『赤影』前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 04:45 UTC 版)
小児喘息で自宅にこもり気味だったため、母親に劇団に入れられたことが、子役になったきっかけとなる。 本人が記憶しているテレビドラマで最古の作品は、NHK東京の文芸劇場『下町』。12時から朝の4時まで収録のため拘束され、布団で寝ているシーンで本当に眠ってしまったという。10歳の時に『宮本武蔵 巌流島の決斗』(内田吐夢監督)で、初めて東映京都と関わる。三沢伊織役を探していた内田監督が『宮本武蔵 巌流島の決斗』の前年に上演された劇団文化座公演『土』(原作:長塚節)に出演した金子を見染め、各劇団を訪ねて探し回った末に指名してきたという。京都での撮影だったが当時は新幹線は無く、飛行機で往復していた。1966年、『丹下左膳 飛燕居合斬り』で再び京都詰めとなる。この年、自身もファンであった白土三平の劇画『ワタリ』が東映京都で『大忍術映画 ワタリ』(船床定男監督)として映画化されると聞き、企画室に日参して出演売り込みを行った。脇役希望だったが、主演に選ばれ当惑したという。撮影は3ヶ月におよんだため、撮影中は母親とともに東映の女子寮に入寮していたが、『ワタリ』『赤影』で共演する岡田千代も、『ワタリ』の撮影当時は入寮していた。
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