鎌倉新仏教とは? わかりやすく解説

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鎌倉仏教

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 05:33 UTC 版)

鎌倉仏教(かまくらぶっきょう、英語: Kamakura Buddhism)は平安時代末期から鎌倉時代にかけて新たに広まった日本仏教 の宗派を総称して使用される。奈良、平安時代の旧仏教の鎌倉時代における復興も含めて鎌倉時代の仏教全体を総称して使用される場合もあり明確な規定はない。


注釈

  1. ^ 黒谷別所は、比叡山の山中にあっても本寺である延暦寺とは別組織であり、官僧から離脱したの住む場所であった。いわば、官寺と俗界の境界的な場であるといえる。松尾(1995)p.30
  2. ^ 浄土宗開宗(法然回心)の時期をもっと後のこととする説もみられる。井上光貞は1190年「三部経釈」著述以前のある時期、赤松俊秀は1175年以降、福井康順は1204年以降など。
  3. ^ 『法然上人行状絵図』などでは実際に執筆にあたったのは安楽房遵西や真観房感西などであった。松岡正剛の千夜千冊『選択本願念仏集』
  4. ^ 虎関師錬『元亨釈書』では「能読」「能声」「能説」を総称して「音芸」と記している。
  5. ^ 現在、愛媛県松山市道後の宝厳寺門前に「一遍上人御誕生旧蹟」の碑が立っている。
  6. ^ 遊行派もふくめのちに時宗12派とよばれる。黒田(1979)p.226
  7. ^ 「旃陀羅(せんだら)」は、インドの最下層のヴァルナよりさらに下位に位置する被差別民「チャンダーラ」を漢音訳したものである。村上(1981)p.98村上重良は、そこから日蓮の出自を寺院の隷属民の出身だったと推定しているが、入間田宣夫は荘官クラスの子弟、尾藤正英は一般庶民の出身、松尾剛次は漁師の子としている。村上(1981)p.98入間田(1991)p.294尾藤(2000)p.106松尾(1995)p.33
  8. ^ 1271年(文永8年)に片瀬(神奈川県藤沢市)の龍ノ口でひそかに斬殺されようとした日蓮が天の御加護により助かったという龍ノ口法難は、後世に創作された伝説と考えられている。村上(1981)p.101
  9. ^ 「一念三千」とは、一瞬の思念のなかに三千世界の実相をみるという意味である。尾藤(2000)p.109
  10. ^ 奈良時代の華厳宗の僧良弁とは別の人物である。
  11. ^ 比叡山延暦寺の立場と日蓮の立場とは相違がみられるものの、両者は、禅に対する攻撃については、禅宗が止観・法華を排除ないし軽視していることを理由とする点で共通している。それに対し、栄西は建仁寺に禅のほか真言・止観の両業をおいている。多賀(1965)pp.94-95
  12. ^ 無住沙石集』(1283年成立)では栄西が権僧正に任じられたことを、「遁世の身でありながら僧正になったのは、遁世僧は非人のように蔑まれていたので、いわば遁世僧の地位の向上のために僧正になったのだ」と弁護している。松尾(1995)p.33
  13. ^ 建長寺2世の兀庵普寧(1197年-1276年)も宋からの渡来僧であるが、時頼死後は支持者を失って帰国した。鎌倉事典(1992)
  14. ^ 室町幕府の将軍足利義満もまた、臨済宗を保護し、宋の官寺の制にならい「五山十刹の制」を設けた。
  15. ^ 1240年代から14世紀なかばまでの約100年間で30名ほどの中国からの渡来僧、200名以上の渡海僧が確認されている。村井(2004)pp.67-69
  16. ^ 中世における禅林は多民族的な世界から成り立っており、さかんに文化交流がおこなわれて「アジアの国際社会」を創出していた。村井(2004)pp.83-86
  17. ^ 寺社造営料唐船として鎌倉幕府公認のもと建長寺船が南宋に、室町幕府公認のもと天龍寺船が元に、送られている。
  18. ^ 道元の妹の生んだ子が土御門天皇であり、承久の乱に連坐して配流された三上皇の一人である。ただし、乱には無関係で自ら土佐国に赴いた。
  19. ^ 永平寺は、1244年(寛元2年)に建てられた大仏寺が起源であり、その2年後、中国に仏教が伝わったとされる後漢の元号永平にちなみ、また、戦乱の世を倦いて「永久平和」を願ったところから改称された。
  20. ^ 『正法眼蔵』の書名は、真理を見通す知恵の眼(正法眼)によって悟られた秘蔵の法を意味している。村上(1981)p.97
