いぶか‐まさる〔ゐぶか‐〕【井深大】
井深 大
井深 大とは、ソニー株式会社の創業者である。1908年、栃木県生まれ。今や世界トップクラスの電気系ブランドとして知られるソニーの礎を築いた人物として知られている。また戦後日本を代表する起業家として、本田技研工業の本田宗一郎と並んで世界的にも有名である。1997年12月19日に逝去。
井深大は、若い時分から発明家として有名であった。早稲田大学理工学部在学中に発明した「走るネオン」がパリ万国博覧会において優秀発明賞を受賞したことはあまりに有名である。
戦時中は熱線誘導兵器の開発に取り組み、そこで知り合った盛田昭夫とともに東京通信工業を創立した。設立当初は社員20数人の電気企業で、売上も下調子で苦しい時期を過ごしたという。しかし、井深大の打ち立てた経営方針に則り、一般消費者の生活を豊かに便利にする新商品の提供を目指して、ユニークかつ新しい技術の開発へのチャレンジが続けられた。
東京通信工業の試みは多くの革新的製品となって結実した。その中には日本初、あるいは世界初というものも少なくない。1950年代にはテープレコーダー、やトランジスタラジオ、60年代に入るとトランジスタテレビ、家庭用のビデオテープレコーダーを発売し、業界にたびたび新風を巻き起こした。1958年に社名を(それまで商標名であった)ソニーと改称。そうして戦後日本経済の奇跡的な復興、急成長を象徴する世界的な大企業に成長していく。
井深大は1950年にソニー社長に就任した。その後、会長、名誉会長、名誉会長を歴任する。ソニーの経営の一方で、井深大は教育活動にも熱心にとりくみ、幼児開発協会やソニー教育振興財団などを設立している。同財団は現在、ソニー教育財団として、幼児教育の推進に取り組んでいる。
ちなみに、井深大が東京通信工業設立時に起草した「東京通信工業株式会社設立趣意書」は、企業の精神のあり方の理想形のひとつとして有名である。「日本再建、文化向上ニ対スル技術面、生産面ヨリノ活発ナル活動」や「国民科学知識ノ実際的啓蒙活動」などを趣旨とする文章は、真の技術系企業家のあり方として、電気系メーカーだけでなくあらゆる企業家、経営者の座右として愛されている。
(更新:2006年1月)
参照リンク
ソニーグループ
ソニー株式会社 設立趣意書
Sony History -ソニーの歴史(ソニー株式会社)
財団法人ソニー教育財団
「いぶか まさる」の例文・使い方・用例・文例
- いぶかしそうな表情
- 神よ、最初にキスを発明したのは、どんな馬鹿者であったか私はいぶかる。
- この手続きにはお役所仕事がだいぶからんでいます。
- いぶかしそうな顔つき.
- 彼はいぶかしげな目で私を見た.
- 「彼は一体だれかしら」と彼女は思った[いぶかった].
- どうしたわけかといぶかっていた
- いぶかしげな顔をして僕の話を聞いていた
- いぶかしげに問い返した
- あの男は挙動がいぶかしい
- 彼のところと僕のところはだいぶかけ離れている
- 今度の普請にはだいぶかけたろう
- 直しがだいぶかかる
- いぶかしげで尋ねるような態度で
- 彼らは、いぶかしげに医者を見た
- 激怒してでなく、しかしいぶかしげに、今彼は彼女を見た
- キャンプは素晴らしいが家にまさるものはない
- 「精神は物質にまさる」という古い格言を思い出しなさい
- 疲れを感じたときは1杯のコーヒーにまさるものはない
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