「台湾同化会」から「新民会」までの動きとは? わかりやすく解説

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「台湾同化会」から「新民会」までの動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 00:35 UTC 版)

日本統治下の台湾における台湾人政治運動」の記事における「「台湾同化会」から「新民会」までの動き」の解説

板垣退助呼びかけ応じた林献堂奔走により、1914年大正3年12月20日発足した台湾同化会」が、台湾人による合法的な反日統治活動最初である。「台湾同化会」は、日本人台湾人との親睦通じて日本人台湾人同化を図ることを表向き理由としていたが、真の目的台湾人日本人への同化よりも、日本人との平等な待遇求めるものであった。そのため台湾総督府による猛烈な弾圧を受け、わずか1か月解散命じられた。1918年大正7年)末には東京留学していた蔡培火により「啓発会」が林献堂会長選任して、「六三法」の撤廃目的として発足したいわゆる六三法撤廃運動」である。この「啓発会」も、成立後間もない翌年には人事を巡る内紛経費問題から解散したその後新たな団体作ることを痛感した林呈禄が、林献堂、蔡恵如らとともに1920年大正9年1月11日に「新民会」を設立した。「新民会」は、林献堂会長、蔡恵如を副会長、黄呈聰と蔡式穀を幹事選任した台湾の政治改革島民啓発目標とし、台湾人政治運動における最初機関発行物である機関紙『台湾青年』発行した

※この「「台湾同化会」から「新民会」までの動き」の解説は、「日本統治下の台湾における台湾人政治運動」の解説の一部です。
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