「人民予算」をめぐってとは? わかりやすく解説

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「人民予算」をめぐって

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 23:55 UTC 版)

アーサー・バルフォア」の記事における「「人民予算」をめぐって」の解説

大蔵大臣ロイド・ジョージ保守党支持基盤である地主土地貴族打撃与えるべく、「人民予算」(People's Budget)と呼ばれる予算案作成開始した。 この「人民予算」に含まれる土地課税は「土地国有化企むもの」として地主土地貴族強く反発した。彼らの声を代弁するバルフォア保守党政治家もこの予算案強く反対し、「赤旗予算The Red Flag Budget)」と批判した自由党内のホイッグ派(土地貴族が多い)も保守党と声を合わせるようになったため、結局土地課税についてはロイド・ジョージ自身骨抜き修正している。それにも関わらず、「人民予算」は1909年11月庶民院第三読会通過した後、貴族院から激し反発にあった。彼らはなおも土地国有化につながる法案信じていた。バルフォア11月28日に「貴族院法案否決すべきである」と演説した11月30日貴族院賛成75反対350という圧倒的大差で「人民予算」を否決した貴族院金銭法案否決するのは17世紀以来のことだった。これを受けてアスキス首相庶民院解散し総選挙打って出た1910年1月解散総選挙英語版)でバルフォアは「貴族院権限縮小反対」「関税改革」「海軍拡張」の3つ保守党公約掲げたこのうち関税改革は「関税改革失業減少させる」というスローガンセットにして行った。これは労働者層支持取り戻すのにかなり役立った見られている。選挙の結果自由党275議席保守党273議席アイルランド国民党英語版82議席労働党40議席となった前回比で自由党104議席減らし保守党はかなり失地回復果たした。 だがキャスティング・ボート握ったアイルランド国民党が「人民予算」を支持したため、自由党政権引き続き人民予算」の可決成立目指した。バルフォアの「人民予算」に対す態度依然として強硬見たアスキス首相1910年2月貴族院権限縮小する貴族院改革法案議会法)を一緒に提出した。これを警戒したバルフォア1910年4月に「人民予算」を採決なしで貴族院通過させる妥協姿勢をとった。

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「人民予算」をめぐって

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)

ウィンストン・チャーチル」の記事における「「人民予算」をめぐって」の解説

大蔵大臣ロイド・ジョージ1909年4月に「人民予算英語版)」を議会提出した。この予算ドイツとの建艦競争社会保障費によって財政支出膨大になったため、財政の均衡を図るために提出されたものだった。「人民予算」の増税案は所得税率の引き上げ相続税引き上げ累進課税性の強化、そして土地課税制度導入など富裕層から税金取り立てるのだった。しかし野党保守党は「富裕層から取るのではなく関税改革によって歳入増加を図るべき」と主張して人民予算反対した。 この論争イギリス社会二分された。チャーチルは「人民予算」を支持する者たちを糾合して「予算賛成同盟Budget League)」を結成した一方保守党のウォルター・ロングらはこれに対抗して予算反対同盟」を結成した世論支持チャーチルの「予算賛成同盟にあった。ただロイド=ジョージによればチャーチル従兄弟マールバラ公から圧力受けており、「人民予算」にいまいち熱心ではなかったという。 「人民予算」は1909年11月4日庶民院通過したが、保守党地主貴族牛耳る貴族院から「土地国有化を狙う社会主義予算」として徹底批判を受け、11月30日圧倒的大差否決された。これを受けてアスキス首相議会解散した1910年1月行われた解散総選挙チャーチルは再びスコットランドダンディー選挙区から出馬したが、スコットランドでは地主貴族保守党対す反発強かったので当選安泰だった。そのため選挙戦中、チャーチル自分選挙区よりも他の選挙区自由党候補応援演説駆け回った全国的に自由党苦戦強いられ選挙の結果は、自由党275議席保守党273議席アイルランド国民党82議席労働党40議席となった前回比で自由党104議席失った人民予算については自由党支持するが、海軍増強問題では大増強を訴え保守党支持するという者が多かったのが原因だった。この選挙自由党過半数失い以降アイルランド国民党労働党閣外協力得て政権維持することとなった。この両党の支持得て人民予算」は可決成立した

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