「人民予算」をめぐる貴族院との衝突
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「ハーバート・ヘンリー・アスキス」の記事における「「人民予算」をめぐる貴族院との衝突」の解説
大蔵大臣ロイド・ジョージは1909年4月に「貧困と悲惨を根絶するための戦争の戦費」と称して「人民予算(英語版)」を議会に提出した。この予算はドイツとの建艦競争や老齢年金などの社会保障費によって財政支出が膨大になったため、財政の均衡を図るために提出されたものだった。 人民予算には所得税率の引き上げ、相続税の引き上げと累進課税性の強化、そして土地課税制度導入が盛り込まれていた。 この予算はイギリス政界や世論を二分した。チャーチルらは人民予算を支持して「予算賛成同盟(Budget League)」を結成、対して統一党のウォルター・ロング(英語版)らは「予算反対同盟(英語版)」を結成してこれに対抗し、両組織とも激しい大衆取り込み・動員を行った。庶民院や国民からの支持は「予算賛成同盟」の方が強かったので、人民予算は庶民院を通過したが、貴族院からは「社会主義予算」「アカの予算」と徹底的な攻撃を受けた。とりわけ土地課税は地主貴族たちを刺激し、「土地の国有化を狙うもの」という批判が噴出した。結局貴族院は11月30日に人民予算を圧倒的大差でもって否決した。 これを受けてアスキスは「国民から人民予算の承認を得る」として12月3日に議会を解散し、総選挙に打って出た。選挙戦では自由党は貴族院の権限縮小、人民予算擁護、関税反対、社会改良実施、ウェールズ国教会廃止、アイルランド自治法案提出を公約に掲げて戦った。対する統一党は貴族院権限縮小反対、人民予算反対、海軍拡張をスローガンに掲げた。国民のムードとしては人民予算については自由党支持派が多かったが、海軍拡張では統一党を支持する者が多かった。 そのため1910年1月に行われた解散総選挙(英語版)は接戦となり、自由党は275議席、統一党は273議席、アイルランド国民党は82議席、労働党は40議席を獲得した。大勝した前回選挙と比べると自由党は104議席を喪失した。 とはいえ自由党はアイルランド自治法案提出を公約に掲げていたのでアイルランド国民党から人民予算支持を取り付けることができた。また労働党も人民予算を支持する立場を表明した。そのため人民予算は1910年4月20日に再び議会に提出され、庶民院を可決し、貴族院も無投票で通過し、4月28日に国王エドワード7世の裁可を得て成立した。 ただこの選挙によって国民が海軍増強を求めていることも明白となった。これによりアスキス内閣は改めて海軍増強路線に舵を切り、またロイド・ジョージら急進派閣僚も自由帝国主義化を強めていくことになる。
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