青森ねぶた
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ねぶた師
先述のように祭りのメインである山車、ねぶたを作る制作者のことをねぶた師という。明治時代ごろまでは、ねぶたが町内単位での運行であったため、有志が制作していたが、ねぶたを企業などが運行するようになると、次第に名の立つ制作者が注文を受けるようになった。昭和時代になると、雑誌などで制作者のことを「ねぶた師」というようになる。2023年現在、ねぶた師は16人で、それぞれ作風が異なる。
ねぶた師・製作団体一覧(敬称略、制作歴順 2023年度)
※()内は大型ねぶた制作デビュー年
千葉流
- 内山龍星(うちやま りゅうせい)(1987年〜)
- 青森市PTA連合会と消防第二分団ねぶた会・アサヒビールのねぶたを制作[13]。
- 竹浪比呂央(たけなみ ひろお)(1989年〜)
- JR東日本、青森菱友会(三菱)のねぶたを制作[14]。第7代ねぶた名人。下記参照。
- 立田龍宝
- 青森青年会議所、東北電力ねぶた愛好会のねぶたを制作。内山龍星の弟子。
- 手塚茂樹(てづか しげき)(2014年〜)
- マルハニチロ侫武多会のねぶたを制作。竹浪比呂央の弟子。
- 林広海(はやし ひろみ)(2017年〜)
- 日本通運のねぶたを制作。千葉作龍の弟子[15]。
- 吉町勇樹(よしまち ゆうき)(2022年〜)
- サンロード青森のねぶたを制作。千葉作龍の弟子。
- 野村昴史(のむら たかし)(2023年〜)
- プロクレアねぶた実行プロジェクトのねぶたを制作。竹浪比呂央の弟子。
北川流
- 北村隆(きたむら たかし)(1966年、1969年、1977年〜)
- ヤマト運輸、に組・日本風力開発(2022年よりスポンサーが東芝から日本風力開発へ変更)のねぶたを制作[16]。第6代ねぶた名人。下記参照。
- 北村蓮明(きたむら れんめい)(同上)
- 日立製作所、パナソニックのねぶたを制作。北村隆は双子の兄。
- 北村春一(きたむら しゅんいち)(2011年〜)
- NTTグループ、青森県板金工業組合のねぶたを制作。北村蓮明の実の息子である。
- 北村麻子(きたむら あさこ)(2012年〜)
- あおもり市民ねぶた実行委員会のねぶたを制作。北村隆の娘で弟子。青森ねぶた史上初となる女性のねぶた師。
- 塚本利佳(つかもと りか)(2023年〜)
- 青森山田学園のねぶたを制作。北村麻子に次ぐ史上2人目の女性ねぶた師。
荒川流
- 大白我鴻(おおしろ がこう)(2005年〜2007年、2009年〜)
- 青森県庁のねぶたを制作。
- 福士裕朗(ふくし ひろあき)(2023年〜)
- 青森市役所ねぶた実行委員会のねぶたを制作。これまでは五所川原立佞武多の製作者であった。
その他
- 諏訪慎(すわ まこと)(2004年〜)
- ねぶた愛好会のねぶたを制作。
- 有賀義弘(ありが よしひろ)(2005年〜)
- 陸上自衛隊青森駐屯地のねぶたを制作。
- 私たちのねぶた自主製作実行委員会(1974年〜)
- 特定のねぶた師によって制作はなされていないが、ねぶた師と同等の役割を果たす責任者(制作指導者)が制作の指揮をとっている。
ねぶた名人
それぞれの時代において、優れた功績を残したねぶた師には名人位が贈られており、2012年現在で6人のねぶた名人がいる。4代までは名人位認定に対する明確な基準は無かったが、5代と6代が認定されるにあたって実力や実績(制作期間、受賞歴、後継者たる弟子の育成等)に対する基準が制定されている。
代数 | 名前 | 生年月日 | 認定年月日 | 年齢 | 没年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
