ルドルフ・シュタイナー 人物と業績

ルドルフ・シュタイナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 06:15 UTC 版)

人物と業績

20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた[12]1900年頃からドイツの神智学サークルと関係するようになり、神智学徒たちの集まりで講演を行うようになった。1902年に神智学協会の正会員となり、同年ベルリンで「神智学協会ドイツ支部」が設立されると、その事務総長(書記長)に選ばれた。1912年に同協会を脱退し、友人らによって設立された人智学協会(アントロポゾフィー協会)の指導にあたった。晩年の1923年末には「一般人智学協会」(普遍アントロポゾフィー協会)を創設してその代表に就任し、亡くなるまで活動を続けた。人智学について多くの著作を物し、物質世界を超えた超感覚的世界(精神界)に関する事柄を語った。その思想の詳細は、ヨーロッパ各地で行われた生涯6千回にも及ぶ講演を通じて明らかにされた。そのテーマは教育、芸術(オイリュトミーと呼ばれる舞踊など)、医学、農業、建築、経済など、多方面にわたった。シュタイナーの著作や講演集は現在も継続してドイツ語で出版され、版を重ね、外国語にも翻訳されている[13]

ヨーロッパの秘教伝統のなかでもとりわけ重要な人物とみなされている[13]。ドイツの観念論とロマン派の影響下でみずからの思想を形成し[14]、ドイツ近代哲学の認識論の系譜を引いている[15]ほか、ドイツ神秘主義の影響も受けた[2]。また、教育学者の菱刈晃夫によると、シュタイナーはヨーロッパ中世・ルネサンスから続く「魔術」の水脈を受け継いでいる[16]。三島憲一の説明によると、ゲーテの自然科学論の影響下でシュタイナーが展開したのは、当時さまざまに模索されていた総合知のひとつのかたちであり、その背景には新プラトン主義、ドイツ神秘主義、ヨーロッパの古典的な自然科学があった。シュタイナーは宇宙の精神とむすびついた人間の内なる霊性についての認識の基礎づけを図り、また、近代社会の諸問題の克服に向けた調和への道筋を探った[11]

一貫性のある完璧に整えられた生活スタイルを提唱しており、オーラの色から台所の棚の色までこまごまと生活の指導を行い、追随者たちに精神生活から食事まで影響を与えた[17]

環境問題が切迫した課題になった現代では、多くのスピリチュアルな組織や指導者が、精神的な課題として環境保護に注目するようになった[18]。環境問題に関心を持っており、その思想の中心はエコロジーと宗教が占めていたため、現代の時流とうまくマッチした[18]。また、神秘思想としては珍しく、教育、農業、治療といった実用的・世俗的な実践のノウハウを確立させていたため(神智学と大きく異なる点である)、シュタイナーの思想は現代で復活した[18]。シュタイナーの遺したさまざまな構想は、特にドイツ語圏の国々で、小規模とはいえ存在感をもって実践され続けている[13]。現代の人智学協会の活動はさほど活発とも言えないが(主要メンバーは年配者である)、時代に乗って環境運動を成功させ、有機農業・伝統事業といった生態環境的観点に適う企画に低利率で資金を貸し付ける銀行を設立し、人智学運動は教育、治療および医療まで手を広げた[18]。教育の分野においては、ヴァルドルフ教育(シュタイナー教育)が代替教育として広く普及し、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心に実践されている。現代の人智学協会の影響は、活動の規模よりもかなり大きい[18]。その一方、The Skeptics Society(懐疑派協会)の創設者でサイエンスライターのマイケル・シャーマーなどの現代の批評家は、人智学の生物学、医学、農業などを偽科学と批判している[19][20]

文芸

22歳の学生であった時に、ゲーテの自然科学に関する著作を校訂して序文を書く仕事を依頼され、13年間かけて完成させた。その成果は1897年に『ドイツ国民文学』という叢書の第一巻として出版された。この業績は識者たちから高く評価された。

