『中世城郭研究』掲載論考
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「八巻孝夫」の記事における「『中世城郭研究』掲載論考」の解説
中世城郭研究会の会誌『中世城郭研究』(ISSN 0914-3203) には、八巻の執筆した論考が毎号少なくとも1篇は掲載されている。 八巻孝夫「戦国末期に現われる防御専用の小曲輪」『中世城郭研究』第1号、1987年。 八巻孝夫「武田氏の遠江侵略と大井川城塞群」『中世城郭研究』第2号、1988年。 八巻孝夫「馬出を考える」『中世城郭研究』第3号、1989年。 八巻孝夫「関東における織豊系の陣城」『中世城郭研究』第3号、1989年。 八巻孝夫「南九州の畝状空堀群の城」『中世城郭研究』第3号、1989年。 八巻孝夫「後北条氏領国の馬出」『中世城郭研究』第4号、1990年。 八巻孝夫「北海道の館」『中世城郭研究』第5号、1991年。 八巻孝夫「織豊系転封大名の本拠」『中世城郭研究』第6号、1992年。 八巻孝夫「北条氏照の城郭」『中世城郭研究』第7号、1993年。 八巻孝夫「縄張研究から見た中世城郭の保存と活用」『中世城郭研究』第8号、1994年。 八巻孝夫「近世城郭の保存と活用」『中世城郭研究』第9号、1995年。 八巻孝夫「明治から敗戦までの城郭研究の流れについて」『中世城郭研究』第10号、1996年。 八巻孝夫「敗戦から昭和三〇年代にかけての城郭研究の流れについて」『中世城郭研究』第11号、1997年。 八巻孝夫「昭和四〇年代の城郭研究の流れについて(上)」『中世城郭研究』第12号、1998年。 八巻孝夫「昭和四〇年代の城郭研究の流れについて(中)」『中世城郭研究』第13号、1999年。 八巻孝夫「昭和四〇年代の城郭研究の流れについて(3)」『中世城郭研究』第14号、2000年。 八巻孝夫「昭和四〇年代の城郭研究の流れについて(特別編)」『中世城郭研究』第15号、2001年。 八巻孝夫「昭和四〇年代の城郭研究の流れについて(4)」『中世城郭研究』第16号、2002年。 八巻孝夫「昭和四〇年代の城郭研究の流れについて(五)」『中世城郭研究』第17号、2003年。 八巻孝夫「上総大多喜城の変遷について : 縄張調査と古絵図の検討から」『中世城郭研究』第18号、2004年。 八巻孝夫「梶山城と庄内合戦」『中世城郭研究』第19号、2005年。 八巻孝夫「竹貫城とその周辺の城館群(上)」『中世城郭研究』第20号、2006年。 八巻孝夫「竹貫城とその周辺の城館群(中)」『中世城郭研究』第21号、2007年。 八巻孝夫「竹貫城とその周辺の城館群(下)」『中世城郭研究』第22号、2008年。 八巻孝夫「新発見の高松城天守のイラスト」『中世城郭研究』第22号、2008年。 八巻孝夫「豊島氏の城郭についての覚書」『中世城郭研究』第23号、2009年。 八巻孝夫「江古田原合戦新考」『中世城郭研究』第24号、2010年。 八巻孝夫「練馬城の研究史と遺構の活用・変遷」『中世城郭研究』第25号、2011年。 八巻孝夫「石神井城の五〇〇年 : その遺構の保存・利用と研究史」『中世城郭研究』第26号、2012年。 八巻孝夫「日向国・宮崎城の基礎研究」『中世城郭研究』第27号、2013年。 八巻孝夫「世田谷城 : その研究史と城跡利用について」『中世城郭研究』第28号、2014年。 八巻孝夫「守谷城」『中世城郭研究』第28号、2014年。 八巻孝夫「額田城」『中世城郭研究』第28号、2014年。 八巻孝夫「衣笠城とは何か(上) : その研究史及び遺構の考察と実像」『中世城郭研究』第29号、2015年。 八巻孝夫「衣笠城とは何か(下) : その研究史及び遺構の考察と実像」『中世城郭研究』第30号、2016年。 八巻孝夫「箱館戦争の台場 : 道南・東部と函館周辺の野戦築城を中心に」『中世城郭研究』第31号、2017年。 八巻孝夫「箱館戦争に於ける矢不来台場と富川の塁の考察 : 旧幕府軍の茂辺地・矢不来・富川の防衛ライン」『中世城郭研究』第32号、2018年。 八巻孝夫「小机城の考察(上): 縄張の研究史及び城の歴史と構造を考える」『中世城郭研究』第33号、2019年。
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