修正説(内戦説、統一説、解放説、誘因説)
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「朝鮮戦争」の記事における「修正説(内戦説、統一説、解放説、誘因説)」の解説
朝鮮戦争は、「朝鮮戦争=(統一のための)内戦説」「朝鮮戦争=誘因説」という学説がある。李栄薫や重村智計によれば、この動きはブルース・カミングスの1981年の著書『朝鮮戦争の起源』が導火線であり、学界ではこれを「修正説」と呼んでいる。朝鮮戦争については伝統主義と修正主義(修正説)という相反する見解があり、朝鮮戦争は北朝鮮の南侵から勃発したと解釈するのが伝統主義であり、対して日本の植民地支配からの解放、アメリカ・ソ連による分割占領、南北政府の樹立へと連なる構造のなかで戦争が勃発したと解釈するのがカミングスに代表される修正主義となる。修正説は、「学問的というよりは、政治的意図を含む研究」「北朝鮮と金日成首相に責任を負わせず、アメリカを非難するための理論であった。その政治的な目的と動機は、あきらか」な意図的に編み出されたものであるという指摘があり、日本 や韓国 はもとより、Boudewijn Walraven(ライデン大学)やDouglas J. Macdonald(アメリカ陸軍戦略大学)やJames Matray(カリフォルニア州立大学チコ校(英語版))やKathryn Weathersby(ジョンズ・ホプキンス大学)など欧米でも歴史修正主義という評価がある。 修正説は「内戦説」と「誘因説」とに分類することができる。 内戦説 「内戦説」は、朝鮮戦争は、植民地時代に始まる互いに異なる国家を建国する葛藤が、解放後に反乱と衝突とに引き継がれ、アメリカ軍政は民主化を抑圧する一方、少数の地主を擁護した。葛藤の核心は農地改革であったが、アメリカ軍政は地主を擁護して、農地改革を後回しにしたことにより、民主勢力は大邱10月事件、済州島四・三事件と麗水・順天事件、それに続くゲリラ活動で抵抗した。38度線では韓国と北朝鮮の武力衝突が続いており、最終的に戦争に発展したという説である。 誘因説 アメリカは戦争特需を期して韓国から意図的にアメリカ軍を撤収させ、軍事的空白状態を作り出すことにより、北朝鮮が韓国に侵攻するよう罠を仕掛けたという説である。 カミングスは朝鮮戦争の起源を日本の植民地支配に遡り、朝鮮戦争の責任は日本にあり、北朝鮮にはないとする。1980年代以後研究の進化により欧米や韓国 では「通説として受け入れられてきたのは北朝鮮による南侵説」「北朝鮮の金日成が民族統一の名分を掲げ、ソ連と中国の支援を受けて南侵を強行」したとする北朝鮮による侵略説が定説化するなかで、カミングスの修正説は、日本での共産主義・社会主義革命を実現したいあるいは北朝鮮の戦争犯罪への非難を回避したい共産主義・社会主義の北朝鮮に好意を抱く・支持するあるいはシンパシーを持つ日本の左派系研究者を魅了し、大きくもてはやされ、受け入れ、便乗するようになり、カミングスの修正説を支持するようになった。重村智計によると、ソ連・中国・北朝鮮などの共産主義・社会主義は、アメリカ帝国主義をアジアから駆逐するため、アメリカ帝国主義の侵略戦争としての朝鮮戦争という図式が必要であり、これを中国共産党や北朝鮮政府が共産主義・社会主義の北朝鮮を支持するあるいはシンパシーを持つ日本の左派系研究者を支援して、彼らは運動の手先となっていった。 例えば、左派系研究者藤原彰は、1989年6月に底本が発行された『大系大系 日本の歴史〈15〉世界の中の日本』において、以下のように記している。 朝鮮の南半分では一九八四年八月に大韓民国が成立したが、四八年四月から一年以上もつづいた済州島人民の武装闘争や、四八年一〇月の南海岸の麗水・順天での軍隊の反乱などがあって、政情が不安定なうえに、財政危機もつづいていた。李承晩政権は、国内の危機を北への武力挑発で解消しようとし、武力北進をとなえていた。一方北朝鮮の朝鮮民主主義人民共和国は、ソ連軍の撤退後もその援助で急速に軍備をととのえ、南の政情不安に乗じて、いっきょに武力で統一を完成しようとしていた。こうして朝鮮の南北双方から準備された内戦として、戦火が開かれたのである。戦闘がはじまると、かねて南進の態勢をととのえていた北朝鮮軍は、三八度線をこえて進撃を開始し、韓国軍は一撃で壊滅し、三日後の六月二八日にはソウルも陥落した。 