初代 | 北川金三郎 | 1880年12月26日 | 1958年8月22日 | 78歳 | 1960年 | それまで竹で大ざっぱに作っていたねぶたを、針金で丁寧に作り、蝋燭だった照明を電球と蛍光灯に替え、ねぶたに革命をもたらしたため、「近代ねぶた開祖」「青森ねぶた中興の祖」と呼ばれる。 |
2代 | 北川啓三 | 1905年3月21日 | 1985年6月7日 | 80歳 | 1988年4月6日 | 上記初代名人の息子で、父同様優れたねぶたを作り、第1回田村麿賞を獲得した。 |
3代 | 佐藤伝蔵 | 1925年12月26日 | 1986年8月11日 | (61歳)※ | 1986年8月8日 | 上記・北川親子の弟子。骨組みが少ないため平坦な作りであった顔の部分(面)を、針金を多用し、凹凸のある面にし、主流とさせた。華麗な色彩と大胆な構図の作りで、多くの制作者が尊敬の念を抱いている。前人未踏の田村麿賞4連覇の記録を持つ。田村麿賞受賞回数は8回。 |
4代 | 鹿内一生 | 1925年1月30日 | 1990年8月1日 | 65歳 | 1991年3月16日 | 馬のねぶたを得意とし、佐藤が華麗なねぶたを作ったのに対し、荒々しいねぶたで、作りが対照的であった。多くの弟子を育て我生会という一門を作り、結束力を強めた。田村麿賞受賞回数は7回。 |
5代 | 千葉作龍 | 1947年1月25日 | 2012年8月1日 | 65歳 | 存命 | 早くから頭角を現し、26歳での田村麿賞初受賞、28歳29歳での連覇という最年少記録を持つ。いくつもの新たな題材や表現方法に挑み芸術としての幅を広げ続けている。ねぶた大賞(田村麿賞を含む)受賞回数は11回。 |
6代 | 北村隆 | 1948年5月20日 | 64歳 | 北川敬三の弟子。ねぶた大賞(田村麿賞も含む)受賞回数は12回で最多記録保持者。 | ||
7代 | 竹浪比呂央 | 1959年 | 2023年4月27日 | 63歳 | 存命 | 千葉作龍の弟子。ねぶた大賞受賞回数は8回。また、最優秀制作者賞の受賞回数は9回で最多記録保持者。 |
※佐藤伝蔵は没後認定のため享年
かつて制作した主なねぶた師
明治〜大正時代
- 柿崎琴章(生没年不詳)
- 坂田金作(生没年不詳)
- 北川金三郎の師匠。
昭和時代
- 北川金三郎(1880年〜1960年)
- 初代名人。上記参照。
- 初めて馬をねぶたで作った。
- 北川啓三(1905年〜1988年)
- 2代目名人。上記参照。
- 千葉作龍(上記)の父で師匠。
- 独特な作風で、ねぶたのグロテスクの要素を確立させた。
- 佐藤伝蔵(1925年〜1986年)
- 3代目名人。上記参照。
- 佐藤利尚(1943年〜1984年)
- 16歳で1本立ちの最年少記録を持つ。1981年まで制作(1982年の制作も決まっていたが実現せず)。
昭和〜平成時代
- 鹿内一生(1925年〜1991年)
- 4代目名人。上記参照[17]。
- 石谷進(1932年〜2008年)
- 川村心生(1945年〜2000年)
- 2000年に急死[18]
- 穐元鴻生(1945年〜2006年)
- 白鳥芳生(1946年〜)
- 福井祥司(1947年〜)
- 佐藤伝蔵の助手であったが、1986年に佐藤が病に倒れ、制作途中のねぶた3台を引き継ぎ、完成させた。2007年まで制作。
- 渋谷昭雄(一擲)(1948年〜)
- 2003年まで制作。
- 村元芳遠(1950年〜)
- 自衛官で、自衛隊のねぶたを制作。定年退職により2004年まで制作。2013年まで青森自然公園ねぶたの里にてねぶたを制作していた。
- 穐元和生(1947年〜)
- 前述の穐元鴻生は実兄である[21]。
- 柳谷優浩(優碩)
- 外崎白鴻(1980年〜)
- 相馬寿朗(我鵬)
- 2011年、私たちのねぶた自主制作実行委員会でデビュー。相馬寿朗と私たち一同で制作。2015年まで制作。
