時宗とは? わかりやすく解説

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じ‐しゅう【時宗】

読み方:じしゅう

浄土教系の一宗で、平生臨終の時と心得て称名念仏する宗派鎌倉時代一遍智真によって開かれ地方遊行(ゆぎょう)し、賦算(ふさん)を行い民衆教化した総本山神奈川県藤沢市清浄光寺遊行宗。臨命終時宗。


時宗

読み方:ジシュウ(jishuu)

鎌倉時代中期浄土宗西山派から分派したもの。

別名 一向宗遊行宗神勅宗


じしゅう 【時宗】

鎌倉中期一遍智真開いた浄土系宗派遊行宗とも。神奈川県藤沢清浄光寺遊行寺)が本山阿弥陀経を主とし、平生臨終時と心得えて念仏することを教える。一遍門下時衆呼んだので時衆宗といわれたが、江戸時代に時宗の宗名が定められた。念仏勧進のため全国巡教する遊行と、お札配り賦算布教し、伊勢神宮熊野神社などの神道利用した一二派に分かれたこともあるが現今は七派。→ 一遍 時衆 清浄光寺

時衆/時宗(じしゅう)

一遍上人一遍智真:1239-1289)の開創した、鎌倉新仏教宗派一つ宗派としては時宗と呼ばれその構成員は自らを時衆と称した。時衆の宗教儀礼である「踊り念仏」は、盆踊り誕生きわめて大きな意味を持つ。

時衆の特徴は、①宗教的儀礼として「踊り念仏」を盛んに催したことと、②開祖一遍をはじめ時衆が全国漂泊回遊(=「遊行」)する遊行聖として布教つとめことである。その足跡陸奥から薩摩まで文字通り全国におよび、結果として踊り念仏全国念仏踊り芸能母体となった考えられる中世教団実態閉鎖的なものではなく構成員は「一向宗」とも深く交じわるものであったらしい。

歴史的には、時衆は先行する融通念仏念仏信仰ベースとしている。
一遍自身融通念仏勧むる聖」と言われ融通念仏であった一遍たくさんの人を集め集客手法融通念仏から学んだ。彼が人々配った南無阿弥陀仏六十万人決定往生」の賦算(ふさんふだ)と呼ばれるが、この賦算という方式融通念仏が得意とする集客手法であった(このは現在でも藤沢遊行寺遊行上人により配られている)。
一遍取り入れた踊り念仏も、実はすでに融通念仏芸態としていたものであった。しかし、中世中~後期における踊り念仏全国的普及には、やはり一遍と時衆教団貢献大きいと考えられる

一遍死後14世紀末から15世紀全国的に教線を伸ばしたが、16世紀には衰退して本願寺教団などに拠点を奪わることもあった。注目されるのは、中世時衆の拠点都市的な場であったことであり、時衆遺跡存在中世都市指標一つにもなっている。たくさんの人への布教目指す時衆は、必然的に都市的な場所を拠点選んだ踊り念仏から盆踊りへの変化考え上でも、中世都市問題への注目が必要となる。
中世の時衆はまた、死者供養・鎮送の役割担っていた。戦国時代、時衆はしばし戦場現れ戦死者供養行ったこの際催され大念仏踊り念仏が、後の盆踊り発展する契機となった考えられる

江戸時代になると、時衆は幕府により統制される全国回国する「遊行上人」と、引退後の「藤沢上人」の両頭体制であった

一遍上人事績伝え史料としては、弟子聖戒絵師円伊による「一遍聖絵」と、二祖他阿真教の「一遍上人絵伝」が有名。史料的価値が高いのは「聖絵」である。平成15年春の研究で、聖絵における一遍はもともと全裸描かれていたことが判明徹底した捨聖」(すてひじりとしての姿が明らかになり、関係者衝撃与えた


時宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/25 04:35 UTC 版)

時宗(じしゅう)は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教。開祖は一遍鎌倉仏教のひとつ。総本山は神奈川県藤沢市清浄光寺(通称遊行寺)。


  1. ^ 吉川清『時衆阿弥教団の研究』、金井清光『一遍と時衆教団』、金井清光/時宗文化研究所『時衆研究』、『時衆文化』(時衆文化研究会)、大橋俊雄 編著『時衆過去帳』
  2. ^ 時宗と一遍上人 - ウェイバックマシン(2014年1月30日アーカイブ分) - 時宗総本山 遊行寺


「時宗」の続きの解説一覧

時宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:36 UTC 版)

