『赤影』
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『ワタリ』の演技が認められ、1967年放送の特撮TVドラマ『仮面の忍者 赤影』(関西テレビ、東映)に少年忍者「青影」役で出演し人気を得る。 青影の長髪は当初カツラだったが、中途から地毛になった。一年間散髪しなかったという。 同作のヒットで「子役スター」と呼ばれたが、放映中に街で声をかけられることもなく、本人には自覚はまったく無かったという。 5年の三学期から6年の二学期末までは、京都の御室仁和寺直近の京都市立御室小学校に転入して撮影に挑んだが、学校にまったく通えず、先生に会ったこともなかったという。成績表は「オール1」となったため、2学期から朝の一時間だけ出席することとなった。京都の植木屋の別荘を借りて住んでおり、その前には俳優の松方弘樹の自宅があった。 怪獣路線への変更については子供心に納得できなかったという。 共演した坂口祐三郎は、子供嫌いで当初は冷たかったが、だんだんと打ち解けていったという。引退後も交流は続き、坂口は上京時には飲みに誘ってくれたという。坂口は『赤影』での金子について、「撮影で走った後、『赤影さん、僕の人生暗いなあ。小児喘息だからあまり走ったりすると、心臓を悪くして長生き出来ないよ』なんて、小学5年生の子供がボソボソいうんだよ」と、当時の思い出を語っている。 『ワタリ』『赤影』『河童の三平』などで共演した牧冬吉は、金子本人に述べることはなかったがプライベートでは金子のことを褒めちぎっており、金子は牧の没後に牧の息子から「嫉妬していた」と言われたという。 端役で出演し、当時は無名だった川谷拓三に、自転車で撮影所を乗せて回らせてもらっていた。後年、川谷がテレビドラマ『前略おふくろ様』のオープニングで単独クレジットされていた時は嬉しかったという。 金子は1993年頃から、その後の『赤影』を描いた映像作品を撮ろうと企画していたが、坂口の死去により実現しなかった。
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