おおすみ‐の‐くに〔おほすみ‐〕【大隅国】
読み方:おおすみのくに
⇒大隅
大隅国
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大隅国(おおすみのくに、旧字体:大隅國)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属し、現在の鹿児島県の東部に属する。
注釈
出典
- ^ a b c 日隈正守 「大隅国における建久図田帳体制の成立過程」
- ^ 『鹿兒島縣史』 第一巻/第二編 國造時代/第四章 國造縣主の設置と諸豪族
- ^ 竹森友子, 「南島と隼人 -文武4年覓国使剽劫事件の歴史的背景-」 『人間文化研究科年報』 Vol.22 p.69-84 2007, 奈良女子大学大学院人間文化研究科, ISSN 0913-2201
- ^ 日隈正守「島津荘に関する一考察 : 成立期を中心に」『鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編』第66巻、鹿児島大学、2015年3月11日、1-13頁、ISSN 0389-6684、NAID 120005600960。
- ^ 日隈正守 「大隅守菅野重忠殺害事件の背景に関する一考察」
- ^ 鹿児島県歴史資料センター 黎明館 『黎明だより』 『黎明 vol.34 No.2』 2016年8月1日
- ^ 『古事記』神代記。
- ^ a b c 『日本歴史地名大系 宮崎県の地名』(平凡社)p. 27。
- ^ 『日本歴史地名大系 宮崎県の地名』(平凡社)p. 28。
- ^ 『続日本紀』巻第2、大宝2年8月丙申(1日)条、10月丁酉(3日)条。新日本古典文学大系『続日本紀』一の58-61頁。
- ^ 『続日本紀』巻二 大寶二年八月丙申条。「薩摩多褹。隔化逆命。於是發兵征討。遂校戸置吏焉」。
- ^ 明治12年4月8日太政大臣三条実美通達
- ^ 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律
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