「信州」改称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 03:16 UTC 版)
2004年1月のインタビュー取材で、長野県を信州と改称することを検討していると発表。改称の理由として、「道州制に先立って州を作る」、「観光などでは信州という名前のほうが有利」などを挙げた。以降、ウェブサイトや自己紹介などでは、「信州・長野県知事」と名乗っていた(これ以降、長野県の公式サイトでも「長野県知事の田中康夫です」から「信州知事の田中康夫です」と書き換えられた)。 実際に「信州」の愛称を常用する人も多く、数々の「信州ブランド」があるものの、背景としては、中南信県民(田中自身も少年時代を松本市で過ごしている)が、「長野県」を「長野」と略称することを好まないことがある。このことを示すかのように、2003年9月26日に住民票を長野市から下伊那郡泰阜村に移している。この問題は訴訟に発展し、2004年11月18日には同村の選挙人名簿に登録したことの適否に関する裁判で、最高裁判所が上告を棄却し、田中は敗訴した。長野市の住宅を退去して、泰阜村、両親宅がある軽井沢町から通勤していた。また、2004年12月2日に、北佐久郡軽井沢町へ住民票を移転した。
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