「信濃」の名称と由来とは? わかりやすく解説

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「信濃」の名称と由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 15:28 UTC 版)

信濃国」の記事における「「信濃」の名称と由来」の解説

古くは「しなぬ」と呼ばれ継体天皇条には「斯那奴阿比多」、欽明天皇条には「斯那奴次酒」と「斯那奴」(しなぬ)の字が充てられている。 「科野」の語源について諸説あるが、江戸時代国学者である谷川士清は『日本書紀通證』に「科の木この国に出ず」と記し賀茂真淵の『冠辞考』にも「(一説では)ここ科野という国の名も、この木より出たるなり。」と記しており、「科の木」に由来する説が古くから唱えられている。また賀茂真淵は「名義山国にて級坂(しなさか)のある故の名なり」とも記しており、山国地形から「段差」を意味する古語である「科」や「級」に由来する説を残している。他に「シナとは関連する言葉」とする説もある。また級長戸辺命しなとべのみこと風神)説もある。 小林敏男は、「シナ段差)」に由来する説を取った上でシナノという地名発生地を埴科・更科エリアであるとした。 7世紀代の信濃を記すものとして知られる唯一の木簡は、7世紀末の藤原宮跡から出土した科野伊奈評鹿□大贄と見えるもので、『古事記』にある「科野国造」の表記一致する当時科野と書いたようである。これが大宝4年704年)の諸国印鋳造時に信濃国改められた。「科野」は和銅6年713年)の『風土記』を境に、「信野」を経て信濃」へと移り変わっていく。長野県で最も古い「信濃国」の文字は、平成6年1994年)に千曲市屋代遺跡群から発見され、現在は長野県立歴史館所蔵されている8世紀前半715年740年)の木簡となる。『日本書紀』には信濃国について「是の国は、山高く谷幽し。翠き嶺重れり。人杖倚ひて升り難し。巌嶮しく磴紆りて、長き数千、馬頓轡みて進かず。」とある。 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、南宋から帰朝した禅宗留学僧によって「信州」と称されるようになった治承3年1179年)に仁科盛家が覚薗寺に寄進した千手観音像の木札に「信州安曇郡御厨藤尾郷」とあるのが初出である。

※この「「信濃」の名称と由来」の解説は、「信濃国」の解説の一部です。
「「信濃」の名称と由来」を含む「信濃国」の記事については、「信濃国」の概要を参照ください。

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