鳥人間コンテスト選手権大会
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歴史
- 1977年(昭和52年) - 第1回を開催(近江八幡市・宮ヶ浜水泳場)、『びっくり日本新記録』内で放送。
- 1978年(昭和53年) - 第2回のダイジェストを、読売テレビ開局20周年記念番組として放送。
- 1980年(昭和55年) - 会場を彦根市・松原水泳場に移す。
- 1986年(昭和61年) - 滑空機部門と人力プロペラ機部門を分離。
- 1987年(昭和62年) - コミックエントリー部門廃止。
- 1988年(昭和63年) - 強風のため人力プロペラ機部門が中止。
- 1989年(平成元年) - 人力プロペラ機部門が中止。
- 1990年(平成2年) - 強風のため滑空機部門が中止。
- 1997年(平成9年) - 台風9号直撃のため、大会史上初めて、全ての競技を中止。
- 1998年(平成10年) - 2日間開催に移行。
- 2004年(平成16年) - 天候不良の影響で、人力プロペラ機部門の競技が不成立(事実上の中止)。
- 2009年(平成21年) - 経済状況の悪化を背景に、読売テレビがダイジェスト番組の制作を見直す方針を打ち出したため、開催自体を中止(正式な中止は初の事例)。
- 2010年(平成22年) - 2年振りに開催するとともに、岩谷産業が協賛スポンサーに初参加。
- 2014年(平成26年) - 人力プロペラ機ディスタンス部門の競技が不成立。
- 2018年(平成30年) - インターネット向けに、公式YouTubeチャンネルで大会当日のライブ配信を滑空機部門の一部で初めて実施。台風12号直撃の影響で、人力プロペラ機部門の競技が不成立[5]。
- 2019年(令和元年) - 台風6号直撃の影響で、1日目の滑空機部門の一部と人力プロペラ機部門の一部を2日目に延期して開催。
- 2020年(令和2年) - 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行を背景に、日本全国で緊急事態宣言が発出された影響で開催を中止。参加を予定していたチームの多くで機体の製作が困難になっていたことを踏まえて、開催しても機体の安全性を十分に確保できない事態が予見されることや、出場予定者がチーム単位の活動を通じて感染のリスクにさらされかねないことなどを考慮したことによる[3][6]。
- 2021年(令和3年) - 例年の大会ではチーム単位での観覧を認めている応援団の立ち会いを禁じるなど、無観客での収録を条件に、滑空機部門と人力プロペラ機部門の競技を2年振りに開催[7]。
- 2022年(令和4年) - 2019年以来3年振りに観覧スタンドを琵琶湖の湖岸へ設営したうえで、応援団などの観客を入れて大会を開催。1日目の滑空機部門では、競技の最中に強風が吹いた影響で、一部のフライトを2日目に延期した[8]。これまで滑空機部門の一部フライト限定で行われていた公式YouTubeチャンネルでのライブ配信が、人力プロペラ機部門を含めた全フライトで行われるようになる。このため、ライブ配信視聴者にはテレビ放送に先んじて結果を知ることができるようになる。
- 2023年(令和5年) - 第45回大会を開催。開催に際しては、感染症関連の国内法におけるCOVID-19の分類が2023年5月8日付で(季節性インフルエンザなどと同等の)「五類感染症」へ移行したことを踏まえて、大会に参加するチームメンバーや応援団の人数制限を4年振りに撤廃した[9]。
放送日・開催日
大会と収録を毎回、7月下旬から8月上旬までの間に実施。近年は、収録から1 - 2ヶ月後に、大会のダイジェスト番組を放送している。
回数 | 放送日 | 開催日 |
---|---|---|
第1回 | 1977年8月7日、14日[注 3] | 1977年7月2日 |
第2回 | 1978年9月7日 | 1978年7月21日 |
第3回 | 1979年9月1日 | 1979年7月20日 |
第4回 | 1980年8月9日 | 1980年7月19日 |
第5回 | 1981年9月3日 | 1981年8月8日 |
第6回 | 1982年9月23日 | 1982年8月7日 |
第7回 | 1983年9月22日 | 1983年8月6日 |
第8回 | 1984年9月20日 | 1984年8月4日 |
第9回 | 1985年9月19日 | 1985年8月3日 |
第10回 | 1986年9月4日 | 1986年8月2日 |