修正説は、ウィスコンシン大学マディソン校のアメリカ外交史講座のウィリアム・A・ウィリアムズが1958年に提唱した冷戦の原因がアメリカの拡張主義にあるとしたニュー・レフト史学・修正主義学派のいわゆる「ウィスコンシン学派」の影響を受けており、カミングスもこの系譜に繋がる修正主義学派として挙げられる。修正主義学派のアメリカ責任論と南侵誘導説は、全国教職員労働組合や民族問題研究所や歴史問題研究所(朝鮮語版)など韓国左派に多大な影響を与え、カミングスの修正説は、韓国で大きな反響を呼び、1980年代の民主化の波を受け、韓国現代史を急進的に再解釈する梃子として作用して、毛沢東の新民主主義革命理論に基づく韓国現代史の左派的な解釈として発展した。しかし修正主義学派は、ソ連崩壊で公開された公文書に基づく、ジョン・ルイス・ギャディスに代表される「脱修正主義(post-revisionism)」研究がスターリニズムやソ連-北朝鮮の関係を明らかにした結果、アメリカ責任論や南侵誘導説などの修正主義学派は、「降伏した」「徹底的に壊された古い理論」「廃棄された理論」「学説として、すでに寿命が尽きた」というのが主流の研究者の見解であり、国際政治学界はもちろん、本国のアメリカでも居場所を失い、もはや学術的価値がないと評価されている。学界では、ウィリアム・A・ウィリアムズ、ウォルター・ラフィーバー、トーマス・J・マコーミック、ロイド・ガードナーら「ウィスコンシン学派」の伝統を継承してきた総本山のウィスコンシン大学マディソン校のアメリカ外交史講座を脱修正主義の大家ジョン・ルイス・ギャディスの直系弟子で、修正主義学派を厳しく批判した正統主義派のジェレミ・スリ(英語版)が教授を引き継いだことから脱修正主義学派の学術的勝利という評価を下している。ジェレミ・スリ(英語版)は、修正主義学派はアメリカが共産主義の脅威を誇張して、経済的利益のために軍備拡張競争を追求したと主張したが、ソ連崩壊後に公文書が公開されたことから根拠を失っており、アメリカの外交政策の欠点を明らかにしたことは、修正主義学派の学術的成果であったが、共産主義の侵略戦争であった朝鮮戦争においては、アメリカと韓国の合法性は損なわれず、脱修正主義の正統主義派の学界は、朝鮮戦争のアメリカの防衛的役割を認めており、1990年代に公開されたソ連の公文書は朝鮮戦争について議論の余地のない3つの事実を明示しているとして以下を挙げている。 金日成とスターリンと毛沢東は、韓国を奇襲攻撃する計画を1950年に互いに協議した。金日成とスターリンと毛沢東は、ソ連を盟主とする共産主義の影響力を東北アジアに拡大しようとして、共産主義の拡張について話し合い、1950年6月25日の攻撃を韓国解放のための内戦と見ておらず、共産勢力は明らかな侵略戦争を行った。 金日成とスターリンと毛沢東は、アメリカの強力な対応を想定しておらず、そのことはアメリカが過度に介入主義でなかったことを示している。朝鮮戦争開始後の数週間は、アメリカは共産主義の拡大を撃退することができなかった。 朝鮮戦争中、スターリンは、北朝鮮の戦略に多大な影響力を及ぼし、韓国に莫大な被害を負わせて、アメリカも巻き添えにするため、金日成に戦闘を継続するよう煽った。そして、スターリンは毛沢東と一緒に戦争を持続させるための広範な軍事的支援を行った。 李栄薫は、今日の研究水準として「農地改革のための民衆の革命的な要求が内戦につながり、これが朝鮮戦争に発展した」という修正説の抱えている問題点として、「韓国では、農地改革を後回しにしたのではなく、地主と小作農の間の事前販売が解放と同時に始まり、1949年の農地改革法を以てスピードを上げ、朝鮮戦争以前には完了していた」「スターリンが軍事活動を禁止する命令を下したことによって、1949年8月以後は、38度線は軍事的に平穏な状態が保たれていた」ことを挙げた。ソ連崩壊後に機密解除されたソ連の公文書によると、1949年3月5日のモスクワ会談において、金日成がスターリンに南侵の提案を行った。スターリンは提案を拒否したが、その後の1950年1月17日、金日成は再度スターリンに南侵の提案を上申する。スターリンは同年1月30日、金日成の南侵の提案を受諾する電報を平壌に飛ばし、4月に極秘にスターリンを訪問した金日成に対し、アメリカが戦争に介入してきた場合の対策として毛沢東の支持・協力を取り付けることを指示した。5月13日、金日成は毛沢東を訪問して南侵の提案を明かして支持・協力を要求したが、毛沢東は別ルートからスターリンが提案を受諾していることを知っており、アメリカが戦争に介入してきた場合、中国が兵力を派兵して金日成を助けることを約束した後、毛沢東は瀋陽に9個師団を配置して、来たるべき戦争に備えてソ連と中ソ友好同盟相互援助条約を締結する。