お礼参り殺人計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:37 UTC 版)
「熊本母娘殺害事件」の記事における「お礼参り殺人計画」の解説
Mは「湧水寮」で生活していた間、上から「殺したい順番」として元妻Xらに対する殺害計画を立てて大学ノートに殺害標的の住所・氏名を書き込み、1984年暮れには綿密な犯行計画(殺害の手順・逃走ルート・逃走資金の調達方法など)を記していた。その復讐心は直接無関係な人間にまでおよび、標的の数は30人以上となった。 元妻X - Mが「最も殺したかった。1962年の事件で母親乙とともに殺しておけばよかった」として最大のターゲットにしていた一方、このころはXへの未練を抱きつつも「Xが年下の長距離トラック運転手男性と再婚した」という話を聞いていたため「俺を捨てて若い男をたぶらかした」と嫉妬などの感情を抱き、Xをより一層憎悪するようになっていた。その上でXの夫が長距離トラック運転手である旨を聞いていたことから「仕事に出てから帰宅まで1,2日かかる夫が仕事に出た直後にXを殺せば事件発覚に時間がかかる」と考えていた。 Xの養母(伯母・甲の妻) - 仲人だったXの養父母(甲夫婦)・養父甲の実弟(Xの叔父)を「仲人なのに自分だけを悪者にしてXと離婚させた」として逆恨みしていたが、養父甲とその実弟(Aの夫)はこの時点で既に他界していたため、未亡人たちが標的となった。 被害者A(事件当時65歳) - Xの養父甲の実弟(Xの叔父)の妻で、甲の妻と同様の理由で殺害計画に加えた。AはMの元妻Xからすれば「母方の伯父(甲)の弟の妻」(=甲の義妹)だった。Aは事件の十数年前に砕石会社の社長だった夫が病死して以来、その後任として就任した弟(事件当時の社長)の娘だった被害者B(事件当時22歳)を養女として引き取り、事務所を管理していた。 Xの叔母 - 1962年の尊属殺人事件の際、熊本地裁で行われた刑事裁判にて検察官側の証人として証言台へ立ち「Mを死刑にしてほしい」と陳述したことを逆恨みしていた。 自身の叔父・叔母夫婦 - 「自分の仮出所を取り消させた」として実兄とともに恨みを抱いていた。 Mは保護観察施設「湧水寮」の保護司に秘密で現金15万円を貯金し、1985年5月31日にはかねてから計画していた犯行を実行に移すため、寮を無断で抜け出して熊本駅行きの急行列車に乗車した(同日夜に熊本駅へ到着)。そして熊本駅前の居酒屋で偶然「湧水寮」にいた時の同僚と再会し、深夜になってその同僚とともに実兄の家を訪れると、実兄に対し殊勝な態度で「今度こそ真面目に働く。こいつ(同伴していた同僚)も仕事探しに困っているから面倒を見てやってくれ」と頭を下げ、2人で実兄宅に居つくようになった。数日後、Mは実兄の自宅から「湧水寮」に「兄貴の家で暮らせるようになったからもう寮には帰らない」と電話し、不本意ながらも実兄がMの身元引受人になった。 そしてMはお礼参り殺人の計画に着手し、最大の標的だった元妻Xの居場所をXの親戚(熊本県内在住)から聞き出そうとした。しかし、Mのお礼参りを恐れたXは親戚にも住所を知らせていなかったため、MはXの居場所を知ることができず、「Xの居場所を知っているのは、(いずれも殺害標的に加えていた)Xの再婚の世話をした叔父の妻である被害者Aか、Xの親代わりだった伯母(甲の妻)ぐらいだろう」と考えた。そのため、一時はXの伯母(甲の妻)方を訪れて言葉巧みに住所を聞き出そうとしたが、Xの伯母はお礼参りの恐怖に晒されながらもMが帰るまでやり過ごした。
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