第11回 | 1987年8月6日 | 1987年8月1日 |
第12回 | 1988年8月18日 | 1988年7月30日 |
第13回 | 1989年8月10日 | 1989年7月29日 |
第14回 | 1990年8月16日 | 1990年8月4日 |
第15回 | 1991年8月15日[注 4] | 1991年8月3日 |
第16回 | 1992年8月20日 | 1992年8月1日 |
第17回 | 1993年9月9日 | 1993年7月31日 |
第18回 | 1994年8月6日 | 1994年7月30日 |
第19回 | 1995年8月5日 | 1995年7月29日 |
第20回 | 1996年8月3日 | 1996年7月27日 |
(第21回) | (1997年8月2日) | (1997年7月26日) |
第22回 | 1998年9月5日 | 1998年7月31日 - 8月1日 |
第23回 | 1999年8月28日 | 1999年7月30日 - 31日 |
第24回 | 2000年8月12日 | 2000年7月28日 - 29日 |
第25回 | 2001年8月4日 | 2001年7月27日 - 28日 |
第26回 | 2002年8月31日 | 2002年7月27日 - 28日 |
第27回 | 2003年9月6日[注 5] | 2003年7月26日 - 27日 |
第28回 | 2004年8月28日 | 2004年7月31日 - 8月1日 |
第29回 | 2005年9月19日 | 2005年7月16日 - 17日 |
第30回 | 2006年9月22日 | 2006年7月22日 - 23日 |
第31回 | 2007年9月6日[注 6] | 2007年7月28日 - 29日 |
第32回 | 2008年9月15日 | 2008年7月26日 - 27日 |
2009年は開催中止 | ||
第33回 | 2010年9月24日 | 2010年7月24日 - 25日 |
第34回 | 2011年8月19日 | 2011年7月30日 - 31日 |
第35回 | 2012年8月27日 | 2012年7月28日 - 29日 |
第36回 | 2013年9月4日 | 2013年7月27日 - 28日 |
第37回 | 2014年9月3日 | 2014年7月26日 - 27日 |
第38回 | 2015年9月2日 | 2015年7月25日 - 26日 |
第39回 | 2016年8月31日 | 2016年7月30日 - 31日 |
第40回 | 2017年8月23日 | 2017年7月29日 - 30日 |
第41回 | 2018年8月29日 | 2018年7月28日 |
第42回 | 2019年8月28日 | 2019年7月27日 - 28日 |
2020年は開催中止 『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト 2020 特別編〜新たな挑戦〜』を放送 | ||
第43回 | 2021年9月2日 | 2021年7月31日・8月1日 |
第44回 | 2022年8月31日[注 7] | 2022年7月23日 - 24日 |
第45回 | 2023年8月30日[注 7] | 2023年7月29日 - 30日 |
- 放送日は日本テレビでの放送日を示す。
- 第21回大会の開催を予定していた1997年には、台風9号が開催地を直撃したため、大会史上初めて全ての競技を中止した。放送当日は、「大会中止ドキュメント」と「過去20回のダイジェスト」を読売テレビ本社スタジオから生放送。女性司会者として競技の収録に立ち会う予定だった佐藤藍子に代わって、細川ふみえが司会を務めたほか、競技へのエントリーを予定していた森脇健児と羽田恵理香をゲストに迎えた。
- 2009年と2020年には、前述した事情から、大会の開催自体を見送った。
- 2020年には、司会を務める予定だった矢部浩之(ナインティナイン)・羽鳥慎一、小宮浩信(三四郎)、西川貴教(開催地・滋賀県の出身で同県から「滋賀ふるさと観光大使」を委嘱)、生見愛瑠の出演による『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト 2020 特別編〜新たな挑戦〜』を、9月26日に全国ネットで放送。2018年の第41回大会・滑空機部門にパイロットとして4位入賞を果たした小宮をはじめ、大会史に名を残したパイロット[注 8](放送上の呼称は「レジェンドバードマン」)が、今後の大会への参加を検討している西川に「コンテストで感動した瞬間」を紹介する企画「西川さんに伝えたい!鳥人間コンテストの魅力」を中心に構成していた[4]。また、静岡県内に常設されている富士川滑空場で収録されたことから、前年(2019年)の第42回大会・人力プロペラ機ディスタンス部門で優勝した「BIRDMAN HOUSE伊賀」のプロペラ機が富士山界隈の絶景フライトに挑んだ模様も放送した[10]。なお、西川は翌2021年の第43回大会にも「ゲスト」として参加。パイロットとしての参加には至らなかったため、競技・収録後の会見で、司会の矢部から第44回大会(2022年開催)への出場を勝手に宣言される一幕があった[7]。