哲学

ロストック大学で哲学の博士号を取得し、学位論文『真理と科学』を出版した。

1894年には『自由の哲学』を出版し、5年後にはゲーテ研究の集大成として『ゲーテの世界観』を出版した。しかし哲学の研究者たちからはほとんど評価を得られなかった。『自由の哲学』では、あらゆる哲学の試みを検討しつつも、複眼的視点においてその欠陥を確定し、別の観点を試みている。自由とは結局、一つのものの見方よりも、より多くのものの見方を得た時にのみ得ることができる、というようなことを示唆している。

霊的な知識(精神科学/霊学)

人間の持っている通常の五感では事物の表面しか捉えることができず、五感を超えた高次の感覚(霊的感覚、超感覚的認識)によって初めて事物の本性を把握することができるという。シュタイナーは透視能力を持っていたといわれ、それによって得た超感覚的世界の実相に基づいて人智学を創始して、人類の霊的向上を促そうと啓蒙を行った[21]。シュタイナーは、物質偏重に傾きすぎた今の文明の在り方を正すために、古代から受け継がれた秘教的・霊的知識を総合し、万人に公開し、それを近代的認識批判の立場からも受け入れられる言葉で語ることが必要と考えた[21]。近代神智学から受け継いだ伝統的な東西の秘教の教義をバックボーンに、整合性と合理性のある体系を作り上げた[21]ミドルセックス大学のピーター・ワシントンは、人智学についてこう解説している。

人間の存在とは感覚的な存在と感覚を超越した世界が統合されている存在で、この点で人間は動物や天使と違っている。感覚を超越した領域には客観的な実体があり、現象世界も同様である。人智学はその二つの間の人間の位置を研究する学問である。これは絶対に我々が持つことのできない神々の知恵ではなく、人間の慎ましい知恵であり、むしろ人間についての知恵というべきものである[22]

彼は近代神智学の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキーのような純粋な霊媒ではなく、見霊能力者(透視能力者)であると同時に、「自然科学者の目と哲学者の論理的思考能力、それに芸術家の文章構築構築力」を備えており、神秘学を学問として成立させようとした[21]。そのために、神智学協会の「マハトマ」のような、教祖にしか把握できず、教祖を介さなければ接触できないような神秘的存在を遠ざけた[21]霊媒降霊術等の、理性的な思考から離れて感情に没入する“神秘主義”については、科学的でなく、まちがった道であると警鐘を鳴らしていた。

人智学が一つの学問になるためには、全ての人が彼の言う「超感覚的認識」を持つ必要があるが、シュタイナーはそれが誰にでも獲得できる能力であると考え、霊的な教師のための精神教育の確立を重視し、人智学の方法に従った修行、特にその「瞑想」と「集中」の行を毎日15分間行いさえすれば、自然と見霊能力が発現すると主張した[21][22]。この点によって、シュタイナーは従来の神秘主義と一線を画している[21]。霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った科学的な態度で探求するということを重要視していた。人智学は神智学から心霊科学という概念を受け継いでおり、シュタイナーの言う科学は、一連の知識、明確なひとつの方法論を意味している[22]。自著『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』では、具体的な霊的体験を得るための修行法について記しているが、第二部を作る前に世を去った。

神智学の「ロード・オブ・ダーク・フェイス(黒い顔の主)」という、「グレート・ホワイト・ブラザーフッド・オブ・マスターズ(大いなる白き同胞団)」と闘争を続ける悪霊という漠然とした概念を明確に定義づけし、人類の主な敵は傲慢の霊ルシファーと物質主義の霊アフリマンで、ルシファーは人間は努力すれば人間の限界を超え霊的能力を持てるという身の程知らずな考えに陥らせる霊で、アフリマンは、現代科学・技術の最高神で、人類が精神と五感の領域だけを信じ霊的な面を拒むように仕向けると考えた[23]。1914年に戦争が起こると、シュタイナーは戦争を起こしたのはダーク・フォースだと主張した[24]。また、国家の運命は宇宙の計画の一部としてあらかじめ定まっており、各国には世界進化のために果たすべき役割があり、ドイツ人はその最も高度な点に関わっていると考えていた[24]。国家はそれぞれ天が遣わした大天使が導いており、大天使はその国の民族精神とも言うべき存在だという[24]

