決号作戦 背景

決号作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/01 04:59 UTC 版)

背景

日本政府大本営が「日米の天王山」と呼号して全力を注いだ比島決戦(フィリピンの戦い)では、1945年(昭和20年)1月9日のアメリカ軍ルソン島リンガエン湾上陸によって、フィリピンにおける日本軍の敗北がほぼ決定的なものとなり、同地の喪失とイギリス軍アメリカ軍などの連合国軍の本土進攻は時間の問題となっていた。

当時の日本軍は、マレー半島インドシナ半島南洋諸島中国南部、同盟国である満洲国内における制海権制空権は確保していたものの、アメリカ海軍イギリス海軍潜水艦や航空機の攻撃による輸送船、そしてそれを守る航空機の燃料、搭乗員や潜水艦の不足に加え、マリアナ海戦(1944年6月)とレイテ沖海戦(1944年10月)以後は、日本本土に隣接する沖縄から台湾島にかけての制海、制空権を既に喪失しており、さらに連合国軍の飛び石作戦が展開されたことにより、上記の勢力圏と内地の補給線が遮断され、これらの勢力圏からの燃料や物資の運搬のみならず、陸海軍の増援も自由に行えない状況に陥っていた。

さらに同盟国であるドイツ軍ヨーロッパ各地で敗北を重ねており、ドイツ本土にイギリス軍やアメリカ軍、ソ連軍などの連合国軍が侵攻していた上に、ドイツの敗北後にはソ連による対日参戦も予想されていた。

基本計画

大本営は検討の結果、連合軍の本土侵攻を遅延させ、その間本土の作戦準備態勢を確立するために『帝國陸海軍作戦計画大網』を1945年1月20日に定め、本土決戦への準備が進められていくことになる。この作戦計画は、「前縁地帯」つまり千島列島、小笠原諸島、南西諸島の沖縄本島以南、台湾などの地域に連合国軍が侵攻してきた場合、出来る限り抗戦して敵の出血をはかりつつ、軍備を整え、日本本土で大決戦を行うという日本海軍の漸減迎撃戦略が採用された。ちなみに、この計画大網で同時に立案された海軍案も裁可され、これは天号作戦(千島・小笠原・沖縄以南の南西諸島・台湾が対象地域の作戦)と呼称されている。

日本軍は、連合国軍が本土に侵攻してくる時期を1945年秋と予測していた。当時の敵情分析をした書類には、

わが本土攻略開始時期、方面及び規模などはなお予断を許さないが、わが、空海武力の打倒、空海基地の推進、日満支の生産及び交通の徹底的に破壊などにより戦争遂行能力の打倒し、大陸と本土との兵力機動を遮断し、そのうえ、十分な陸兵を集中指向を整えたのち、決行するのが至当な順序であろう。その時期は今後の情況により変化するが、本年秋以降は特に警戒を要するものと思考する[1]

とされており、連合国軍の日本本土侵攻(ダウンフォール作戦)のスケジュールとほぼ一致していた。

準備

陸軍

指揮系統の再編

1945年1月22日、陸軍は内地防衛軍の隷下にあった東部軍中部軍西部軍を廃止して、新たに作戦軍と軍管区を新設した。

これによって、作戦部隊と軍政部隊を分離し、作戦と軍政の分離を行った。

内地防衛軍は防衛総司令官が指揮し、直轄部隊として東京防衛のための第36軍第6航空軍があったのは、これまでと同様である。

また、内地防衛軍と同様に、北海道朝鮮半島台湾では北部軍朝鮮軍台湾軍が解体され

がそれぞれ置かれ、作戦と軍政の分離を行った。

ただし、細長い日本列島に展開された大軍の全てを単一の司令部で指揮することは困難であること、主戦場となることが予想された関東と九州は互いに離れており、組織を分離する方が好ましいことから防衛総司令部を廃止して第1総軍第2総軍および航空総軍を創設することとなり、1945年4月8日に戦闘序列が発令された。

第1総軍は鈴鹿山脈から東の地域(北海道・南樺太・千島列島を除く)を担当し、関東での作戦準備に重点を置いた。一方、第2総軍は鈴鹿山脈から西の地域を担当し、九州での作戦準備に重点を置いた。北海道・南樺太・千島列島の防衛は引き続き第5方面軍が行うものとされた。また、航空総軍は全国の陸軍航空部隊を統一指揮した。

作戦準備の基本方針

陸軍の作戦準備については1945年4月8日に大本営陸軍部が発令した『決号作戦準備要綱』に基づいて行われた。作戦は決一~七号に区分され、千島および北部軍管区方面を決一号、東北軍管区方面を決二号、東部軍管区方面を決三号、東海軍管区方面を決四号、中部軍管区方面を決五号、西部軍管区方面を決六号、朝鮮軍管区方面を決七号とした。担当軍は決一号が第5方面軍、決二~四号が第1総軍、決五・六号が第2総軍、決七号が第17方面軍とされ、敵主力の上陸が予想された決三号と決六号の準備を重点的に行うこととされた。

