『平家物語』における重衡とは? わかりやすく解説

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『平家物語』における重衡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:58 UTC 版)

平重衡」の記事における「『平家物語』における重衡」の解説

重衡時子産んだ子としては3番目の男子であり、武門の家では嫡男そうでないものの立場大きく異なるため、本来ならば重衡はさほど注目される存在ではなかった。同じよう立場清盛の弟である経盛、教盛、頼盛、忠度らがほとんど役割がないのに対し重衡扱い突出している。 平徳子安徳天皇出産した際には、重衡中宮亮として、徳子出産を皆に伝え晴々し役割担っている。さらに以仁王挙兵した際には、総大将として三井寺興福寺般若寺といった奈良の寺を攻めていたり、一ノ谷の戦い捕虜となった後は、捕らえられ重衡のことを、都の人々清盛にとっても時子にとっても「おぼえの御子」で「重き存在であった噂しているシーンがある。さらに巻第十では、半分近く重衡について語られており、巻第十一で亡くなるまで、かなり注目されている『平家物語』覚一本巻第十内裏女房によれば、生捕りになった後、囚われの身重衡ところに、かつて仕えていた侍の知時が訪れ、実平の許し得て一晩無聊慰め機会があったという。重衡思いがけないことに喜びの涙を流し、知時と昔話耽る。話がかつて交際のあった内裏働く女房のことになり、重衡は知時に手紙届けてほしいと述べる。内裏にやってきた知時が声をかけると、女房日頃慎み忘れ、自ら端近まで出て手紙受け取った。知時は重衡のもとに帰り女房罪人重衡のことを思っているのを知った重衡は、牛車遣わして束の間会うことになった和歌交わし、短い時間ながらも会うことのできた女房は、重衡死後に、出家して重衡菩提弔い続けたという。この話は、内裏で働く身分のある貴族女性が、戦場で血を浴びて穢れたばかりでなく、多くの罪もない人や大仏焼いてしまった重衡に、未だに愛情持っている姿を描くことで、重衡真の悪人ではなく、運と仏に見放され気の毒な貴人印象づけている。 重衡東大寺焼いてしまい、隠れていた女子供老僧を何千人焼死させたばかりか、大仏の首が焼け落ちるという事態を引き起こし捕虜となった後には、都の中を罪人として引き回され鎌倉移送され源頼朝対面し最期奈良僧兵引き渡されて首を晒されている。これを基に人物像作れば大悪人として書くことは容易であり、勧善懲悪観点からも非常に描きやすいのにも関わらず多くの章を割いて多くの人に愛される存在として描かれている。これは「誰が見てはっとするほど美しい甥の維盛」と対比的描こう『平家物語』作者の意図であり、重衡同時代生きた人々証言見える、清盛息子という高い地位立場を自ら気さくに破って女性たち気軽に声をかける姿と重なっている。

※この「『平家物語』における重衡」の解説は、「平重衡」の解説の一部です。
「『平家物語』における重衡」を含む「平重衡」の記事については、「平重衡」の概要を参照ください。

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