社会改革

人類史上初めての世界的戦争である第一次世界大戦後の最中にあって、戦争をはじめとした社会問題の解決策として、「社会有機体三分節化」運動を提唱した。社会を有機体として捉え、精神生活(文化)、法生活(政治)、経済生活の三つの部分が独立しながらも、精神生活においては「自由」を、法生活(政治)においては「平等」を、経済生活においては「友愛」を原則として、この3つが有機的に結びつくことが健全な社会のあり方であると説いた。当時のドイツの外務大臣を初めとする国家の指導者たちに提案するも、政治的に採用されるには至らず、長い間顧みられなかった。1970年代後半頃から再び検討されるようになり、1980年代西ドイツ緑の党 (Die Grünen) の創立理念に影響を与えた。

キリスト教

シュタイナーは独自の宇宙論の中でキリスト存在の中心性を重視した[13]。神智学協会はすべての宗教の本質は同一であるという立場を取っていたものの[6]、なかでもインド思想を偏重しており、それに比べるとキリスト教は他の一宗教に過ぎなかった[2]。神智学協会内でシュタイナーの支持者と主流派との間に対立が起こったのも、そうしたキリストに対する立場の違いに起因していた[13]。シュタイナーは人間の肉体を持ったキリストとキリストが亡くなる3年前に彼の肉体に入った聖霊を区別していたため、ジッドゥ・クリシュナムルティが聖霊キリストの最後の生まれ変わりであり最上の人間であるというチャールズ・ウェブスター・レッドビータの主張を、受け入れることはできなかった[25]。また、シュタイナーのキリスト論はキリスト教の主流派からは認められない異端的なものであり[13]、人智学は神学者たちからも厳しく批判された[2]

キリスト者共同体

シュタイナーの弟子であったルター派牧師フリードリヒ・リッテルマイアードイツ語版の主導で、1922年、シュタイナーの特異なキリスト教思想に基づく「キリスト者共同体」が設立された。運動の中心は司祭の養成学校のあるドイツのシュトゥットガルトで、イギリスオランダスカンディナヴィアにもある。この団体は普遍アントロポゾフィー協会から独立した宗教組織で、シュタイナーはこの組織に属さないで外部から司祭たちに助言を与え続けた。

教育

学校教育

シュタイナーの人間観に基づき、独自の教育を行う「自由ヴァルドルフ学校」は、1919年シュトゥットガルトの煙草工場に付属する社営学校として開校された。この工場に働く労働者の子弟が生徒であったため、初等・中等教育および職業教育を行う総合学校の形態をとった。このタイプの学校がドイツ内外で次々に設立された。現在ドイツのそれらは自由ヴァルドルフ連盟に属している。ヨーロッパ地区では「ヴァルドルフ学校」または「ルドルフ・シュタイナー学校」と総称され、600校(うちドイツに200校)ほどが各国連盟ごとに存在している。日本およびアジア各国においては「シュタイナー教育」という呼称が一般的である。2013年に日本シュタイナー学校協会が設立され、学校法人シュタイナー学園など、全国の学校法人およびフリースクールを含めた全日制7校が加盟している。ヴァルドルフ学校は、自由ヴァルドルフ連盟に登録されていないものまでを含めると世界中に900校以上あると言われる。

幼児教育

シュタイナーは、1920年6月に自由ヴァルドルフ学校の教員会議で次のように発言した。「ほんとうは、幼稚園の頃から子どもを預かることができるとよいのです。子どもたちを受け持つ時間が長ければ長いほどよいのです。就学以前の子どもたちを受け入れることができるはずです。(中略)幼い子どもたちの教育の方が重要なのです。」このように、幼児教育の重要性を説き、自らの指導のもと、E.M.グルネリウスにシュタイナー幼稚園を設立させる意向であった。しかしシュタイナーの存命中にはこれは叶わなかった。亡くなった翌年の1926年に、グルネリウスらによってシュタイナー教育の理念に基づく幼稚園が始まった[26]

