まんぷく‐じ【万福寺】
萬福寺
名称: | 萬福寺 |
ふりがな: | まんぷくじ |
名称(棟): | 大雄宝殿 |
名称(ふりがな): | だいゆうほうでん |
番号: | 0597 |
種別1: | 近世以前/寺院 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1913.04.14(大正2.04.14) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 京都府 |
都道府県: | 京都府宇治市五ヶ庄三番割 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺、正面月台附属 |
時代区分: | 江戸中期 |
年代: | 寛文8(1668) |
解説文: | 萬福寺は中国僧隠元によって開創された黄檗宗の大本山である。伽藍の造営は寛文元年(一六六一)からはじめられ、延宝七年(一六七九)までに一応の完成をみたが、その後も若干の新築や再建等があり現在に至っている。 伽藍の配置や堂舎の建築様式は、中国の明代末期から清代初期の仏教建築の影響を受けたもので、近世建築史上価値が高い。 現在、大雄宝殿等十七棟が重要文化財に指定されているが、これに位牌堂である祠堂、切妻造の大庫裏、徳川歴代将軍の位牌を祀る威徳殿の三棟を加え、特色ある伽藍全体の保存を図る。 |
万福寺
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 14:57 UTC 版)
萬福寺(まんぷくじ)は、京都府宇治市にある黄檗宗の大本山の寺院。山号は黄檗山。本尊は釈迦如来。日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した黄檗宗の中心寺院で、明出身の僧隠元を開山に請じて建てられた。建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で[1]、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有する。
注釈
- ^ 巡照板は早朝4時と夜9時に修行僧が叩いて時間を知らせるものであり、板面に書かれた偈文を唱え、修行のいましめとするものである。寺内5箇所に巡照板がある。
出典
- ^ 『今日から役立つ仏教』99頁正木晃執筆
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内利三編『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』1982年
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 大本山 萬福寺 (平成9年11月1日). 株式会社 便利堂. ed. フォトガイドマンプクジ
- ^ 日本における中国道教神の信仰
- ^ 受賞対象名 - 展示館 [黄檗山萬福寺第二文華殿] - GOOD DESIGN AWARD
- ^ 岡本望『やさしい宇治の歴史』文理閣 2006年 p.100
- ^ 「京都のお寺のラーメン!10月13日、宝蔵院に「寺そば(ヴィーガンラーメン)」がオープン!濃口しょうゆ味たべてきた【宇治市】」【ALCO】2022年10月31日付
- ^ 『禅の寺』阿部理恵著 禅文化研究所発行 2009年7月 143p
- ^ 『禅の寺』阿部理恵著 禅文化研究所発行 2009年7月 143p
- ^ 木村得玄『初期黄檗派の僧たち』春秋社 2007年
- ^ 当該ツイート 元競輪選手・高松美代子twitter - 2017年5月11日
- ^ 【伏見俊昭と特別指導訓練】たくあんを食べる音さえ許されないお寺の生活、そして忘れられないカレー味のほうじ茶…netkeirin 2023年9月4日
- ^ “懐かしの黄檗山”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2015年10月30日) 2018年5月7日閲覧。
- ^ http://www.motivation-up.co.jp/
- ^ http://www.motivation-up.co.jp/zendera/
- ^ [1]
萬福寺(まんぷくじ・地図)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:18 UTC 版)
「烏山寺町」の記事における「萬福寺(まんぷくじ・地図)」の解説
浄土真宗本願寺派に属し、本山は西本願寺である。創建当時は江戸浜町にあり、1626年(寛永3年)に了信という僧侶が開基となったと伝わる。1657年(明暦3年)に発生した明暦の大火によって全焼した別院浅草御堂に従って、築地に移転した。関東大震災によって堂宇や庫裏などをことごとく焼失した。1928年(昭和3年)に烏山の現在地に移転した。所在地は北烏山5-13-1。
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