その席上、スターリンは毛沢東に「アメリカの介入を恐れるな」「アメリカが鴨緑江を越えて東北地区まで進撃してきたら、中国とソ連の挟撃を受けてアメリカは甚大な失敗を味わうことだろう」と激励した。結果、朝鮮戦争はアメリカとの冷戦において勝機を得ようとしたスターリンと毛沢東の支持・同意・協力を取り付けた金日成が、中国と共同で周到綿密に準備・企図した北朝鮮による先制攻撃であることが明らかとなった。従って、日本・韓国・アメリカなどの学界では修正説はまったく認められていない。しかしなお近年も修正説を主張する見解は提起されている。以下列記するが、韓国には韓国内で北朝鮮(北韓共産集団)・共産主義を賛美する行為及びその兆候は法的に取締る国家保安法があり、2005年東国大学校教授の姜禎求が「朝鮮戦争が革命的な民衆勢力と外国の勢力に依存する反革命分子とのあいだに起こった内戦」「北朝鮮の立場からすると、南朝鮮を外国勢力の植民地的な支配から解放するための民族統一戦争」と主張して、国家保安法違反で懲役2年、執行猶予3年、資格停止2年の有罪判決を受ける事件があった。 主張者 ブルース・カミングスは「誘因説」と「内戦説」を育てた「開祖」であり、修正説の旗手として共産主義・社会主義の北朝鮮を支持する日本及び韓国の左翼から受け入れられた。カミングスは、南北戦争において、アメリカ合衆国が侵略したのか、アメリカ連合国が侵略したのか特定することができないように、朝鮮戦争も内戦であるから、北朝鮮が侵略したのか、韓国が侵略したのか特定することができず、「朝鮮戦争の開戦責任などどうでもいいこと」だという。 小此木政夫は、「北朝鮮が民族解放戦争の論理のもとソ連と共謀して朝鮮戦争を始めた」と説明しており、金学俊(朝鮮語版)(ソウル大学教授などを歴任、朝鮮戦争研究の第一人者という評価がある)は、日本の修正主義学派に位置付けている。 桜井浩(久留米大学教授)は、「北朝鮮が韓国での土地改革が成功する事を憂慮し朝鮮戦争を開始した」と説明しており、同じく金学俊(朝鮮語版)は、日本の修正主義学派に位置付けている。 日本・中国・韓国の研究者が編集した学校副教材『未来をひらく歴史』には朝鮮戦争について日本語版には、「北朝鮮の人民軍が半島南部の解放をめざして南下をはじめたのです。」(p188)とある。一方、朝鮮語版には、「北韓の人民軍が武力統一を目標に南侵したのである。」(p214)とある。下川正晴は、日本語版と朝鮮語版は正反対であり、「半島南部の解放」という朝鮮戦争史観について、「旧態依然たる共産党史観というべきか、B・カミングス教授らに影響を受けた“修正主義史観”というべきか」と批判している。左翼政権(盧武鉉)の韓国でも学校副教材に「半島南部の解放」とする修正説を書くわけにはいかず、カメレオンのように姿を変える歴史修正主義者たちの奇々怪々さにはあきれるしかないと批判している。 ガヴァン・マコーマックの「朝鮮戦争を内戦と規定し、介入した米国と国連を批判」「アメリカや国連を非難」」する朝鮮戦争史観は、「北朝鮮側に立ち北朝鮮を弁護しようとの意図がうかがえる」という。木村幹は、カミングスと「同じ歴史修正主義の立場」であると評している。重村智計は、カミングスとジョン・ハリディの歴史修正主義をさらに越える新歴史修正主義と評している。 ジョン・ハリディは、カミングスとの共著で、「二つの国内的勢力(反植民地闘争にもとづく革命的民主主義運動と、不平等な土地制度と結びついた保守派の運動)の闘争が別の形で継続されていった内戦」「1950年6月に突如として始まったとする通説を批判」しており、重村智計は、カミングスの系譜に繋がる歴史修正主義と評している。 姜禎求は、「朝鮮戦争が革命的な民衆勢力と外国の勢力に依存する反革命分子とのあいだに起こった内戦」「北朝鮮の立場からすると、南朝鮮を外国勢力の植民地的な支配から解放するための民族統一戦争」と「カミングスの修正説を越える」主張を行い、国家保安法違反で懲役2年、執行猶予3年、資格停止2年の有罪判決を受ける。『朝鮮日報』によると、ウィスコンシン大学マディソン校の大学院で修士と博士を取得しており、ニュー・レフト史学・修正主義学派のいわゆる「ウィスコンシン学派」なかでも、大学院時代の教授のトーマス・J・マコーミック と著作や論文の引用・参考文献からカミングスの強い影響を受けているという。 