- 千葉作龍(1947年〜)
- 京野和鴻(2007年〜)
- あおもり市民ねぶた実行委員会でデビュー。その後東北電力ねぶた愛好会と青森市役所ねぶた実行委員会で2022年まで制作。
ねぶた師の系列
かつてねぶた祭が有志による開催だった時代にはねぶた師と呼べるような人物が存在しなかったが、やがて腕の立つ者がねぶた師として制作するようになり、明治に入ると弟子を取る者も現れた。現在ではねぶた師を志向する者はほとんどが特定のねぶた師に弟子入りして手ほどきを受け、制作技術を磨いて一本立ちする。ただし中には特定の師匠を持たず独自に制作技術を身につけるねぶた師もいる。以下にその系列を示す。
千葉作太郎系
千葉作太郎を祖とする系統である。明治のねぶた師・柿崎琴章の流れを汲むとされる。5代名人・千葉作龍を輩出している。
- 千葉作太郎
- 千葉作龍
- 内山龍星
- 立田龍宝
- 竹浪比呂央
- 手塚茂樹
- 野村昴史
- 林広海
- 吉町勇樹
- 内山龍星
- 千葉作龍
※柳谷優浩(正式な弟子ではない)
北川金三郎系
明治のねぶた師、坂田金作を祖とする歴史ある系列である。また初代、2代、6代と実に3名の名人を輩出している。
- 坂田金作
- 北川金三郎
- 秋田覚四朗
- 佐藤利尚
- 北川啓三
- 北村隆
- 北村麻子
- 塚本利佳
- 北村蓮明
- 北村春一
- 石谷進
- 諏訪真
- 北村隆
- 秋田覚四朗
- 北川金三郎
佐藤伝蔵系
3代名人・佐藤伝蔵を祖とする系列である。佐藤伝蔵は北川親子の弟子であるため北川系の分派とも言える系統である。
- 佐藤伝蔵
- 福井祥司
- 木村富美男
- 有賀義弘
- 渋谷昭雄
- 山内岩蔵
我生会一門(鹿内一生系)
川村伯鳳を祖とする系統である。1965年に鹿内一生によって明確に一門とされた。4代名人・鹿内一生を輩出している。
- 川村伯鳳
- 鹿内一生
- 穐元鴻生
- 大白我鴻
- 京野和鴻
- 外崎白鴻
- 福士裕朗
- 川村心生
- 白鳥芳生
- 一戸意生
- 穐元和生
- 穐元鴻生
- 鹿内一生
※相馬寿朗[23]
- ^ a b 日本銀行仙台支店他「東北の主要夏祭の動向」、2015年9月16日、1頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 阿南透「条例制定とその後の青森ねぶた祭」『江戸川大学紀要』第25巻、江戸川大学、2015年3月15日、1-12頁。
- ^ “東北三大祭り 観客分散、観覧席削減…感染対策に腐心”. 産経ニュース (2022年7月30日). 2022年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 清川 繁人「条例制定とその後の青森ねぶた祭」『青森大学付属総合研究所紀要』第24巻第2号、青森大学付属総合研究所、2023年、13-20頁。
- ^ 青い森鉄道発行「駅周辺散策マップ 浅虫温泉駅」
- ^ 提言書(米子青年会議所)
- ^ “8月の「青森ねぶた祭」開催中止 地元経済への影響懸念”. 共同通信 (2020年4月8日). 2020年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月20日閲覧。
- ^ “青森ねぶた、2年連続開催断念”. Web東奥. 東奥日報社 (2021年6月2日). 2021年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月20日閲覧。
- ^ “青森ねぶた祭、3年ぶり開幕 「ラッセラー」で踊るハネトは抽選制に”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2022年8月2日) 2022年11月20日閲覧。
- ^ 函館市史通説編4 p677 - 691
