「台湾文化協会」の分裂と「台湾民衆党」の成立
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「日本統治下の台湾における台湾人政治運動」の記事における「「台湾文化協会」の分裂と「台湾民衆党」の成立」の解説
台湾文化協会を離れた林献堂、蔡培火、蔣渭水らは、1927年10月10日に台湾最初の合法政党である「台湾民衆党」を結成した。同党は、「民本政治の確立、合理的経済組織の建設、及び社会制度の欠陥改除」を綱領とした。ここにおいて、台湾人による政治運動の団体としては、無産階級運動を立脚点とする「台湾文化協会」と、民族運動を立脚点とする「台湾民衆党」が併存するに至った。しかし、この「台湾民衆党」も、体制内改革を主張する穏健派の林献堂、蔡培火と体制改革を主張する急進派の蔣渭水との路線対立が生じる。加えて、「台湾民衆党」は、「台湾文化協会」ほどの勢いを得ることができなかった。
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