「台湾文化協会」の分裂から「台湾地方自治聯盟」への加入
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「蔡培火」の記事における「「台湾文化協会」の分裂から「台湾地方自治聯盟」への加入」の解説
1927年(昭和2年)1月3日、「台湾文化協会」が正式に分裂した。左派の連温卿が「(新)台湾文化協会」の労農階級路線を推し進めた。林献堂、蔡培火、蒋渭水らは、共に「台湾民衆党」を結成した。ところが「台湾民衆党」においても、蒋渭水による労働者農民運動を支持する動きに対して不満が募り、1930年8月、蔡培火は台湾地方自治聯盟に加入し、12月には台湾民衆党から除籍される。1937年、日中戦争の勃発とともに、蔡個人への軍部等からの圧迫が強くなったので台湾を離れて東京へ移住した。「味仙」という中華料理屋を開いて生活を維持したが、ときに警察に拘留されることもあり、1942年には上海へと転じた。
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