- 2018年の第41回大会については、例年と同じく、2日間の開催を予定していた。しかし、2日目(7月29日)に台風12号の接近が見込まれたことから、2日目の開催を中止。当初2日目に実施する予定だった「人力プロペラ機部門」を1日目(28日)に急遽組み込んだが、天候不良の影響で途中から競技を続けられなくなったため、競技不成立とみなされた[11]。
歴代イメージソング
この節の加筆が望まれています。 |
※がついている曲は開催年と発表された年が異なる楽曲である。
年 | 回数 | 曲 | アーティスト | 備考 |
---|---|---|---|---|
1996年 | 第20回 | 終わらない夢に | TUBE | |
1997年 | 第21回 | 大空へ | FIELD OF VIEW | 大会が台風9号による荒天のため中止となった影響で、本曲はシングルとしての発売が見送られた。 |
1998年 | 第22回 | 1万メートルの景色 | 小松未歩 | 大会開催前の人力プロペラ機ディスタンス部門の記録が9,761.56mであり、タイトルを「1万メートルの景色」としたが、この大会の記録は23,688.24mであった。 |
2006年 | 第30回 | 風になって | 森山直太朗 | |
2007年 | 第31回 | 空はまるで | MONKEY MAJIK | 元はヨコハマタイヤのイメージソング。 |
2008年 | 第32回 | 旅人 ※ | ケツメイシ | |
2010年 | 第33回 | 風のカプセル | GIRL NEXT DOOR | |
2011年 | 第34回 | Rising Sun | EXILE | 東日本大震災復興支援チャリティーソング |
2012年 | 第35回 | ブルーバード ※ | いきものがかり | 元はテレビ東京系アニメ『NARUTO -ナルト- 疾風伝』の第3期オープニングテーマ。 |
2015年 | 第38回 | ワタリドリ/Dracula La | [Alexandros] | |
2016年 | 第39回 | Fly high!! | BURNOUT SYNDROMES | 元は『ハイキュー!! セカンドシーズン』オープニングテーマ。 |
2019年の第42回大会では、鳥人間応援ソングとして「飛んでみよう!鳥人間!」を採用。この曲に合わせたオリジナルダンスの動画投稿をTikTok限定で受け付けた後に、投稿された動画から優秀作品を『シノビーと、おさんぽ』(読売テレビの関西ローカル向け番宣番組)で放送する企画「鳥人間ダンスコンテスト」も実施している[12]。
注釈
- ^ 2010年の第33回大会には、中国の飛行機模型製造会社のチームが参加。2012年の第35回大会には、オランダのチームが登場した。
- ^ 2023年の第45回大会では、岩谷産業のYouTube公式チャンネルにYouTuber(「そのちゃん」という名義)として出演している女性社員(園部のぞみ)がパイロットを初めて任された末に、この大会での女性パイロットとしては土取樹(滑空機部門の常連である社会人チーム「どん女の会」)に次ぐ2位(全体では3位)の337.61m(チーム史上最長記録)を達成した。
- ^ 2週に渡って放送された。
- ^ 広島テレビでは、プロ野球広島東洋カープ対中日ドラゴンズ戦中継のため、8月17日に放送された。
- ^ 制作局の読売テレビは当日プロ野球中継のため、翌9月7日15:00から放送。それ以外のネット局は裏送りする形で放送。
- ^ 『モクスペ』枠で放送。
- ^ a b 19:00 - 21:00に放送。
- ^ 渡邊悠太、中山浩典、大木祥資、当コンテストがきっかけで2019年の第42回大会後に結婚した土取雅明(第41回・42回大会の滑空機部門へ出場した「飛ん女の会 with Fight Works」の機体設計者)・土取樹(両大会における「飛ん女の会」のパイロット)。
- ^ 大会初期は「合格」であった。
