「台湾光復」と台湾の「脱日本化」とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「台湾光復」と台湾の「脱日本化」の意味・解説 

「台湾光復」と台湾の「脱日本化」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:56 UTC 版)

台湾光復」の記事における「「台湾光復」と台湾の「脱日本化」」の解説

日清戦争によって日本割譲された際の「祖国」は清朝であったが、満州族王朝であった清朝比べれば復興中国」を掲げ異民族王朝転覆させて成立した中華民国は、異な国家体制であっても台湾の人口大半占め漢民族にとっては清朝よりも「祖国」と呼ぶに相応し国家であった日本統治下の台湾ではその「祖国」に対す憧憬から少なからぬ台湾人中国留学し、また五四新文化運動台湾内での文化動向大きな影響与えていた経緯もあり、少なくとも台湾漢民族にとっては、祖国とは「中華民国」のことであった。したがって光復」後の台湾において「脱日本化」と「祖国化」(中国化)が文化政策絶対目標であり、最優先課題であることに問題余地はなかった。「光復」によって、台湾では様々な新旧交代が行われ、日本への割譲以来、再び全島規模において別離出会い錯綜した日本軍武装解除され、留任命じられた者以外は、引き揚げ準備追われた。台湾生まれ育った日本人にとってみれば、祖国日本への帰還とは見知らぬ異国への移住同然でもあった。一方で大陸からは国民党の「台湾支部」である「国民党台湾省執行委員会」が福建省から台湾移転してきたのをはじめとして、「祖国同胞」であり、か新し統治者である外省人や「半山台湾人政府関係者続々と来台してきた。台湾接収に際して国民党日本無条件降伏する前の1944年4月17日に「台湾調査委員会」を組織して接収工作準備進めていたが、長年の間台湾統治してきた台湾総督府に代わって、台湾新たな統治機関として設置されたのが「台湾省行政長官公署であった行政長官公署は、「祖国」へ復帰した台湾から日本的色彩排除するために次々と「脱日本化」の処理を打ち出した。まず変更求められたのが、「名称」であった1945年11月17日には、「台湾省各県市街道名称改正辨法」が制定され各県市の政府成立後2か月以内に、「甲;日本の人物記念する名称」(明治町大正町児玉町乃木町など)、「乙;日本国威宣揚する名称」(大和町朝日町など)、「丙;明らかに日本名である名称」(梅ヶ枝町・若松町旭町など)を「甲;中華民族精神発揚する名称」(中華路・信義路・和平路など)、「乙;三民主義宣伝する名称」(三民路・民権路・民族路・民生路など)、「丙;国家偉大な人物記念する名称」(中山路中正路など)に変更することが定められた。続いて12月には、「台湾省人民回復姓名辨法」が公布され皇民化運動日本名変更した者の名前の「祖国化」が図られた。原住民至っては、中国名自身選び届け出ることとされ、日本統治時代の「高砂族」が「高山族」に改められる同時に、「土蕃蕃族蛮族」といった差別的呼称使用禁止通達された。

※この「「台湾光復」と台湾の「脱日本化」」の解説は、「台湾光復」の解説の一部です。
「「台湾光復」と台湾の「脱日本化」」を含む「台湾光復」の記事については、「台湾光復」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「台湾光復」と台湾の「脱日本化」」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「台湾光復」と台湾の「脱日本化」」の関連用語

1
16% |||||

「台湾光復」と台湾の「脱日本化」のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「台湾光復」と台湾の「脱日本化」のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの台湾光復 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS