヤド翁舞を二回舞うが、十三日稽古休み十四日祭礼迎える。
 祭礼当日は、まず御神体として神社本殿安置してある翁、三番叟、父の尉の面三体取り出しヤド持ち帰って床の間安置する夕方六時ころからヤド翁舞を舞う。その後一同ヤド出て列をなして大歳神社向かい神主、面を持ったヤド露払い、翁・父の尉役、三番叟地謡囃子方順番入り舞殿翁舞上演する翁舞四〇分ほどで、終わると再び面三体本殿に戻す。
 この車大歳神社の翁舞の特徴は「稚児【ちご】の露払い」と「父の尉」が登場することである。鎌倉時代から南北朝にかけて、翁舞には、露払い稚児登場し、その次に翁が出て三番叟延命冠者えんめいかじゃ】、父の尉と続く形式のものがあったが、その後露払い千歳せんざい】に代わり延命冠者と父の尉が省略されて、現在の千歳、翁、三番叟形式主流になったとされる
 このように車大歳神社の翁舞は、かつて行われていた翁舞の姿を、現在も伝承するものであり、芸能変遷過程示し、また地域的特色顕著である。

車大歳神社の翁舞

名称: 車大歳神社の翁舞
ふりがな くるまおおとしじんじゃのおきなまい
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 車大歳神社翁舞保存会
選択年月日 1976.12.25(昭和51.12.25)
都道府県(列記): 兵庫県
市区町村(列記): 神戸市須磨区
代表都道府県 兵庫県
備考 所在地同一都道府県内のもの(このデータ種別1から移行しています)
解説文:  車大歳神社の翁舞は、現在の能楽一般的な「翁」には登場しない「父【ちち】の尉【じょう】」を含むもので、かつての「翁」の様子うかがわせるのである。車の翁舞は、地元で、オメンカケ(御面掛け)やオメンシキ(御面式)、あるいは単にオメン(御面)などとも呼ばれ毎年正月十四日の夜、車地区の大歳神社上演されている。車地区は、神戸市西端須磨区北部山間にあたり、特に昭和四十年代以降急速に市街地化したが、元禄年間記録によると、戸数五〇ほどの小集落で、その当時から大歳神社地区鎮守であった
 「翁」は神聖視され、一般能の演目とは異な特別な演目で、現在は、舞台披き特別な公演のときに舞われる遅くとも中世後期から近世初頭のころには、専門演技者神事芸能として「翁」を各神社の祭礼演じるようになっていたとされる。車大歳神社の翁舞については、宝暦十四年(一七六四)の記録によって、そのころまで専門演技者演じていたことがわかるが、文久二年(一八六二)とされる台本残っていることから、このころには地元人びと翁舞演じようになったものと考えられる
 この翁舞は、露払【つゆはら】い、翁、三番叟さんばそう】、父の尉で構成され、翁と父の尉は同一人が担当する一連の行事は、まず翁舞の各役割決めることから始まる。かつては正月五日新年最初寄合よりあい】で決定していたが、現在では、十一月下旬に、翁舞練習などの場所となるヤド(宿)、翁および父の尉の役、露払い三番叟地謡じうたい】、さらに囃子方はやしかた】の笛・小鼓こつづみ】・地元オオドウと呼ぶ大鼓おおかわ】の役を決めている。かつてはヤドをつとめなければ隠居ができなかったとされ、または翁および父の尉は、長男がつとめることになっていたといわれ、現在でも、それはできるだけ戸主【こしゅ】から選ぶことになっている。なお露払い一〇歳ほどの少年三番叟一二歳ほどの少年の役である。一方囃子方青年の役で、地謡三-四人、笛二人小鼓二人大鼓一人となっている。翁舞稽古一月八日から十二日までの五日間と定められその間毎日ヤド翁舞を二回舞うが、十三日稽古休み十四日祭礼迎える。
 祭礼当日は、まず御神体として神社本殿安置してある翁、三番叟、父の尉の面三体取り出しヤド持ち帰って床の間安置する夕方六時ころからヤド翁舞を舞う。その後一同ヤド出て列をなして大歳神社向かい神主、面を持ったヤド露払い、翁・父の尉役、三番叟地謡囃子方順番入り舞殿翁舞上演する翁舞四〇分ほどで、終わると再び面三体本殿に戻す。
 この車大歳神社の翁舞の特徴は「稚児【ちご】の露払い」と「父の尉」が登場することである。鎌倉時代から南北朝にかけて、翁舞には、露払い稚児登場し、その次に翁が出て三番叟延命冠者えんめいかじゃ】、父の尉と続く形式のものがあったが、その後露払い千歳せんざい】に代わり延命冠者と父の尉が省略されて、現在の千歳、翁、三番叟形式主流になったとされる
 このように車大歳神社の翁舞は、かつて行われていた翁舞の姿を、現在も伝承するものであり、芸能変遷過程示し、また地域的特色顕著である。
民俗芸能のほかの用語一覧
渡来芸・舞台芸:  薩摩の水からくり  諸鈍芝居  谷地の舞楽  車大歳神社の翁舞  那珂湊の獅子とみろく  野田の津久舞  長浜曳山狂言



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「くるまおおとしじんじゃのおきなまい」の関連用語

くるまおおとしじんじゃのおきなまいのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



くるまおおとしじんじゃのおきなまいのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS