決号作戦準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 23:23 UTC 版)
美濃部は、沖縄での敗戦が明らかになった頃には軍高官らに「これ以上戦っても勝算がありません」と発言し、切腹して天皇にお詫びするべきだったと戦後語っている。芙蓉部隊は沖縄作戦から終戦までの成績は、出撃回数81回、延べ786機が出撃、未帰還機43機、延べ機数に対する損失率は5.5%、搭乗員戦死者は89名、総戦死者103名。あるいは未帰還機は零戦16機、彗星37機、計53機、搭乗員戦死者92名、整備員戦死者13名、総戦死者105名である。敵をほとんど発見できなかった索敵任務を除き、飛行場攻撃や特攻機誘導などの戦闘任務だけを見れば、延べ341機の出撃で37機を喪失し損失率は10.9%になる。これは、多くが日中攻撃で芙蓉部隊より激烈な迎撃を受けていた沖縄戦における同期間内の日本海軍の通常攻撃機(艦船、地上攻撃を含むすべての攻撃、爆撃機)の損失率とほぼ同じ水準であった。芙蓉部隊の元整備兵慎田崇宏は、「全軍特攻」の世相の中で「夜間攻撃」を選択した美濃部の選択を正しかったが、多くの戦果を挙げた分だけ、他の部隊より多くの犠牲者を出してしまったと語っている。 芙蓉部隊があげた戦果報告の合計は、潜水艦1隻撃沈(アメリカ軍に該当の被害記録なし)、戦艦1隻撃破、巡洋艦1隻撃破、大型輸送船1隻撃破(戦艦撃破については芙蓉部隊の戦闘詳報に記録がなく、アメリカ軍記録にも該当の被害記録なし。巡洋艦、大型輸送艦についても芙蓉部隊が撃破したと報告した4月6日にアメリカ軍に該当の被害記録なし)、敵機夜戦2機撃墜(うちP-61の1機は該当するアメリカ軍の損害記録なし)、飛行場大火災3回、飛行艇1機炎上、テント1個炎上を報告している。 美濃部は決号作戦(本土決戦)で、あたためていた対機動部隊用の特攻戦術(詳細は「特攻」節を参照)を実践するため、最終出撃に加わる24機分の編成表を作り上げた。芙蓉部隊は日本軍の他の部隊と異なり、出身別の軋轢や階級別のわだかまりも少なかったので、特攻出撃の搭乗員名簿は兵学校出身者、予備士官、予科練出身者が分け隔てなく選抜されていた。美濃部は常に指揮官率先を主張しており、最後の特攻には自身も出撃するつもりであった。残された整備員たちは、上陸してきたアメリカ軍戦車隊を志布志街道迎え撃ち、樹上に吊り下げた航空爆弾の投下と、山上から航空燃料のドラム缶に火をつけ戦車に向けて転がして攻撃し、たこつぼ塹壕に潜んだ志願者が爆弾を抱えて戦車に自爆体当りを敢行、最後には一兵たりとも後退することなく、全員が付近住民も巻き込んで、敵軍兵士もろとも設置した爆雷で自爆するという戦術を考案していた。
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