九世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/22 04:37 UTC 版)
九世茂山千五郎正虎(文化7年5月17日(1810年6月18日) - 明治19年(1886年)5月11日)は、江戸時代後期から明治時代初期の狂言師。別名千吾・千作。 京都の呉服商佐々木甚兵衛浄喜の子として生まれ、初めは忠三郎と名乗った。8歳で茂山久蔵英政(八世千五郎)に入門し、3年後にはその養子となる。文政4年(1821年)、禁裏に召されて御用を務めるが、この年養父が死去、12歳の千五郎には茂山家継承は無理と思われた。だが、千五郎は本家筋に当たる江戸の大蔵流家元を頼って修業を重ねる。16歳の時、家元より茂山家再興を命じられて京都に戻る。天保8年(1837年)に彦根藩の御用となる。後に同藩の藩主となった井伊直弼に重んじられた。また、禁裏御用にも復帰して茂山家の再興を果たす。明治維新以後の混乱期にも京都の伝統的な狂言を守り続けた。
※この「九世」の解説は、「茂山千五郎」の解説の一部です。
「九世」を含む「茂山千五郎」の記事については、「茂山千五郎」の概要を参照ください。
- >> 「九世」を含む用語の索引
- 九世のページへのリンク