「白鳥になった子が曳く小舟に乗る騎士」
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「ローエングリン (アーサー王伝説)」の記事における「「白鳥になった子が曳く小舟に乗る騎士」」の解説
白鳥の曳く小舟に乗って登場した騎士の活躍と別れを描く「A型説話」と騎士の乗る小舟を曳いた白鳥の由来を語る「B型説話」、その両方を合体させた説話(「AB型説話」)を伝えるのが、グリム兄弟編纂による『ドイツ伝説集』540話「白鳥を連れた騎士」(Der Ritter mit dem Schwan)である。 この話では、物語の場所と人物が特定されている。場所はフランドルのリレフォルト (Lillefort)王国。国主はピリオン (Pyrion)、妃がマタブルーナ (Matabruna)。王夫妻の息子がオリアント(Oriant)。王子は狩りに出かけ、泉の側でベアトリクス(Beatrix)という名の乙女と遭遇する。王子は彼女を連れて帰るが、王子の母は、娘が裸で、素性が分からないので娘を嫌う。ベアトリクスが7人の子を産むと、義母は子らを奪い、召使に殺害を命じる。殺されずに森に捨てられた子らは、ヘリアス(Helias)という名の隠修士によって養育される。隠修士が自分と同じ名前をつけた子だけを連れて出かけている間に、残りの子6人は、まだ生き延びていると知ったマタブルーナの狩人につかまり、鎖を奪われる。すると子らは白鳥になってしまう。鎖で小鉢を造るように言われた金細工師は、渡され鎖6個のうち1個だけで小鉢2個を造ることができたので、残りの5個の鎖と小鉢1個は手許に置いておく。マタブルーナはベアトリクスを犬と交わったと訴え証人を立てる。ベアトリクスの祈りを聞いて神が派遣した天使によって母の苦境を知ったヘリアス青年は偽証者と対決して打ち破り、母の無実を晴らす。金細工師から鎖を受け取ったヘリアスは城の池に現れた白鳥の首に鎖を掛ける。すると白鳥は人の姿に変わる。ただ、一羽の白鳥だけは人間にもどることができなかった。オリアントの後、ヘリアスが国政を採る。ある日、弟の白鳥が城の池で小舟を曳いてきて、彼は白鳥の導くままに旅に出る。 ここまでが物語の前半で、『ドロパトス』の変種といえる。後半は『パルチヴァール』の後日談「白鳥の騎士」の変種といえるもので、場所ばかりか時代も明確にされ、しかも子孫は第1回十字軍の英雄に結びついている 。時はドイツ皇帝オットー1世 (Otto I., Kaiser von Deutschland) の時代。当時アルデンヌ・リエージュ・ナミュール (das Ardennerland, Lüttich und Namur)もその治下にあった。皇帝はネイメーヘン (Nijmwegen)で議会を開催した。そこでフランケンブルク伯 (Graf von Frankenburg)がブイヨン公の妃クラリッサ (Herzogin von Billon(Boillon), namens Clarissa)を相手に、公が航海に出ている間に夫人は不義の娘を儲け、公を毒殺したと告発し、国土は自分に帰属すべきと主張した。そこにヘリアスが登場し、伯を打ち負かし、公妃の無実を証明する。ヘリアスは公妃の娘イダと結婚する。しかし、後にイダは素性を問わぬという約束を破り、ヘリアスは彼女のもとを去る。彼はリリフォルトに帰ると金細工師に小鉢を渡し、それで鎖を造らせる。それを白鳥の首にかけると、白鳥は青年に姿を変える。ヘリアスは修道院に入る。一方、ヘリアスとイダからは娘が生まれていたが、その娘は長じてボン伯オイスタヒアス(Eustachias)に嫁ぐ。彼らに3人の息子が生まれたが、長男が後に十字軍を率いて聖地奪還を果たすゴドフロア(Gottfried)、次男がエルサレム王になったボードゥアン(Baldewin)。父の名を継いだ末子は、「母以外の女性の乳を飲んだために」王者にはなれなかった。(この話は Utherの注によると、17世紀頃のオランダ語による物語を短くしたもの) 百年戦争のさなかイギリス王ヘンリー6世は、フランス国王シャルル7世の妃の姪、マルグリット・ダンジューと結婚したが、その婚礼の席でシュールズベリー伯により新婦に献呈された豪華本(「タルボット・シュールズベリー写本」)には「白鳥の騎士の物語」が含まれている。
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