治療教育

障害を持つ子どもたちを受け持っていた学生たちが、シュタイナーから受けた助言をもとに、ドイツのイェーナ近郊に治療教育施設「ラウエンシュタイン治療教育院」を作った。ちょうど同じころスイスアルレスハイムにある臨床治療院(現在はイタ・ヴェークマンクリニックと呼ばれている)では、心身に何らかの障害を持つ子どもたちが入院し、その入院施設が後に発展して、1924年に治療教育施設「ゾンネンホーフ」が成立した。シュタイナーは治療のために薬以外にも、音楽絵画、彫塑、オイリュトミーなどの芸術や宗教による特別の教育を示した。イギリスにおいては治療教育は、シュタイナー教育の代名詞と言われるほど評価が高い。

七年周期による教育

シュタイナーは、人間は7年毎に体を完成させてゆき、63歳で成長の頂点を迎えるとしている。

7歳までを肉体、14歳までをエーテル体、21歳までをアストラル体の完成とし、それ以降は自我が独立して発達するとし、それ以前の期間を教育が必要な時期とした。

四つの気質

シュタイナーは、西洋医学(ギリシャ・アラビア医学、ユナニ医学)の伝統的な病理説で、1858年のウィルヒョーの細胞病理説の登場まで約1800年間信じられていた四体液説体液の分類とそれに基づく伝統的な気質説を取り入れている。自我が優勢な胆汁質、アストラル体が優勢な多血質、エーテル体が優勢な粘液質、肉体が優勢な憂鬱質があるとし、それぞれの気質のどれが優勢かで子どもを分類し、分類に合わせて教育者の対応を変えるとしている。この気質は誰もが四つ持っているが、優勢なものが一つあり、個人における四気質を調和へと導くことが教育の課題であるとしている。

芸術

神秘劇
四作の「神秘劇」を創作した。それは超感覚的世界というテーマを含んだ新しい劇であった。現在でも毎年、スイスのドルナハで上演されている。
オイリュトミー
音や言葉の質を身体の動きによって表現する独自の芸術「オイリュトミー」を考案した。これはシュタイナー教育のカリキュラムや障害児に対する治療教育にも用いられている。お茶の水女子大学の梅林郁子は、シュタイナーの思想において、言語(特に母音)、その表現としての動き(オイリュトミー)、人間の構成体、長調・短調のそれぞれが不可分であり、一つの有機的なまとまりになっていると指摘している。シュタイナーは文字を音として考え、同時に体験としてとらえようとし、この結びつきを前提として身体の動きでこの体験の表現を試みたものが、オイリュトミーである。当時手に入る最大限の情報と思想から言葉と音楽を有機的に結びつける道が探られている。ただし、その理論は言語や構成要素など複数の分野との関連を示しているにもかかわらず、実際には非ヨーロッパ音楽に触れる機会が少なかったこともあり、長調・短調というヨーロッパ音楽のみに基づいている[27]

建築

空から見たゲーテヌアム

自分たちの活動にふさわしい形の建物が必要だとの考えから、シュタイナーはゲーテアヌムと呼ぶ独特の形姿を持つ建物の設計を行った。最初に建設されたゲーテアヌムは、二つの天蓋が有機的に交わる木製の建築物であったが、火事により消失した。現在はミュンヘンピナコテーク・デア・モデルネに模型が置かれている。

1928年に再建された第2ゲーテアヌム

第2ゲーテアヌムについては、シュタイナー自身が粘土で模型を制作し、現場で建築作業を直接指導して、小ドームの絵の大半を自ら描いた[12]。そこは普遍アントロポゾフィー協会(一般人智学協会)の所在地であり、人智学運動の中心地となっている[12]

