「独立」の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/20 19:16 UTC 版)
1960年代初頭、セボルガの花卉生産者協同組合長ジョルジョ・カルボーネは、セボルガが歴史上公国として持っていた独立を回復するべきだと主張するようになり、このことは次第に住民に受け入れられるようになった。1963年、住民はジョルジョ・カルボーネを元首として選出し、「独立」が宣言され、ジョルジョ・カルボーネはセボルガ公ジョルジョ1世として「即位」した。地元では、その「途方もない大きさ」に敬意が払われ、Sua Tremendità (英: Your Tremendousness)の愛称で呼ばれ(これは、君主や王族の高い地位に敬意を払う称号 Sua Altezza (英: Your Highness、「殿下」)のもじりである)、マスコミにもこの「敬称」が知られた。以来、ジョルジョ1世は2009年に死去するまで「セボルガ公」の地位に在った。1995年、「公国」の憲法が住民投票で採択された(賛成304、反対4)。 しかしこれはセボルガが公国としての地位を持っていることを意味しない。何人かはこの主張を一種の民間伝承だと考えているし、イタリア政府はセボルガをイタリア領とみなしている。
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