- ^ 神田明神広報「ねぶたの吉良上野介がネオンで成仏する⁉ 神田明神で開催中の他にはない「体験型展覧会」へ」(神田明神・清水祥彦宮司)・吉良義央ねぶた(ねぶた師・北村春一制作)2019年12月28日
- ^ a b c d “県立図書館だより 青森県立図書館報/第27号”. 青森県立図書館. 2023年8月10日閲覧。
- ^ ねぶた工房 龍星
- ^ 竹浪比呂央ねぶた研究所
- ^ ねぶた画廊
- ^ ねぶた師 北村隆 公式ウェブサイト
- ^ 佞武多倶楽部どっとこむ 鹿内一生
- ^ 佞武多倶楽部どっとこむ 川村心生
- ^ 佞武多倶楽部どっとこむ 穐元鴻生
- ^ 佞武多倶楽部どっとこむ 白鳥芳生
- ^ 佞武多倶楽部どっとこむ 穐元和生
- ^ 佞武多倶楽部どっとこむ 外崎白鴻
- ^ 佞武多倶楽部どっとこむ
- ^ 各賞紹介(青森ねぶた祭オフィシャルサイト)
- ^ “東北の基層文化を探る③ 田村麻呂伝説と蝦夷復権”. あきた森づくり活動サポートセンター. 2019年9月19日閲覧。
- ^ 時の言葉「坂上田村麻呂」 青森地域社会研究所 (PDF)
- ^ 引用:[1]
- ^ “郷土の音楽:青森県”. 教育芸術社. 2023年8月9日閲覧。
- ^ “あすとろん第35号”. NPO法人花山星空ネットワーク (2016年). 2023年8月9日閲覧。
- ^ a b c 青森ねぶた祭、暴力動画が大拡散。県GDPの約1%を稼ぐ一大行事だけに地元青年会議所は幕引きに躍起も被害者の無抵抗ぶりに「暴力が常習化?」との憶測も | マネーボイス
- ^ 青森ねぶた祭でスタッフが「曳手」6人を殴打、動画拡散…標識にぶつかり「気合を入れ直そうと」 読売新聞
- ^ 青森市長「非常に残念」/ねぶた祭暴力問題 Web東奥
- ^ 「青森ねぶた祭」“暴力動画”の事実関係を説明「気合を入れ直すという気持ちで」 青森青年会議所が謝罪 ORICON NEWS
- ^ 青森ねぶた祭で引き手をたたく「気合入れ直すため」 運行団体が謝罪 朝日新聞デジタル
- ^ 青森ねぶた祭 クライマックスで曳手を“殴打” 動画SNSで拡散 テレ朝NEWS
- ^ 総合で放送できないときはNHK Eテレで放送(青森県内のみ)しかし、『NHK手話ニュース』が放送時間内にある場合、中継は一旦中断。
例:2016年、総合ではオリンピック中継、Eテレでは19:55から20:00の5分間手話ニュースを放送。 - ^ 前述のように当初総合で放送できないためにEテレで放送予定であったとしても、高校野球中継の延長で放送できなくなった場合は総合サブで放送し、Eテレで放送できるようになったらEテレに切り替えて放送されている。
例:2018年、18:55から20:45までEテレで予定されていたが、18:55から19:00は総合メイン、18:59から19:50は総合サブ、19:35から20:45はEテレといった変則的な編成になった。
15分だけ総合サブとEテレで同時放送したのは19:30までにEテレの高校野球中継が終わらず、19:30から20:43は総合で原爆の日のドラマを放送していたためで途中でメインとの切り替え・統合ができなかったためである。ちなみに19:50から20:43の総合サブはフィラー番組で対応したがEPG上では青森ねぶた祭りのままになっていた。 - ^ 2010年まではアナログでもサイマル放送。
- ^ 2018年・2019年はBS日テレ、2022年はBS11。
- ^ 生中継!青森ねぶた祭 ほとばしれ!北国の魂(リンク切れ、サイトは2018年のもの)
- ^ “ねぶた祭、最古の写真か 127年前に撮影”. 毎日新聞. (2018年7月31日) 2018年7月31日閲覧。
固有名詞の分類
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