芸術観念

シュタイナーは芸術を、感覚でとらえることのできる世界における超感覚的世界の表現だとしており、美は理念(イデア)の表現ではなく、表現によるイデアそのものだとしている。美的な体験はアストラル体(感情、感受的心魂の表現)を通じるものだとし、芸術によるいくつかの療法も行っている。

医学

シュタイナー医学、人智医学、アントロポゾフィー医学は、シュタイナーのオカルト概念・哲学に基づいている。シュタイナーとオランダの女医イタ・ヴェーグマンドイツ語版の協力で創始された[28]。シュタイナーは医師薬剤師、医学生などの前で、自らの精神科学に基づく医学に関する講演を多く行った。また、医師たちの診療に同行し、助言を与えたりした。ヴェーグマンの主導で「臨床医療研究所」や製薬施設が作られた。

人間を物質(肉体)のレベル、生命のレベル、感情のレベル、精神のレベルという4つの構成要素で考え、そのバランスが崩れると病気になるとする[29]。使用する薬剤は自然治癒力を高め、この4要素のバランスを回復させるために人智学に基づいて考案されたものである。自然物を原料とするが、そのまま抽出して薬として使用するのではなく、「熱プロセス(熱加工)、ポテンタイズ(希釈・振とう)などを経て、“その原料がもつ本質”が人間に役立つように製薬された薬剤」であるとしている[29]。オイルマッサージや湿布、オイルバスなどの物理療法、オイリュトミー療法、音楽療法、彫塑や絵画療法、言語療法などの芸術療法、発達支援(治療教育)、色光セラピー、医薬品の処方を行う[30][31]。シュタイナー医学の解剖学・身体観には生物学の常識とはかけ離れた部分がある。病気はカルマの影響を受けるとしている。

シュタイナー医学から、シュタイナーの理念に基づいて自然の原料のみを使った化粧品や食品を製造している会社「Weleda」(ヴェレダ)が生まれた。

ホメオパシーとの関係が深い。由井寅子の日本ホメオパシー医学協会は、シュタイナーが思想にホメオパシーも取り入れていることから、シュタイナー教育関連者にホメオパシー実践者も多いと述べている[32]

子どもの予防接種に否定的で、シュタイナー医学信奉者の集まるシュタイナー学校が感染症のアウトブレイクを幾度も引き起こしている。

農業

シュタイナーは、有機農業を地球次元だけにとどまるものと考え、天体の動きなど宇宙との関係に基づいた「農業暦」にしたがって種まきや収穫などを行い、自然そして超自然との調和を目指す独特の農業を提唱した。背景には西洋占星術的な世界観、農民の伝承文化の尊重と近代科学批判などがある。

シュタイナーの農法では効率はほとんど重視されず、経済効率を超越しており(この点が経営を成り立たせる側にとって大きな欠陥となっている)、「手作業」の優越性や娯楽の問題として判断がなされ、超自然的作用だけでなく、農民の具体的な「手触り」が重視されている。シュタイナーは「動物は人間より賢い」と断言し、農地という空間、有機体において人間を一つの構成要素に過ぎないものと考え、作物以外の植物の有効性を認め、家畜以外の動物の有効性を認め、農地を再構成しようとした。それは、農地の空間と人間に対する制限を前提とするものであった。シュタイナーの農法には、既存の自然と人間の関係、農業における「人間中心主義」を変革する可能性があり、同時に閉鎖性と排他性を抱えていた。[33]

シュタイナーの死後、かれの理論づけた農法は、西洋近代の農法と区別するために「バイオダイナミック農法」(ビオダイナミック、ビオディナミとも、BIO-DYNAMIC、生物学的力動的農法)と呼ばれるようになった。ナチス時代に活躍した指導者のひとりエアハルト・バルチェによる施肥の生物学的調整という側面に注目した「生物学的」という形容詞と、エルンスト・シュテーゲマンによるエーテル的力とアストラル的力の関係性をあらわす「ダイナミックな」という形容詞が冠されることがあったが、両人が妥協しあう形で「バイオダイナミック」という形容詞が使われるようなった。[34] ナチス時代には生産性の低さから公けには禁止されたが、ナチスによって東欧の占領地で用いられた[35]

