木造不動明王立像とは? わかりやすく解説

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木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 3482
枝番 00
指定年月日 1999.06.07(平成11.06.07)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  妙法院護摩堂本尊である。莎髻(後補)を頂き、髪は毛束を編んだようにし、左耳前に弁髪垂らす眉根寄せ両眼を瞋目、開口し、上歯牙を現し下唇を噛む。顔をやや右方に向け、条帛、裙(折返二段、裾正面膝上までめくれ上がる)、腰布着け腰帯を巻く。左腕体側沿って垂下させ持物羂索)を執り右腕は屈臂して、右脇腹前で持物宝剣)を執る正面向き、左膝をやや曲げて踵を上げ足先開いて立つ。
 左手垂下させて羂索執り右手屈して剣を持つ通形の不動明王立像であるが、両眼見開き上歯牙で下唇を噛む面相部の表現教王護国寺講堂不動明王像国宝)に先例のある、いわゆる大師様図像に基づく古様な表現をなしている。
 ヒノキ材と思われる針葉樹材一木造で、彫眼、頭躰幹部両足下の〓を含んで一材より彫出する。莎髻(後補)、弁髪各別材。左腕は肩、右腕は肩・臂で矧ぐ
 膝までめくれ上がった裙を着けるのは仁王経五方諸尊図中の不動像にみられるが、同様の表現黄不動にも通じ天台真言両方存在している。さらに足の踵を上げ表現は、長門国分寺像(重文)など数例が指摘されているものの珍しく、毛束を編んでいるような髪もまた他に類例をみない。このように本像は図像的に初期不動像の図像則りながら、部分特殊な形式をも用いており、不動明王図像定型化する以前様相示しているものと考えられる
 本像の肩や腕、脚部などの肥大した逞しい像容衣文明瞭な輪郭線の表現など、その作風には平安前期特色うかがわれるが、見開いた眼や剥き出した上歯牙はひときわ大きく表現されこうした忿怒表現例え教王護国寺御影堂像(国宝)に近く、本像はそれをより誇張した感があり、その製作も御影堂像と同じく九世後半ころに位置づけられよう。
 護摩堂前身は、『常住金剛院縁起によれば比叡山常住金剛院で、当院美福門院一一七-六〇年)の御願よるもので、その後寛文年間一六六一七三年)に現位置移されたものと推定される。本像の製作が常住金剛院創建以前平安前期さかのぼることから、他の堂宇から移安されたものと考えられそうすれば当初から比叡山伝来していた可能性考えられるこうした伝来やその古様な表現から本像が天台不動古例との見方もある。現在表面後世古色おおわれているものの、本躰の保存状態きわめて良好であり、また初期天台不動彫刻遺例少ないこととともに、その図像希少性造形的優秀性は大い推賞しうるもので古格ある優品とされよう

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 420
枝番 00
指定年月日 1916.08.17(大正5.08.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 455
枝番 00
指定年月日 1900.04.07(明治33.04.07)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 686
枝番 00
指定年月日 1911.08.09(明治44.08.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 718
枝番 01
指定年月日 1921.04.30(大正10.04.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1211
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王立像〈(伝円仁作)/〉

