「白鳥になった子供たち」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 01:26 UTC 版)
「ローエングリン (アーサー王伝説)」の記事における「「白鳥になった子供たち」」の解説
「ローエングリン伝説」の一部にはしかし、白鳥、しかも「白鳥にされてしまった子供たち」に焦点を合わせた説話(「B型説話」とする)もある。また、「A型説話」と「B型説話」を合体させた説話(「AB型説話」)も生まれた。 「白鳥にされてしまった子供たち」の話(「B型説話」)は、ロレーヌのシトー派修道院に属したヨハネス・デ・アルタ・シルヴァがメスの司教ベルトラン(司教在位1179-1212)に献呈した『ドロパトス 王と七賢人の物語』に初めて見られる。あらすじを示すと以下のようになる。 高貴な若者が狩りに出かけ、見事な角をつけた雌鹿を目にする。鹿を追っていくうちに深い谷間の泉を見つける。そこに、金の鎖を手にした妖精が四肢を剝き出しにして洗っている。彼女に魅せられた若者は彼女の不意を襲う。その夜、星の運行によって、自分が息子6人と娘1人を胎に宿したことを知った妖精は彼にそのことを伝える。 妖精の妻を連れて城に戻った若者だが、二人を迎えた母は嫉妬に苦しんだ。時満ちて子供が生まれたが、6人の息子も1人の娘も金の鎖を首に付けていた。義母は子供らを盗み取ると、雌犬7頭をその代わりに母親のベッドの側に置いた。義母は奴隷に子供らの始末を命じた。奴隷は子供らを森の木の下に置き去りにした。すると、森で哲学の探求にふける老人が子供らを見つけ、住まいにしている洞窟に運び、雌鹿の乳で子らを養った。 一方、悪事を働いた老婆は、息子に向かってお前の妻は子犬を産んだと非難した。息子は宮殿の真ん中に、乳房のところまで生き埋めにしたばかりか、誰もが食事の際には妻の頭上で手を洗い、その髪の毛で手を拭うように、食事としは犬のえさを与えるようにと命じた。 一方、7年間鹿の乳によって養われた子供たちは狩りをして鳥や獣をとらえるまでになった。ちょうど狩猟のために森にやってきた彼らの父親と遭遇した。彼は子らを捕まえようとしたが、逃げられてしまった。城に帰った息子からこの話を聞いた母親は、奴隷に子供たち探し出し、鎖を取って来いと命じる。 奴隷は森に行き、男の子たちが白鳥に姿を変えて川で遊び、女の子が兄たちの鎖の番をしているのを見つけると、その鎖を奪い持ち帰る。少女の鎖は奪えなかった。老婆は金細工師にその鎖で杯を作れと命じた。しかし金細工師は6個の鎖のうち1個しか壊すことができなかったので、それに手持ちの金を加えて杯を作った。 鎖を奪われたために人間の姿に戻れなくなった子らは白鳥のまま棲みつくのにふさわしい場所を求め、適当な池を見つけた。そこは自分たちの父親の居城に近かった。城主は姿と歌声の良さゆえに白鳥が気に入っていた。 白鳥たちの妹は人間の姿に戻ると城に登り、食べ物を乞い求め、白鳥の姿のままの兄たちのためにそれを持ち帰った。宮殿では母である人のために、そうであるとは知らずに泣いた。 城主はある時、少女を呼び寄せ熱心に観察し、自分の一族の特徴を彼女が備え、また少女が首に金の鎖をしているのを認めた。城主が娘に事情を尋ねると、少女はこれまでの体験を語った。居合わせた奴隷は池に戻る途中の少女を殺めようとしたが、城主に阻止され、悪事を白状する。 少女は金細工師から鎖を受け取ると池のほとりに行き、兄たちに鎖を返した。皆は人間の姿に戻ったが、一人だけは、その鎖を金細工師が杯を作るために壊してしまったので白鳥のままだった。これが、武装した戦士の乗った小舟を金の鎖で引っ張ったといわれる白鳥である。城主は悪事を働いた実母を罰した。 ラテン語によって表わされた『ドロパトス』はフランス王(在位1180-1223)と近い関係にあった人物によってフランス語の詩に翻訳され、白鳥の小舟に乗って現れた騎士は、ブイヨン(Boillon)公領を所有したと付言された。この韻文版は15世紀にドイツ語の散文に翻訳され、1845年にはベヒシュタインが現代ドイツ語で再話した。
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