『赤蝦夷風説考』の執筆とは? わかりやすく解説

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『赤蝦夷風説考』の執筆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 01:05 UTC 版)

工藤平助」の記事における「『赤蝦夷風説考』の執筆」の解説

工藤平助の名は、すぐれた医師として、また、その広い視野や高い見識全国的に知られるようになり、かれの私塾「晩功堂」には遠く長崎松前からも門人となるため来訪する者も少なくなかった18世紀後期にはロシア帝国南下進みロシア軍捕虜となった経験をもつハンガリーモーリツ・ベニョヴスキー伯爵在日オランダ人にあてた書簡のなかで、ロシアには侵略意図があると記したことをきっかけとして北方問題への関心高まっていた。松前からも裁判のため、知恵者として知られていた平助の力を借りようと頼る者もあらわれ平助は、彼らから北方事情蝦夷地での交易様子ロシア情勢等について詳細に知ることができた。また、長崎吉雄耕牛やその縁者からは、オランダ文物送り届けられることも多く平助はそれを蘭癖大名富裕な商人販売して財をなした一方ロシア含めた西洋事情一般に通じようになった。なお、オランダ渡り品々様子は娘あや子(只野真葛)『むかしばなし』に克明に描かれている。 天明元年1781年4月平助『赤蝦夷風説考』下巻を、天明3年1783年)には同上巻を含めてすべて完成させた。「赤蝦夷」とは当時ロシアを指す呼称であり、ロシア南下警告し開港交易蝦夷地経営説いた著作であったまた、天明3年には密貿易を防ぐ方策説いた『報国以言』提出している。これらの情報は、松前藩藩士前田玄丹、松前藩勘定奉行湊源左衛門長崎通詞吉雄耕牛らより集めたものであった。さらに平助は、『ゼヲガラヒ(万国地理誌)』や『ベシケレーヒンギ・ハン・リュスランド(ロシア誌)』などの外国書を入手して知識充実努めた『赤蝦夷風説考』は、のちに田沼意次献上されることとなるが、これは平助が自ら進んで献上したものではなかった。『むかしばなしによれば工藤家出入りするなかに田沼用人がいて、あるとき 我が主君は富にも禄にも官位にも不足なし。この上願いには田沼老中の時、仕おきたることとて長き世に人のためになることをしおきたき願いなり、何わざをしたらよからんか。意味:じぶんの主人は、富でも禄高でも官位でも不足はない。この上願いとしては、田沼老中時代にしたこととして、永くのちの世の人ためになることをしておきたいという願いがある。どのような仕事をしたらよいだろうか。 と平助知恵借りにきたので、平助は「そもそも蝦夷国松前から地続き日本へも随ってくる国である。これを開発して貢租を取る工面をしたなら、日本国広げたのは田沼様だといい、人びと御尊敬申し上げるだろう」と答えたという。 天明4年1784年)には、平助江戸幕府勘定奉行松本秀持に対して『赤蝦夷風説考』内容詳しく説明し松本はこれをもとに蝦夷地調査伺書幕府提出した。これがときの老中田沼意次の目にとまり、そのため、天明5年1785年)には、第一次蝦夷地調査隊が派遣され随行員として最上徳内らも加わっていた。このころ平助はいずれ幕府直臣となって蝦夷奉行として抜擢されるという噂が流れた。しかし、一面では医師廃業周囲に見なされて患者失い、しだいに経済的に苦境に陥っていたのが実情であった。なお、寛政3年1791年全巻刊行され林子平海防論海国兵談』は、『赤蝦夷風説考』情報多く依拠している。それに先立つ天明6年1786年)、平助は『海国兵談』の序を書いている。これについては、当初平助拒否していたが子平の熱意によりついに承諾したものという。

※この「『赤蝦夷風説考』の執筆」の解説は、「工藤平助」の解説の一部です。
「『赤蝦夷風説考』の執筆」を含む「工藤平助」の記事については、「工藤平助」の概要を参照ください。

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