「俳優宣言」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 01:50 UTC 版)
「ラッパの永田」という異名を持つ永田雅一社長は、さっそく芸能記者らを帝国ホテル新館に集め、サプライズ記者会見を1959年(昭和34年)11月14日に開いた。記者会見の時間は、ちょうど松竹が『銀嶺の王者』の撮影で招いたトニー・ザイラーが来日する数時間前にぶつけた。社長が「ラッパ」だけに芸能記者らはあまり期待していなかったが、山本富士子の結婚発表かもしれないと集結していた。 ところが、作家の三島由紀夫(34歳)が大映と俳優の専属契約を結んだと発表され、三島本人が「新人の三島でございます」と登場したので、ドッと会場が笑いに包まれた。永田社長は、「西にコクトー、東に三島、東西軌を一にしてだな…」と語り出した。三島主演の俳優デビュー作は、三島のオリジナル作を白坂依志夫が脚色し、増村保造監督で来春公開予定、撮影は2月からと告知された。この時はまだ相手役は発表されなかった。 記者会見上で三島は、「文士とかインテリゲンチャーということは捨てて、”くずれた”ような役がやりたい。そして内容のあるアクションなどですね」と抱負を語り、瑤子夫人の反対は「亭主の権力で押さえつけました」とジョークを交えながら会場を沸かせた。瑤子夫人は夫の映画出演に猛反対したが、永田社長が彼女の実父の杉山寧を動かして説得した。 三島の映画主演のニュースは、「俳優宣言をした三島由紀夫」、「不敵に笑うタフガイ文士」などの見出しで大々的に各スポーツ新聞や週刊誌、一般紙で報じられた。わざわざ三島宛てに、「お前が映画俳優になれる顔かどうか、鏡をのぞいて見るがいい」といった中傷の手紙を出す輩もいた。 犬が人間にかみつくのではニュースにならない。人間が犬にかみつけばニュースになる。ぼくら小説家は、いつも犬が人間にかみつくことに、かみついてゐるわけだが、たまたま今度の場合、ぼくが俳優になるのは、人間が犬にかみつくやうなものだから、それでニュース・ヴァリューがあつたのかもしれない。 — 三島由紀夫「ぼくはオブジェになりたい――ヒロインの名は言へない」 新聞や週刊誌などでは、三島の主演映画は何になるかに関心が集まり、当初は『カルメン』の翻案映画にするという企画もあった。三島は自衛隊くずれのドン・ホセ的な主人公で、エスカミリオにはプロ野球選手役の川口浩を配し、三島は娼婦のカルメンに裏切られて死ぬという筋書きで、脚本担当者の白坂依志夫の談話付きの記事もあった。しかし、オットー・プレミンジャー監督の映画『カルメン』が日本で公開される話があり、この企画は没となった。 三島の「俳優宣言」のニュースは文壇でも注目された。三島は記者会見の数日後にフランキー堺と対談していたが、大岡昇平はそれを読んで、「フランキー堺が、映画俳優三島由紀夫に猛烈なライバル意識を燃やしている。これでお前が三枚目だってことが確認できた」、「性格俳優的なことをやれば、三島君はうまくやるだろう」と談話を寄せた。 十返肇は、「あんな長い顔でクローズアップしたらどうなるだろう? ドン・ホセじゃなくてドン・キホーテじゃないのか」と皮肉的にコメントし、五味康祐は、「文壇のためには繁栄でまことに結構」と激励した。大宅壮一は、「追いつめられた大映の救いの神になるかどうか」、「とにかく作家としても第一人者である三島氏にとっては積極的な経験となるだろう」と応援しながらも、「彼はスターとしてあるいは失敗するかもしれない」とも懸念していた。
※この「「俳優宣言」」の解説は、「からっ風野郎」の解説の一部です。
「「俳優宣言」」を含む「からっ風野郎」の記事については、「からっ風野郎」の概要を参照ください。
- 「俳優宣言」のページへのリンク