  21. ^ 時間論については、75巻本中第20巻「有時」が「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり」の一節とともに知られており、マルティン・ハイデッガーアンリ・ベルクソンの時間論に匹敵する時間哲学と評される。松岡正剛の千夜千冊『正法眼蔵』
  22. ^ 社会の上層階級と結ぶ臨済宗と庶民に広まった曹洞宗とを対照させて「臨済将軍、曹洞土民」の語も生まれている。村上(1981)p.98
  23. ^ 承久の乱で幕府軍の指揮官として京にのぼり初代六波羅探題となった北条泰時は高弁と出会っており、泰時が執権就任後に定めた『御成敗式目』の理念は高弁の思想から強い影響を受けたといわれる。
  24. ^ 松尾剛次は、高弁(明恵)を祖師とする教団を「新義華厳教団」と呼んでいる。松尾(1995)p.37
  25. ^ 現在では真言宗の寺であるが、江戸時代にあっては「御寺」と呼ばれ、歴代天皇の墓、月輪陵があった。
  26. ^ 松尾剛次は、叡尊を祖師とする教団を「新義律宗教団」と呼んでいる。松尾(1995)p.38
  27. ^ 叡尊が授戒した人数にくらべて親鸞の直弟子は75人であり、鎌倉時代にあっては親鸞の教団は決して代表的な教団とはいえなかった。松尾(1995)p.180
  28. ^ 東大寺大勧進職には、1181年養和元年)から1527年大永7年)まで、中断をはさみ46人が任じられているが、鶴岡八幡宮別当をつとめた第6代大勧進の定親をのぞくとすべて遁世僧であった。松尾(1995)p.70
  29. ^ 『八宗綱要』における「八宗」とは、『興福寺奏状』で記された「八宗」と同様、法相宗倶舎宗三論宗成実宗華厳宗律宗の南都六宗および天台宗真言宗の平安二宗のことである。
  30. ^ 密教系からは、鎌倉時代の13世紀前半ごろ、荼枳尼天を祀り「髑髏本尊」という性的儀式を行う名称不明の密教集団(便宜上「彼の法」集団と呼称)が現れたが、弾圧を受け、14世紀前半ごろに消滅した[44]。この集団は密教系であり、真言宗をある程度模してはいるものの、その血脈は正統な真言密教のものではない[45]。なお、通俗書や、研究者によって書かれた書籍でも2000年代以前のもの(例えば村上(1981)pp.107-108)では、この性的儀式団体を真言宗醍醐派三宝院系の正統な法流である真言立川流と混同するものが多いが、21世紀現在の研究では史料批判によって誤解であると判明している[44](詳細は「彼の法」集団#歴史)。
  31. ^ 叡尊は、戒律と密教(真言宗)を二本柱としてとらえ、両者を「日月のごとし」(戒律が太陽であるなら密教は月である)と論じて、両者不可分であることを説いている。松尾(1995)p.159
  32. ^ 黒田による「顕密体制」の議論は、『日本中世の国家と宗教』のほか「中世寺社勢力論」(1975)『寺社勢力』(1980)などに収載されている。佐藤(1991)p.97
  33. ^ 仏法王法相依論とは、『興福寺奏状』第9条「仏法王法なお身心のごとし。互にその安否をみ、宜しくかの盛衰を知るべし」に端的に示された考えで、仏法(八宗)と王法(公家政権)の共存共栄を説く思想である。佐藤(1991)p.92
  34. ^ 松尾は特に、「(親鸞)聖人のつねのおほせには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなり」(『歎異抄』)における親鸞の述懐を、悩める「個人」の述懐であり、阿弥陀の救済対象がまさしく「個人」であったことの証左と評価している。松尾(1995)p.165
  35. ^ 戦国時代に「旧仏教」と臨済宗五山派が凋落し、日蓮宗・浄土真宗・曹洞宗などが自立・発展を遂げたことから「戦国新仏教」の呼称を提唱する立場もある。平雅行「中世史像の変化と鎌倉仏教(2)」(2008) (PDF)

出典

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  59. ^ a b 松尾(1995)pp.50-60
  60. ^ 松尾(1995)pp.120-141
  61. ^ 松尾(1995)pp.82-102
  62. ^ 松尾(1995)pp.104-118
  63. ^ 平(1984)p.254
  64. ^ 平(1984)p.290






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