「台湾同化会」への加入から「台湾文化協会」への加入までとは? わかりやすく解説

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「台湾同化会」への加入から「台湾文化協会」への加入まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/12 02:45 UTC 版)

蔡培火」の記事における「「台湾同化会」への加入から「台湾文化協会」への加入まで」の解説

1907年明治40年)、台湾総督府国語学校師範部に入学し1910年明治43年)に卒業する公学校教員務めた1914年大正3年12月20日成立の「台湾同化会」に加わり、「ローマ字運動」を推進した。「ローマ字運動」とは、キリスト教長老会布教のため使っていた福佬語のローマ字表記法を民衆啓蒙のため普及させようとする運動である。「台湾同化会」は、台湾総督府の強い圧力により、翌1915年大正4年1月26日には解散させられたので、蔡培火教職離れることを迫られた。その後親友林献堂資金援助によって日本留学し東京高等師範学校理科第二部物理化学科)に合格する。これは台湾人による日本の大学専門学校入学第一号だった。1919年大正8年)、蔡培火奔走で、東京にいる台湾人留学生中心に啓発会」が発足した。「啓発会」は、「六三法」の撤廃目標としたが、資金難等のため、「新民会」に発展的に解消した1920年大正9年)の帰国後、1920年大正9年以降始まる「台湾議会設置請願運動」参加したまた、1921年大正10年蒋渭水提唱し林献堂先頭立って青年学生結集して台湾文化協会」が結成されると、これに加入した。さらに、「台湾民報」の創立にも協力した

※この「「台湾同化会」への加入から「台湾文化協会」への加入まで」の解説は、「蔡培火」の解説の一部です。
「「台湾同化会」への加入から「台湾文化協会」への加入まで」を含む「蔡培火」の記事については、「蔡培火」の概要を参照ください。

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