鎌倉時代中期とは? わかりやすく解説

鎌倉時代中期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:56 UTC 版)

日本刀」の記事における「鎌倉時代中期」の解説

鎌倉幕府承久の乱後鳥羽上皇争い、「御成敗式目」の制定により武士の全国支配確固たるものにさせ、必然的に鎌倉武家文化の中心地となっていった。こうした変化に伴い武士用い武器需要がますます高まり、それに応じて山城国栗田国綱備前三郎國宗福岡一文字助眞はじめとする刀工一族鎌倉集まった承久の乱敗れた際に隠岐島流され後鳥羽上皇は、そこでも刀を制作したとされ、後世御作残した。こういった事実はこの時代世相をよく物語るものとなっている。また、この時代寺院権力化に伴う僧侶武装化刀剣界に影響与えている。大和国では寺院お抱え刀工群が生じたが、寺院公家武家以外の一大勢力変化していくのに伴い刀工の各流派はしだい各宗派影響力がある地域へと移住しそのことによって寺社刀工流派双方影響を及ぼすようになった寺社権力強大化を恐れた幕府六波羅探題通して1228年高野山僧徒などに武装禁止する命令下しまた、1235年に再び禁止令を徹底しようと試みたいずれも失敗し、この時代流れに逆らうことはできなかった。 鎌倉時代中期になると、実用性重視した結果身幅広く元幅と先幅の差も少なくなり、平肉がよくついてくる。鎌鋒は幅が広く長さ詰まって猪首(いくび)となり、質実剛健気風がよくでている。剛健な武家文化の特徴をよく表した強さが刀にも反映され鎌倉初期見られ傾向がより顕著になっていき、堅牢な武具断ち切ることが可能なように造り込み変化していった。反りに関して前時代のものと比べる浅くなっており、鎌倉末期から南北朝期作品特徴的な中間反りがくるような姿になる過渡期にあった地鉄全般的に多様化しており、備前鍛冶の作にみられるように匂出来映り雲煙のごとくたなびくものが多くあらわれようになったまた、一文字派の吉用の例では、地景映り断続的にあらわれ第二刃文確認できるように地は変化に富む。この時期刃文歴史上、最も美しく華やかなものとされ、備前山城の作にみられるような大房丁子乱れが多く流行した。 この時期短刀特徴としては、反りがないか(刺刀:さすが)、わずかに内反り(棟が研ぎ減った考えられているかあるいは元から筍反:たけのこぞりと呼ばれる筍造:たけのこづくり)になっており、反りのないものと振袖形ふりそでがた)がある。この頃から短刀制作活発になり、作例がしばしば見うけられる同時期の著名な刀工としては、備前国福岡一文字派吉房吉平・吉用・吉宗・吉家・吉包・助眞・助依・則包、同国片山一文字の則房、同国備前三郎派の國宗國貞同国古長船の光忠長光山城国栗田口派の國綱有國・國清・則國・國吉・吉光同国来派國行國俊同国綾小路派の定利大和国千手院力王・金王、備中国古青江派の守次・助次・俊次・包次、周防国仁王派の清綱・清久、薩摩国波平派の家安などが存在する短刀 厚藤四郎粟田口吉光作、国宝東京国立博物館

※この「鎌倉時代中期」の解説は、「日本刀」の解説の一部です。
「鎌倉時代中期」を含む「日本刀」の記事については、「日本刀」の概要を参照ください。

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