日本への帰還とは? わかりやすく解説

日本への帰還

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:01 UTC 版)

高田屋嘉兵衛」の記事における「日本への帰還」の解説

幕府は、嘉兵衛拿捕後、これ以上ロシアとの紛争拡大しないよう方針転換し、ロシアがフヴォストフの襲撃皇帝命令に基づくものではないことを公的に証明すればゴローニン釈放することとした。これをロシア側へ伝え説諭書「魯西亜船江相渡候諭書」を作成しゴローニン翻訳させた。この幕府事件解決方針は、まさに嘉兵衛予想合致するのだった1813年文化10年5月、嘉兵衛とリコルドらは、ディアナ号ペトロパブロフスク出港国後島向かった5月26日に泊に着くと、嘉兵衛は、まず金蔵平蔵国後陣屋送った次いで兵衛陣屋に赴き、それまで経緯説明し交渉切っ掛け作った。嘉兵衛ディアナ号戻り上述の「魯西亜船江相渡候諭書」をリコルドに手渡した。 リコルドが嘉兵衛を介して日本側に提出した謝罪文は、リコルドが嘉兵衛捕らえた当人であったという理由から幕府採用するところとならず、リコルドは他のロシア政府高官による公式の釈明書を提出するよう求められた。 日本側の要求承諾したリコルドは、6月24日釈明書を取りオホーツクへ向け国後島出発一方高橋と嘉兵衛らは6月29日国後島出発7月19日松前着いた高橋松前奉行服部貞勝交渉内容報告。そして8月13日ゴローニンらは牢から出され引渡地である箱館移送された。

※この「日本への帰還」の解説は、「高田屋嘉兵衛」の解説の一部です。
「日本への帰還」を含む「高田屋嘉兵衛」の記事については、「高田屋嘉兵衛」の概要を参照ください。

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