- ^ 当時の最長記録は第22回(1998年)大会において、初の琵琶湖横断に成功した約23kmであり、それを受けて北ルートと南ルートが登場したが、それを上回る事態となった。
- ^ 元々、南ルートに限れば最大約34kmの飛行可能な距離がある。
- ^ 一時は、優勝チームに150万円、2位のチームに50万円、3位のチームに30万円が贈られていた。
- ^ 東京都立大学からの卒業後に、海上保安庁へ航空パイロットとして勤務(2020年9月の時点では第五管区海上保安本部関西空港海上保安航空基地に配属)。
- ^ 前述の学生記録を出した第36回大会を含めて、第37回大会まで準優勝を6回経験。この大会で初優勝を遂げた。
- ^ 日本大学生産工学部津田沼航空研究会より前に首都大学東京MaPPLの安藤陽央が450.17mの距離を飛行したが、テイクオフの直後に、1名の補助者がプラットフォームから足を滑らせて琵琶湖の湖面へ転落した。補助者は着水後に救助されたものの、前述した大会規定がMaPPLに適用されたため、安藤のフライトは失格(参考記録)として扱われている。
- ^ 「首都大学東京MaPPL」として準優勝を成し遂げた第39回大会で、須永夏帆が記録した392.06m。
- ^ 九州大学鳥人間チームのOBで構成されているチームで、メンバーの8割が航空機業界の関係者。九州大学鳥人間チームがかつて製作していた「QX-16」(非対称機)をベースに、「Gemini-X」を造り上げた。
- ^ 後に、大会の審査員を経て、2019年の第37回大会から審判長へ就任。
- ^ 日本大学を卒業後に、技官として国土交通省に採用。2020年9月の時点では、航空機の最終安全審査業務に従事している。
- ^ 東北大学を卒業後に新明和工業へ入社。2020年9月の時点では、同社が開発した飛行艇US-2の改良業務に従事している。在職中の2017年に、第40回大会で準優勝。
- ^ 2020年9月の時点では、アメリカ合衆国のシアトルでドローンの研究に従事。ドローン操縦士の資格も取得している。
- ^ フライトを辞退した日本大学理工学部航空研究会は、機体を大会終了後に航空科学博物館へ寄贈した。
- ^ 「第37回大会で辞退を余儀なくされた経緯(注釈参照)に感極まった羽鳥が、フライトの実況中に何度も号泣する」というハプニングがあった。
- ^ 他のチームはいずれも、40km完全制覇を達成できなかった。
- ^ 最長距離を記録した東北大学Windnautsの機体も、フライト中に右の主翼が突然折れた影響で失速。前年(2017年)の第40回大会で大会最長記録(40km完全制覇)を達成したBIRDMAN HOUSE伊賀の渡邊悠太は、競技終盤の出場に向けて待機していたが、競技の不成立が発表される前にフライトの辞退を申し入れた。
- ^ 前回大会(42回)で2連覇と60km完全制覇を達成した際の機体では32mだった翼幅を25mにまで短縮したほか、プロペラを機体の中央に装着していた。
- ^ 実際には強烈な日差しを受け続けながらのフライトで、テイクオフの直後から、駆動系のトラブルに起因する異常音が機内で繰り返し発生。さらに、「2リットル分搭載していた」という水分をフライト中に摂取するためのシステムが54km地点付近で突如故障したため、この地点からは水分を一切摂取できない状況でフライトを続けていた。
- ^ 2位の名古屋大学AirCraft(2分1秒64)、および、3位の大阪府立大学 堺・風車の会(2分8秒)も、折り返しルール改定後の最高記録(35回大会)を更新。
- ^ 夫の庄司智春も、第39回大会に「応援サポーター」の1人として出演。応援ゾーンのインタビュアーなどを担当した。
- ^ 出演の時点では、乃木坂46で活動。
- ^ 2015年7月の人事異動でコンテンツビジネスセンター・コンテンツ事業部のプロデューサーに就任したが、異動後に開催の第38回大会では、アナウンサー時代に続いてアナウンスを担当。
- ^ 読売テレビ退社後の2017年4月から教授に就任したが、同年の第40回大会では肩書なしの「脇浜紀子」名義でアナウンスを再び担当。
- ^ 第44回では、「鳥人間塾」(「塾生」に当たる学生パイロットを滑空機部門へ多数輩出している茨城県内のハンググライダースクール)でのトレーニング体験取材リポート(大会前に収録)も任されていた。
- ^ 第43回(2021年)では、前年放送の『2020 特別編』で共演した土取夫妻が「飛ん女の会 with Fight Works」として滑空機部門へ参加することを受けて、同チームの直前調整の模様に密着したロケ企画にも出演。完成目前の機体に垂直尾翼を立てる作業に携わったほか、土取の妻がその機体で300m以上のフライトを実現させた場合には、2022年開催予定の第44回にパイロットとして参加させられることになっていた(実際の記録は199.98m)。