主名称: 木造不動明王立像〈(伝円仁作)/〉
指定番号 883
枝番 00
指定年月日 1903.04.15(明治36.04.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 1010
枝番 01
指定年月日 1926.04.19(大正15.04.19)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安鎌倉
年代
検索年代
解説文: 平安鎌倉時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 1229
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 1290
枝番 01
指定年月日 1928.08.17(昭和3.08.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 1674
枝番 00
指定年月日 1919.04.12(大正8.04.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 1779
枝番 00
指定年月日 1925.08.25(大正14.08.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 3491
枝番 01
指定年月日 2000.06.27(平成12.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  現在高野山霊宝館に安置される半丈六不動明王毘沙門天像で、もと千手院観音堂本尊千手観音像の両脇侍と伝えられる不動明王像はほぼ通形の形姿を示すが、毘沙門天像は宝塔持たない不動明王毘沙門天組み合わせる構成は、天台寺院に多く遺例の上でも滋賀明王院像や京都峰定寺像(共に重文)など平安時代以降現存作例は多いが、本像は真言系の最古例である。
 両像ともヒノキ材の寄木造で彫眼とし、表面は錆下地彩色仕上げ一部に布貼あり)とする。不動明王は、頭躰幹部通して左右二材矧、内刳のうえ割首するか。背面に一材を矧ぐ両足部は各前面材と共木彫出する。両肩・右臂・両手首、両足先を各矧ぐ毘沙門天は、頭躰幹部が四材製で、内刳のうえ割首する。両側前後材の間にマチ材を挟む。左足前後材から、右足は躰幹部前面材からそれぞれ彫出(後半材は割り矧ぐ)。両肩・両上膊半ば(右は袖先を含む)・左肘・両手首・腰部左右に各一材、両足先を各矧ぐ
 毘沙門天像は頭部大きプロポーションで、誇張気味の見開いた目の表現など著しく古様であり、その製作は一一世紀後半から一二世紀前半ごろとみられる一方不動明王像の方は細身となり、いくぶん表現穏やかさが増すので、毘沙門天像よりやや遅れるころの製作と考えられる構造のうえからも両像に違いがみられ、製作時期若干の差があるとはいえ、両像とも動き少な温雅な表現にまとめられており、一具として伝来したのである
 さらに本二像は当初彩色文様が非常に良く残っていることが特筆される。本像の文様表現は、一二世紀ごろの京都作例に多い幾何学的小振り文様とは異なり大振りで、切金文様少なく彩色文様主体とする。毘沙門天像の表甲と浄瑠璃寺四天王像国宝持国天像の裙には、頭部花弁状になり装飾化した鴛鴦描かれており、他にも浄瑠璃寺像に類似する文様がある。
 千手院創立については不明であるが、記録等によれば上人【れんいしょうにん】(?-一一三二年)が再興し千手観音および不動毘沙門天意の造営になるという。毘沙門天像内に記される結縁交名には「意母尼尊霊」とあることから、寺伝のとおり本像が上人造営になることが確かめられる。さらに、同銘記中には春宮大夫藤原公□」とあり、これを鳥羽天皇春宮大夫であった藤原公実一〇五三一一七年とすれば彼の春宮大夫在位期間である康和五年(一一〇三)から嘉承二年(一一〇七)ころに毘沙門天像の製作が求められる。他にも銘記中には当時高野山関連史料散見する人名記されている。
 不動毘沙門天造像盛んに行われたが、本像のように平安時代遡る大作少なく製作年代特定できる作例としてその保存状態良好さともあわせて貴重な遺例である。

木造不動明王立像〈(帆不動)/〉

主名称: 木造不動明王立像〈(帆不動)/〉
指定番号 1793
枝番 00
指定年月日 1908.01.10(明治41.01.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 1803
枝番 00
指定年月日 1908.01.10(明治41.01.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像〈/(波切不動)〉

主名称: 木造不動明王立像〈/(波切不動)〉
指定番号 1817
枝番 00
指定年月日 1908.01.10(明治41.01.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 1863
枝番 00
指定年月日 1942.12.22(昭和17.12.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 1933
枝番 00
指定年月日 1902.07.31(明治35.07.31)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 1960
枝番 00
指定年月日 1913.08.20(大正2.08.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 2034
枝番 01
指定年月日 1918.04.08(大正7.04.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 光背建暦三年二月三日造立ノ銘アリ
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 不動光背銘 1213
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王立像〈/(護摩堂安置)〉

主名称: 木造不動明王立像〈/(護摩堂安置)〉
指定番号 2051
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 2140
枝番 00
指定年月日 1915.08.10(大正4.08.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 3347
枝番 02
指定年月日 1979.06.06(昭和54.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  両像ともの四材で主要部造り玉眼【ぎよくがん】嵌入、布貼りを施して彩色するが、特に毘沙門天【びしやもんてん】像の繊細華麗な文様など平安朝風の優雅さをよく残している。しかし奥行の深い自然な体部モデリング控え目な姿態力強さ内蔵する表現更には堅固な寄せの法などから鎌倉時代入って造像考えられる不動明王像はこれよりやや遅れての製作と思われるが、現在一具として安置されている。当地方は東大寺復興をなした重源栄西関わりの深い土地で、このような南都奈良正系を継ぐ優品が伝来したのも不思議でない