カミングスが著書『朝鮮戦争論―忘れられたジェノサイド』のp268で、「なかでもマリリン・ヤング、すでに故人となられたジェームス・B・バレー、和田春樹には深く感謝している」と謝辞を送っている和田春樹は著書『朝鮮戦争』で「朝鮮戦争は、南北両方の内部矛盾を解決するための避けられない選択」「北朝鮮の計画された先制攻撃で開始された『内戦』からはじまり、中国-日本-アメリカ-ソ連などが参戦することで、『国際戦』に拡大された戦争」と歴史修正主義的な解釈をしており、韓国の保守派から「日本版ブルース・カミングス(일본 버전(version)의 브루스 커밍스 )」「朝鮮戦争を内戦と主張、姜禎求の主張と酷似(6.25전쟁은 “內戰”, 강정구와 동일한 역사인식)」と批判されている。和田は、朝鮮戦争を「内戦から始まり、中国・日本・米国・ソ連 などが参戦することによって国際戦へ拡大した戦争」「韓国戦争が勃発したのは解放後の韓半島で理念的に異なった南北の韓国分断政府が樹立されたことにともなう必然的な結果」「国連軍の参戦で韓国軍と米軍が38線を越えて進撃することで南北双方1回ずつ武力統一を試みた戦争」「当時韓国の李承晩政府も『武力による北進統一論』を積極的に進めた」と主張しており、『京郷新聞』は「韓国戦争は南北すべての内部矛盾を解決するための避けられない選択」というカミングスに代表される「歴史修正主義と似た見解」と指摘している。ちなみに和田春樹は、朝鮮戦争は南侵(北朝鮮による韓国侵略)か北侵(韓国による北朝鮮侵略)なのかについては、「あまり本質的な問題ではない。南北の双方に武力統一プランはあった」と述べている。 油井大三郎は、1985年が底本の論文では、朝鮮戦争が韓国が北朝鮮を侵略した「北侵」、もしくは韓国が北朝鮮に軍事挑発を行い、それに対して北朝鮮が反撃を加えた「南侵誘導」を示唆しており、I.F. ストーン(英語版)『秘史朝鮮戦争』とD・W・W・コンデ『朝鮮戦争の歴史』の説を検討すべきと主張しており、朝鮮戦争が北朝鮮による侵略戦争であることを否認、「解放戦争」「統一戦争」「防衛戦争」と主張、朝鮮戦争における米軍と国連の介入を「干渉」「ジェノサイド」「なぜ、内戦に外国軍隊が介入し、国際化されたのか、が問われるべき」、北朝鮮を「革命的民族運動」と主張していたが、ソビエト連邦の崩壊後の1998年が底本の著書では、カミングス『朝鮮戦争の起源』や和田春樹『朝鮮戦争』を引用・参考文献に挙げて、「戦争が北朝鮮による武力統一をめざした内戦の性格をもっていたことが明らかになっている」と主張している。 批判者 機密が解除されたソ連の公文書から、朝鮮戦争はスターリンと毛沢東の支持・同意・協力を取り付けた金日成が行った侵略戦争であることが裏付けられたことから、日本・韓国・アメリカなどの学界ではまったく認められていない。韓国では「代理戦争」や「内戦」と表現する者に対しては「親北」「北朝鮮の侵略戦争を美化している」として批判対象となっている。これについて、「統一のための内戦説」は、「彼らも世界の学界ではそうした主張を提起することはできない。せいぜいあざわらわれるのがおちだからだ」という指摘もある。修正説 を主張している人物に対しては、「内戦ならば、北朝鮮は開戦責任を問われることはなく、内戦に介入したアメリカを批判できる」から「学問的というよりは、政治的意図を含む研究」「その政治的な目的と動機は、あきらかであったと言わざるをえない」「北朝鮮側に立ち北朝鮮を弁護しようとの意図がうかがえる」「価値と威信を失った」「日本や韓国の常識ではバランスを逸した歴史記述」「北朝鮮と国内の偏向した修正主義史観の支持者だけが、韓国戦争を統一のための内戦というこじつけに執着している」「韓国社会でまだ北侵説や自然発生的な内戦論があるというのに驚く」「いまやカミングスの修正主義、80年代式歴史認識の枠を越える時になっているのは明らかだ」「理論的基盤は崩れた」「韓国国内の一部の歴史学者たちは相変わらず1980年代の古い理念のフレームから脱け出せずにいる」「いわゆる進歩とされる一部勢力は、依然として『南侵か北侵か分からない』、『内戦だ』と云々し、事実を受け入れない」「北朝鮮の共産集団が、民族に最大の悪行を犯したにも関わらず、北朝鮮政権を庇護し、反共を批判する勢力が堂々と大手をふるう」など指弾する見解が多数ある。 詳細は「ブルース・カミングス#評価」を参照
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