部隊の増強

1944年マリアナ諸島を喪失した頃の陸軍の総兵力はおよそ400万人ではあったが、マレー半島ビルマから、朝鮮半島満州国までという、日本軍の影響域に広く散らばって配備されていたことから、そのうち日本本土にあったのは、東部、中部、西部の各軍を合わせても約45万6千人で、総兵力のわずか11%に過ぎず、本土決戦を行うには兵力が不足していた。北海道千島樺太小笠原諸島南西諸島本土周辺部、軍学校などのおよそ41万2千人、航空部隊、船舶部隊などの人員約45万3千人を合わせても132万1千人であり、総兵力の3分の一程度に過ぎなかった。

兵力の欠乏を補うため、満州国や北方からの部隊転用に加え、根こそぎ動員と呼ばれる大規模な部隊新設と召集を実施した。根こそぎ動員は、以下の大きく3回に分けて実施された。

これらの動員によって、一般師団40個、独立混成旅団22個など約150万人近くが動員された。日本軍は、前述の侵攻予想時期を念頭に部隊の編成を実施した。しかし、期間や物資の制限から最終的には、兵力や装備が不足していても、編成が完結したと見なす方針が取られた。そのため、これらの師団は結局中途半端な人員・装備のままで配備されていった。

また、補助的な戦力として、防衛召集により緊急時に動員する特設警備隊地区特設警備隊も準備された。これらの部隊の装備状況は根こそぎ動員部隊に比べてもさらに悪かった。

海軍

指揮系統の再編

1945年4月25日、海軍総隊司令部が創設され、司令部は連合艦隊、各鎮守府、各警備府を含む海軍の全部隊を統一指揮することになった(海軍総隊司令部は連合艦隊司令部を兼務)。初代の海軍総司令長官は豊田副武大将(連合艦隊司令長官と兼務)が、5月29日からは小沢治三郎中将が務めた。(なお、小沢治三郎が司令長官に補職された際に、南東方面艦隊南西方面艦隊が海軍総隊より除かれて大本営直轄部隊に改められた。これは、両方面艦隊が遠隔地に取り残されており本土決戦には関与できなくなっていたことに加え、両方面艦隊の司令長官である草鹿任一大川内伝七両中将が、小沢とは海軍兵学校同期とはいえ、小沢より先任で彼の指揮下に入ることが慣例上できなかったことによる[2]。)

特攻部隊の配備

決号作戦における海軍の任務は、敵上陸船団を海上で撃破し敵上陸部隊にできるだけ多くの損害を与えることであった。しかし、海軍はすでに作戦艦艇の大部分を失い、わずかに残存していた主力艦も燃料不足のために移動すらできず、港に係留されたままの状態にあった。その上、資源不足のために航空機の生産も低調で、満足な数の航空機を配備することは不可能であった。もはや通常戦力による攻撃ができなくなった海軍は特別攻撃を主力攻撃手段にすることとし、大量の特攻兵器の整備を進めた。1945年7月末時点での特攻兵器は、蛟竜73隻、海龍252隻、回天119隻、震洋2850隻(うち陸軍のものは700隻)であり、9月末までに、特殊特攻機およそ1,000機の生産を目標としていた[3]。これらの特攻兵器を配備した部隊は「突撃隊」と呼ばれ、複数の突撃隊によって特攻戦隊(第1~第8、第10の計9戦隊)が編成された。特攻戦隊は鎮守府および警備府に所属し、鎮守府・警備府担当海面での作戦を行うものとされた(ただし、第10特攻戦隊だけは連合艦隊に所属した)。

陸戦・防空部隊の拡充

軍港および要港所在地での陸上作戦は海軍の担当とされたため、海軍でも陸上戦闘部隊の拡充が行われた。鎮守府・警備府では複数の特別陸戦隊によって連合特別陸戦隊が編成され、本土の要地には警備隊根拠地隊が設置された。これらの部隊の中には硫黄島の戦いにおける硫黄島警備隊や沖縄戦における沖縄方面根拠地隊のように、陸上での戦闘に参加し壊滅した部隊もあった。

行政・民兵等の整備

軍事上の要望と国民の権利を調整するために、『軍事特別措置法』が施行され、船舶港湾などの一元的運営、地方行政組織の臨戦化も計られた。

正規の陸海軍部隊以外に、国家総武装として国民戦闘組織の構築が図られた。陸海軍への従軍を規定する兵役法と別に、新法の『義勇兵役法』が1945年6月に公布され、男子は15歳から60歳(当時の男子平均寿命46.9歳)、女子17歳から40歳までが召集可能となった。これらの人員により、国民義勇戦闘隊を組織する計画であった。対象年齢者以外も、志願すれば戦闘隊に参加することが可能で、それ以外の者は戦闘予測地域からの退避が予定されていた。


  1. ^ 戦史叢書『本土決戦準備<1>関東防衛,防衛庁防衛研修所戦史室著・朝雲新聞社
  2. ^ 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書93 大本営海軍部・聯合艦隊〈7〉―戦争最終期―』朝雲新聞社
  3. ^ 狩野信行『検証 大東亜戦争史 下巻』2005年、ISBN 4-8295-0360-2






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