『赤影』後
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東京に戻り無事中学校へ進学するが、『河童の三平 妖怪大作戦』(NET、東映)の主演が決まってまた通えなくなった。『ガメラ対大悪獣ギロン』の主演オファーは通学のため断り、きわどい成績だったがなんとか卒業できたという。この間、台湾での『大忍術映画 ワタリ』の大ヒットを受けて台湾映画界から招かれ、湯慕華(日本名・湯浅浪男)監督のもと、特撮冒険映画『神童桃太郎』、『桃太郎斬七妖』に主演する。 高校受験での面接では、面接官から「君が青影丸か」と問われ、「丸はつきません」と答えたという。入学後は日舞を習い、高校2年までは毎日通学する。『赤影』『河童の三平』のプロデューサーだった東映の平山亨プロデューサーを、日舞の発表会に招いたことがきっかけとなり、1973年のテレビドラマ『どっこい大作』(NET、東映)の主人公・田力大作役に抜擢される。番組が延長されたために通学できなくなり、一時は退学となるが、当時の担任の尽力により復学・卒業できた。 23歳で、本業としては俳優を引退する。その後は空調関係の会社を経営する傍ら、各種催事や企画ビデオ作品に出演している。 『仮面ライダー』などで知られる俳優の佐々木剛が経営する居酒屋「バッタもん」の常連客であり、インタビューや自身のホームページのオフ会などもこの店で行われている。
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