「俺がルールブックだ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 01:44 UTC 版)
「二出川延明」の記事における「「俺がルールブックだ」」の解説
二出川の有名な語録として「俺がルールブックだ」がある。「私がルールブックだ」としているものもある。 1959年7月19日、毎日大映オリオンズ対西鉄ライオンズの第15回戦、8回裏大毎の攻撃で、二塁の中根之塁審がクロスプレーに対して「セーフ」のジャッジを下した。これに対して西鉄・三原脩監督が抗議したが、中根塁審はこれを拒み、「走者の足と送球が同時だったのでセーフだ」と付け加えた。三原監督は「どこにそんなルールがあるのか」と食い下がり、「同時はアウトではないのか」と聞いたところ、中根塁審は「同時はセーフとルールにも書いてある」と答えた。三原監督はその場を離れ、審判控え室に顔を出し、二出川に対し、同様の抗議を行った。二出川は中根塁審と同様の説明を行ったが三原監督は納得せず、「ルールブックを見せてくれ」と言った。これに対して二出川が「俺がルールブックだ」と告げ、抗議を退けた。 実はこの日に限って、二出川はいつも持っているルールブックを自宅に忘れていた。その日に「ルールブックを見せてくれ」と三原に詰め寄られたための、苦しまぎれの発言だった。 しかし、二出川と一緒に審判控え室にいた道仏訓の証言では、ルールブックを手にしていた道仏に三原が「そのルールブックを開いて、見てくれ」と言ったので、二出川が怒って「オレがいうんだから間違いない。早く行け!」と怒鳴り、この「オレがいうんだから間違いない」という言葉が、いつのまにかマスコミに喧伝されて、「俺がルールブックだ」という言葉になったのが真相と話している。この日、審判控え室にいたのは、二出川と道仏と小島多慶男の三人だけで、小島も「あれはそのままに、そっとしておこうよ」と道仏に話していたという。「小さい窓越しの三原と二出川のやりとりは、終始小島氏と私で聞いていた。試合後の談話に尾ひれがついて、新聞記者の誰かは知らないが、あの名文句をひねったと思う」と道仏は話している。ただ二出川は「俺がルールブックだ」と言ったといっていたという。 なお、公認野球規則ではアウトになる場合の定義として明確に、走者が塁に触れる前に野手が塁に触れる、とあるので(暗黙のうちに、ではあるが)論理的には同時の場合はセーフになる。従って、二出川や中根の判断に誤りはない。 当時の野球関係者の一部には、「同時はアウト」という誤った知識が流布しており、三原もそれを信じていた故のエピソードとも言える。
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