- ^ この回は、『TVおじゃマンモス』の企画で、出場した。(『TVおじゃマンモス』1995年2月18日放送分から)
- ^ 小椋→第38回当時ytvに出向し、現在は日本テレビに帰属。
出典
- ^ 制作費難で休止、鳥人間コンテスト再開(読売新聞 2010年1月18日)
- ^ 読売テレビ「鳥人間コンテスト」休止(スポーツ報知 2009年1月16日)
- ^ a b “『鳥人間コンテスト』開催中止 緊急事態宣言受け「多くのチームで機体製作が困難」”. ORICON NEWS. (2020年4月14日) 2020年4月14日閲覧。
- ^ a b 西川貴教「鳥人間コンテスト」来年挑戦へ前向き「滋賀県として取り組めないか」(スポーツニッポン2020年9月18日)
- ^ “鳥人間「人力プロペラ機」部門は不成立、中止に”. 日刊スポーツ. (2018年7月28日) 2018年7月28日閲覧。
- ^ “40年以上の名物番組「鳥人間コンテスト」開催中止”. 日刊スポーツ. (2020年4月14日) 2020年4月14日閲覧。
- ^ a b “ついに西川貴教が来年の鳥人間コンテストに出場…を矢部浩之が勝手に「宣言」”. スポーツニッポン. (2021年8月2日) 2021年8月2日閲覧。
- ^ “「鳥人間コンテスト」3年ぶりの有観客開催にナイナイ・矢部浩之「本当に盛り上がる。従来通りが一番」”. (2022年7月25日) 2022年7月25日閲覧。
- ^ a b c “「鳥人間コンテスト」にNHK朝ドラ「舞いあがれ!」の「なにわバードマン」モデルチームが参加”. (2022年7月30日) 2023年7月31日閲覧。
- ^ コロナで中止の「鳥人間コンテスト」静岡から特別編(『日刊スポーツ』2020年9月18日付記事
- ^ 鳥人間コンテスト 台風影響で29日中止 読売テレビの恒例イベント(『産経WEST』2018年7月28日付記事)
- ^ 『鳥人間コンテスト』TikTokでダンス動画コンテスト開催(『マイナビニュース』2019年8月9日付記事)
- ^ バードマン・サマー2009開催のお知らせ(彦根市)
- ^ 照井琢見 (2022年10月27日). “人力飛行機の「書類落ち」ホントにある? 「鳥人間」元制作者に聞く”. 朝日新聞. 2022年10月29日閲覧。
- ^ 羽鳥アナ「鳥人間」号泣実況暴露される『デイリースポーツ』2015年7月26日付記事)。
- ^ 鳥人間コンテスト、台風で人力プロペラ機部門中止「悔しい」実行委が放送後コメント(『スポーツニッポン』2018年8月29日付記事)
- ^ 『鳥人間コンテスト』BIRDMAN HOUSE 伊賀・渡邊悠太パイロットが優勝!(『エンタメRBB』2023年8月30日付記事)
- ^ a b “鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に…」”. 女性自身 (2013年6月22日). 2020年11月7日閲覧。
- ^ @ohnuki_tsuyoshi (2019-4-2). "TLに鳥人間コンテストの話題が出てくるので、思い出して書く。". X(旧Twitter)より2020年11月7日閲覧。
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の日付が不正です。 (説明) - ^ a b 三四郎・小宮が快挙 鳥人間コンテスト192.63メートル(『スポーツ報知』2018年8月29日付記事)
- ^ 三四郎・小宮、『鳥人間コンテスト』ドランク鈴木超え目指してテイクオフ(『ORICON NEWS』2018年7月29日付記事)
- ^ 『工学教育』第69巻(2021)第1号「座談会『鳥人間コンテストを通した技術者としての学び』」
- ^ 【二十歳のころ 大西卓哉(2)】"鳥人間"に青春捧げた東大時代p.2(『サンケイスポーツ』2018年1月10日付記事)
- ^ 【二十歳のころ 大西卓哉(2)】"鳥人間"に青春捧げた東大時代p.1(『サンケイスポーツ』2018年1月10日付記事)
- ^ 日本航空協会 日本記録/human Powerd
- ^ 堺・風車の会のtwitter公式アカウントから撮影中に発信されたツイートを参照
固有名詞の分類
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