城塞群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/27 00:31 UTC 版)
古代から交通の要衝であった木ノ芽峠を抑えるため、鉢伏山には早くから山城が築かれてきた。山頂から南東尾根に沿って、鉢伏城、観音丸城、木ノ芽峠を挟んで、木ノ芽峠城、西光寺丸城があり、これらの城は木ノ芽峠城塞(城砦)群と呼ばれている。平安時代末期には源義仲(木曽義仲)が倶利伽羅峠の戦いで敗走する平家の退路を断つために利用したというが、現在見られる城趾は戦国時代のものであり、永禄12年(1569年)に朝倉義景が織田信長の侵攻に備えて築き、天正元年(1573年)の一乗谷城の戦いでは、印牧氏の印牧能信が城主を務めた。朝倉氏滅亡の後に起こった越前一向一揆でも、一揆衆が信長との戦いで使用している。
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