「独眼竜」の由来とは? わかりやすく解説

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「独眼竜」の由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:00 UTC 版)

伊達政宗」の記事における「「独眼竜」の由来」の解説

伊達政宗が「独眼竜」のあだ名呼ばれるのは、江戸時代後期儒学者頼山陽賦し漢詩にまでさかのぼる。山陽没後天保12年1841年)に刊行された『山陽遺稿』に収められた「詠史絶句15首のひとつに、政宗に題をとったものがある。天保元年1830年)の作とされている。 横槊英風独此公 肉生髀裏斂軍鋒 中原未収雲雨 河北渾帰独眼龍 槊を横たふ英風独りこの公 肉髀裏に生じて軍鋒をおさむ 中原もしいまだ雲雨収まらずんば 河北すべて帰せ独眼龍出典伊藤谿注釈山陽遺稿注釈書藝界、1985年 頼成一伊藤吉三訳注頼山陽詩抄岩波書店岩波文庫〉、1944年独眼龍」は、もともと中国唐王朝末期各地割拠した軍閥首領1人で、その中で軍事的に最強謳われた李克用綽名である。たとえば『資治通鑑』巻第255に「諸将みなこれを畏る克用一目微眇なり。時人、これを独眼龍謂う」とある。ただし、漢字の「眇」には「片方の目が見えない」という意味と「一方の目が他方よりも小さい」という意味とがあり、李克用がどちらであったかははっきりしない隻眼伊達政宗をあえて李克用なぞらえたのは山陽詩的独創属する。 起句の「槊」は「ほこ(矛)」であり、魏の曹操赤壁の戦い前にして陣中武器小脇挟んで詩を賦したという伝説に基づき北宋蘇軾が『前赤壁賦』で「釃酒臨江、横槊賦詩、固一世雄也」と詠い、一代英雄として讃えたことを踏まえる曹操匹敵するほどの文武両道秀でた英雄は、日本では政宗だけだというのである承句は、同じく三国志英雄劉備の「髀肉の嘆」の故事踏まえたもので、そんな英雄政宗も平和の訪れとともに軍を収め、体がなまったことを嘆くようになったことをいう。 転句の「中原」は黄河中流域指し、唐の首都長安副都洛陽を含む地域であり、古代殷王朝周王朝以来中華文明中心地として栄えた地である。当時は、李克用終生仇敵である軍閥朱全忠支配下にあった朱全忠はのちに唐王朝から帝位奪い、自らの王朝後梁樹立する。ここでは政治・経済文化の中心地として、日本近畿地方比喩となっている。「雲雨」は戦乱比喩である。 結句の「河北」は現在の河北省の地ではなく漠然と黄河北側地域をいい、李克用本拠地晋陽現在の山西省太原市)が中原に対して黄河北方にあったことを指す。ここでは日本の東北地方の比喩である。中原戦乱終息しなければ、つまり、織田信長羽柴秀吉による天下統一事業あれほど急速に進展しなかったならば、東北地方全域政宗支配下入っていたに違いないと、山陽政宗が「遅く生まれてきた」ことを惜しんでいるのであるまた、政宗隻眼行者・満海上人の生まれ変わりであるという伝説は、政宗存命中の慶長末年のころ、遅くとも慶長19年1614年)には知られていた。

※この「「独眼竜」の由来」の解説は、「伊達政宗」の解説の一部です。
「「独眼竜」の由来」を含む「伊達政宗」の記事については、「伊達政宗」の概要を参照ください。

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