木造不動明王立像(西園寺護摩堂旧本尊)

主名称: 木造不動明王立像(西園寺護摩堂旧本尊
指定番号 3510
枝番 0
指定年月日 2003.05.29(平成15.05.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  鹿苑寺ろくおんじ不動堂脇壇に安置される不動明王像である。鹿苑寺は、足利義満応永四年(一三九七)に西園寺家より北山第譲り受け北山殿きたやまどの造営行ったのに始まる。西園寺元仁元年一二二四)に藤原西園寺)公経によって創立され、本像は西園寺護摩堂本尊として、翌嘉禄元年一二二五)に造立された。鹿苑寺となってからも長く当地伝えられ近世では石不動本尊とする不動堂に客仏として安置されている。
 頭髪現状総髪にするが、毛束(まばら彫)を頭部前半右方集め頭頂後半は下から梳き上げる。頂、莎髻、弁髪等はあらわさない両目嗔目、上歯牙で下唇を噛む(X線透過写真によれば像内頭部下口両端より金属製の牙〈か〉を付ける)。上半身裸形乳頭をあらわす)にし、下半身に裙を着す左手屈臂し、掌を上にして持物羂索けんさく】)を執り右手垂下してやや屈臂させ、手首内側屈して腹前で第一・二指(第三四・五指は伸ばす)で持物宝剣)を執る。顔をやや右に向け、右足をやや踏み出して立つ。立像ありながら左腕深く曲げ右手の指二本だけで宝剣執るという姿は彫像には遺例がなく、白描図像石山寺不動二童子像が面相動勢等のうえで図像的に最も近い石山寺本を参照すれば当初右手二本で剣の柄を摘むようにし、刀身を肩にかけていた可能性がある。
 構造は、ヒノキ材と思われる針葉樹材用い、頭体幹部は左肩口から裙裾中央やや左寄りに至るやや斜めの線で左右二材に矧ぐ右方の材で頭部を彫出する)。さらに右方の材は、体幹部材背面肩下あたりの高さで水平に鋸引きをし、体幹途中まで截り、頭頂より両耳後ろ位置で頭体部前後に割矧ぐ内刳施し体部背面肩から裙裾にかけて背板(腰やや上で上下二材)を当てる。両鼻孔、右耳孔を各貫通させ、玉眼を外から嵌入する。左手肩・肘手首右手は肩・手首、全指先両足先を各矧ぐ両足裏より足内部丸棒差し込み足〓【あしほぞ】とする。
 頭部を一材より彫成し肩口より左右二材を矧ぎ合わせる技法類例少ないが、京都国立博物館の二躯の不動明王像一一世紀および一二世紀)があり、また、材をやや左斜めに矧ぎ合わせるのも木寄法としては変則的だが、三十三間堂二十八部衆像中の散脂大将像(国宝)にも同様な技法認められ鎌倉前・中期慶派仏師などにおいてはさまざまな技法駆使していることが知られる。ほかにも玉眼を外から嵌め仕口は、山口・源久寺平子重経(沙弥西仁)像(重文)や金峯山寺蔵王権現像(安禅寺旧本尊重文)などにわずかにうかがえる
 本像はほかにも特異な表現多く頭髪現状によれば弁髪つくらず、しかも毛束のみで毛筋あらわさず鑿目を粗く残している。X線透過写真参照する髪際等間隔に短い釘が打たれており、当初頭部はここに動物あるいは植物繊維毛髪貼り付けて頭髪形成していたもの想像される。また体部上半身裸形下半身は裙のみをあらわしているだけなので、この上実際に条帛、腰布着していたもの考えられる頭部別の毛を取り付ける像は彫像では類例がほとんどなく、また着装像も肖像あるいは神像あらわされることが多い。阿弥陀如来地蔵菩薩など仏像着装像もあるが、不動明王像新出である。着装像はいわゆる生身しょうじん信仰よるものとされ、本像について『増鏡』には「生身明王」と記されており、近世記録類も本像が生身像で貼毛、着装していたことをうかがわせる記述がある。
 西園寺創立期遡る遺品で、特異な図像仕様による稀有作例として、このころ信仰を知るうえでも重要な作例といえる

