「台所論争」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 16:20 UTC 版)
「リチャード・ニクソン」の記事における「「台所論争」」の解説
詳細は「台所論争」を参照 1959年7月24日には「アメリカ産業博覧会」の開会式に出席するために、ソビエト連邦の首都であるモスクワを初めて公式訪問した。これは当時のフルシチョフ政権下におけるいわゆる「雪どけ」にともなう緊張緩和(一時的なものではあったが)などが背景にある。このニクソンのソ連訪問の折にフルシチョフをアメリカに招待し、そのまた返礼で当時の大統領アイゼンハワーのソ連訪問を実現するためのものであった。 この年の初め1月にニューヨークで「ソビエト博」が開催されて、出品された展示品は当時のソ連が誇るミサイルなどの軍事兵器を主力としたもので、対してモスクワでの「アメリカ博」の展示品はアメリカ生活文化の粋を集めたものであった。この時モスクワのソコルニキ公園で開催されたアメリカ博覧会の開会式は、ソ連のニキータ・フルシチョフ首相を招いて行われた。 ニキータ・フルシチョフ首相を会場内を案内している時に、ニクソンとフルシチョフの間で、会場内に展示してあるアメリカ製の台所用品や日用品・電化製品を前にして、アメリカにおける冷蔵庫の普及と宇宙開発の遅れ、ソ連の人工衛星「スプートニク」の開発成功と国民生活における窮乏を対比し、資本主義と共産主義のそれぞれの長所と短所について討論となった。 この際にニクソンは、感情的に自国の宇宙および軍事分野における成功をまくしたてるフルシチョフと対照的に、自由経済と国民生活の充実の重要さを堂々かつ理路整然と語った。その討論内容は冷戦下のアメリカ国民のみならず自由主義陣営諸国の国民に強い印象を残し、当時は米ソ間の「台所論争」 として有名になった。
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