彦島」の記事における「時宗」の解説

西楽寺 発端彦島十二祖の植田氏岡野氏百合野氏が彦島来島してきた際に迫町安置した平重盛守り本尊である阿弥陀如来本尊で、これを一遍従者、西楽法師本村に「西堂山西楽庵」を立てて移したのである西南戦争のときは戦争により負傷した兵士病院としても使われた。山号正覚山で現在の彦島本村町にある。 また、本尊(正式名称:阿弥陀如来坐像)は昭和60年1985年12月19日下関市有形文化財指定された。この本尊天武天皇白鳳6年678年)に仏師の賢問子に作らせた仏像であるという言い伝えあり、かつては東大寺安置されていたとも言われている。その後承安4年1174年)に平重盛壇ノ浦の戦い敗戦したのち、守り本尊として十二祖らと共に彦島渡った寺内には石碑入口付近と端にそれぞれ1つずつある。碑文以下の通り旧字を含む場合()で現在一般的に使われる文字示した。(入口付近石碑) 平重盛守護佛(仏) 彦島開闢尊像安置 (端) 山林二反六畝廿一歩 寄附(付)者下関市豊前田町本豊三郎 現住岸學(学)雄代 維持大正九年六月四日 卋(世)話人阿波田亦吉

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時宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 05:25 UTC 版)

戒名」の記事における「時宗」の解説

古くは「阿弥陀仏」号を付けた観阿弥世阿弥はその崩れである。現在では男性にその略である「阿」号、女性には「弌」(いち)号をつけるのが原則である。阿弥陀仏号は重源が「南無阿弥陀仏」と自称したことを起源とし、成仏したことを意味する女性当初阿弥陀仏であったが、一遍は「一房」号や「仏房」号を与えた。「一仏乗」からとったという。弌号はその名残りである。

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時宗

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甲斐国の仏教」の記事における「時宗」の解説

時宗を創始した一遍智真1239年-1289年)は諸国遍歴遊行行い信濃国佐久郡伴野荘踊念仏開始する甲斐国には二世他阿真教1237年-1319年)によりもたらされ一蓮寺甲府市太田町)をはじめ長泉寺北杜市須玉町)、一行寺笛吹市春日居町桑戸)、九品寺笛吹市御坂町成田)、称願寺笛吹市御坂町黒駒)、西念寺(富士吉田市)などの寺院創建されている。真教一遍没後諸国遊行し神奈川県清浄光寺などに写本伝来する遊行上人縁起絵」には甲斐国遊行する真教描かれている。 「遊行上人縁起絵」巻7には中河笛吹市石和町)で和歌書き与える姿が描かれ、巻8では小笠原道場南アルプス市小笠原)で説法中に乱入した日蓮宗徒と法論を行う場面や、御坂峠越え河口富士河口湖町)に至り同行した板垣入道別れ相模国至り持仏堂に篭った板垣入道真教御影前に往生遂げ場面描かれている。 「遊行上人縁起絵」詞書には年紀記されていないため真教甲斐国遊行時期ルート不明であるが、甲斐の時宗寺院おおむね遊行上人縁起絵」に記されるルート上に立地している。 真教甲斐国遊行前に北陸地方から信濃国至り永仁2年に(1294年信濃善光寺参籠し、一遍ゆかりの佐久郡伴野荘歳末別事催している事情から、甲斐国へは永仁3年巨摩郡北部から入国した可能性考えられている。 真教遊行助力したのが甲斐源氏の一族で、甲斐一条氏一条時信真教帰依し、弟の宗信(法阿弥陀仏朔日)が弟子となり正和元年1312年)に一蓮寺創建される。また、遊行上人縁起絵」に描かれる板垣入道武田信義の子板垣兼信の子孫であると考えられている。

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時宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:29 UTC 版)

大師 (僧)」の記事における「時宗」の解説

証誠大師一遍(1239-1289)踊り念仏布教遊行上人とも。時宗開祖

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時宗

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鎌倉文化」の記事における「時宗」の解説

鎌倉時代中期に「遊行上人」と呼ばれた一遍は、熊野権現神託により念仏信仰深め身分の上下や貴賤の別、穢れ有無、また善人悪人区別さらには信心有無をさえ問うことなく万人阿弥陀仏によって救われるのであり、その喜び念仏によってあらわされるべきだと説いた。北は陸奥国江刺から南は薩摩国大隅国に至る諸国遍歴し、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と刷られ配り阿弥陀仏への感謝踊り表現する踊念仏通じて民衆武士教えをひろめた。この教えは、その場居合わせた人がつくる集団という意味で当初は「時衆」と呼ばれた。これが今日の時宗である。一遍生前に自らの著作全部焼いてしまったが、死後弟子たちが『一遍上人語録』としてその教義をまとめた。 一遍没後他阿弥陀仏真教)があらわれ遍歴をつづけながら時衆まとめていったが、その後他阿弥陀仏直系遊行派)と奥谷派、六条派、四条派一向派など他の諸派 のあいだに様々な確執緊張ともないながら、時宗の教団確立されていったこうした状況は、一遍他阿弥陀仏同様、当時各地遍歴する聖が多数いてみずからの教えをひろめていた事実反映している。時宗の本山神奈川県藤沢市清浄光寺である。

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