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 3363
枝番 00
指定年月日 1982.06.05(昭和57.06.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に不動明王火界呪慈救呪及び康平七年五月三日、仁覚の記がある
員数 1躯
時代区分 平安
年代 1064
検索年代
解説文:  近年補作された両手除いての一材から造り前後に割矧【わりは】ぎ、内刳【うちぐ】りを深く施す。躰部の内刳り面には梵字不動明王火界呪慈救呪修理記及び康平七年一〇六四)閏五月三日天台沙門仁覚【しやもんにんかく】の供養願文等の墨書があり、それによって、藤原道長の孫で寛治七年一〇九三)第三十七天台座主【ざす】になった仁覚(一〇四五一一〇二)の青年期における護持仏と推測されている。
 像は、すらりとした長身で、忿怒相貌穏やかに品よくまとめ、条帛や裳の襞褶を軽快薄く刻むなど、洗練された典雅な作風を示す。製作の時期は、銘にいう康平七年それほど遡らない思われ当代規準作例一つ数えられる

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 3456
枝番 01
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  等身不動明王毘沙門天立像で、不動巻髪天地眼、牙上下出のいわゆる十九観様の形相で、毘沙門天左手宝塔捧げ持ち右手で宝棒を持つ姿である。ともにカツラの縦一材より頭体幹部を彫出し前後割って内刳(裳底部抜ける)を施した上で割首を行う。体部背面には上下二材を矧ぐこうした構造技法加え、両像は眼や頬を突起させる癖のある顔立ち共通し一具の像として作られたことが明らかである。小振り頭部腰高長身の姿や、穏やかな怒り表現、浅い彫り口などには平安時代後期特色顕著である。その作風には多少洗練を欠くところがあり、在地仏師の手になることも考えられよう。
 本寺にはやはり平安後期の作になる半丈六薬師如来坐像重要文化財)が伝わるが、用材が同じカツラであることから、本一具がその脇侍像として造られ可能性考慮すべきであろう。製作の時期十二世紀前半推定されるが、一説天永三年一一一二)と伝えられる本寺創建期の作とみて矛盾がない。
 現在、表面近世施され粗悪な彩色覆われているため、像容著しく損なわれているが、本体木部は健全で、不動像の岩座大半や、毘沙門天像の光背邪鬼なども当初のものを残しており、保存状態良好である。不動毘沙門一対信仰造像天台始まり平安以降盛んになったことはよく知られているが、平安時代さかのぼる例は意外に少なく、本一具はこの種の大型遺品として貴重である。

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 230
枝番 00
指定年月日 1941.11.06(昭和16.11.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像(室堂安置)

主名称: 木造不動明王立像(室堂安置
指定番号 231
枝番 00
指定年月日 1941.11.06(昭和16.11.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 236
枝番 00
指定年月日 1941.11.06(昭和16.11.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 318
枝番 00
指定年月日 1914.04.17(大正3.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 334
枝番 00
指定年月日 1937.05.25(昭和12.05.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王立像

主名称: 木造不動明王立像
指定番号 342
枝番 00
指定年月日 1923.03.28(大正12.03.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品
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彫刻:  木造不動明王立像  木造不動明王立像  木造不動明王立像  木造不動明王立像  木造不空羂索観音坐像  木造不空羂索観音坐像  木造不空羂索観音坐像

木造不動明王立像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 00:07 UTC 版)

弘憲寺」の記事における「木造不動明王立像」の解説

1913年大正2年8月20日指定

※この「木造不動明王立像」の解説は、「弘憲寺」の解説の一部です。
「木造不動明王立像」を含む「弘憲寺」の記事については、「弘憲寺」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「木造不動明王立像」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


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