バイオダイナミック農法はヨーロッパをはじめ世界各国で研究・実践されている。シュタイナーの農業理念に基づいて設立されたドイツ最古の認証機関であるデメター (demeter) は有機農法の連盟の中でも代表的な団体であり、厳格な検査によって、バイオダイナミック農法の商標の認証を行っている。日本では1985年千葉県(現在は熊本県)の農場で「ぽっこわぱ耕文舎」が日本で初めて「バイオダイナミック農法」を始めた。

批判については#論争の節を参照のこと。


出典

  1. ^ 「人智学」(人知学)は16世紀頃から秘教的な文脈で使われるようになった言葉で、19世紀にはトロクスラーやツィンマーマンがこれを学術用語としても用いたが、今日では一般にシュタイナーの思想を指す[4]。また、シュタイナーはディルタイヴントが用いた「精神科学」 (Geisteswissenschaft) という用語も使用した[5]
  2. ^ 例えば、のちに社民党に転じて1998年以降内務大臣を務めたオットー・シリー
  3. ^ 小杉英了は、フェルキッシュは「民族」を表すドイツ語 Volk(フォルク)の形容詞であるが、フォルクは近代の意識や価値観とは本質的に異なる根源的な何かであり、理性ではなく深い心情を通して実感される始原のエネルギーであると説明している。フェルキッシュも「民族的な」「民族の」という言葉におさまりきるものではなく、「民族根源主義的な、あるいは民族原理主義的な、あるいは民族至上主義的な等々の形容を伴う、ドイツ的深淵を言い表す言葉である」という[51]
  1. ^ 高橋 1986, pp. 146–148.
  2. ^ a b c d e 深澤 2012b.
  3. ^ ウィルソン, 中村訳 1994, p. 156.
  4. ^ 高橋 2007b.
  5. ^ 西川 2007, p. 195.
  6. ^ a b c 深澤 2012a.
  7. ^ a b c d e 岡田 2002, pp. 121–122.
  8. ^ フェーヴル, 鶴岡訳 2002, p. 93.
  9. ^ Heller, 植田訳 2000.
  10. ^ 高橋 2007a.
  11. ^ a b 三島 2002.
  12. ^ a b c d カルルグレン, 高橋訳 1992.
  13. ^ a b c d e f Tingay 2009, pp. 451-453.
  14. ^ 高橋 1991, p. 168.
  15. ^ 吉沢 1988.
  16. ^ 菱刈 2003.
  17. ^ ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳 1999, p. 216.
  18. ^ a b c d e ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳 1999, pp. 511–512.
  19. ^ The Skeptic Encyclopedia of Pseudoscience. ABC-CLIO. (2002). pp. 31–. ISBN 9781576076538. https://books.google.com/books?id=Gr4snwg7iaEC&pg=PA33 
  20. ^ Ruse, Michael (2013-09-25). The Gaia Hypothesis: Science on a Pagan Planet. University of Chicago Press. pp. 128–. ISBN 9780226060392. https://books.google.com/books?id=EQRuAAAAQBAJ&pg=PA128 2018年1月12日閲覧。 
  21. ^ a b c d e f g 吉永・松田 1996.
  22. ^ a b c ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳 1999, p. 215.
  23. ^ ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳 1999, p. 202.
  24. ^ a b c d e ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳 1999, pp. 226–227.
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  26. ^ 高橋弘子 1995.
  27. ^ 梅林 2004.
  28. ^ アントロポゾフィー医学とは 一般社団法人日本アントロポゾフィー医学の医師会
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  30. ^ 芸術療法 一般社団法人日本アントロポゾフィー医学の医師会
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