阪神タイガースの歌 沿革

阪神タイガースの歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 06:34 UTC 版)

沿革

川崎信用金庫本店前の歌詞ボード(神奈川県川崎市

作成経緯

1935年(昭和10年)末の球団発足後にオーナー企業の阪神電気鉄道社内で球団名の案を募集し、「タイガース」に決定したことが翌1936年(昭和11年)1月10日に発表された[17]。球団名決定と合わせ、昭和初期に社会人野球の強豪として名を馳せたコロムビア野球部に所属していた若林忠志の入団発表も行われたが、若林の母校であるハワイマッキンレー・ハイスクール英語版を意匠に取り入れていたことから同校の先輩で法政大学アメリカンフットボール部創設に尽力した保科進に依頼し、母校のものをベースにした虎が吼える図案の提供を受けた[17]。この図案は同年3月25日甲子園ホテルで関西在住の各界名士らを招いて行われた球団の激励会でプログラムに印刷され、阪神電鉄社員でデザイナーの早川源一による補正を経て変わらず使用され続けている[17]。この時のプログラムに虎の意匠や監督・選手の布陣と合わせて印刷されたのが、後々まで「六甲おろし」の通称で親しまれ続ける「大阪タイガースの歌」全3番の歌詞であった。

若林忠志。コロムビア社員時代の人脈を生かし、佐藤と古関に球団歌作成を依頼したとみられる。

若林は日本コロムビア(株式会社日本蓄音機商会)の野球部で活動する傍ら、社員として営業部に属していた人脈を生かし「赤城の子守唄」でヒットメーカーの仲間入りを果たしていた詩人の佐藤惣之助に作詞を、またコロムビア専属で早稲田大学の応援歌「紺碧の空」や読売新聞社の主催事業として1934年(昭和9年)に行われた日米野球のテーマ曲「日米野球行進曲」などスポーツ音楽の分野で定評を確立しつつあった古関裕而に作曲をそれぞれ依頼したとみられている[18]2020年(令和2年)6月22日にNHKで放送された『エール』(古関がモデルの「古山裕一」を主人公に設定した連続テレビ小説)第61話では、「大阪タイガースからの依頼で球団歌を作曲した」という古関の実話がストーリーに盛り込まれた関係で、阪神OBの掛布雅之がタイガースの幹部役で「大阪タイガースの歌」を熱唱するシーンが流れた[19]

佐藤は神奈川県、古関は福島県出身で両名ともタイガースが本拠とする関西と地縁のある人物ではなく、井上章一はプロ野球のシーズンが開催される夏に吹くのは殆どが浜風であることを踏まえ「佐藤は、阪神地方の気候について詳しくなかったのだろう」と指摘しているが[20]1930年代の職業野球草創期には大学野球に近い年2シーズン制が採り入れられており、優勝チーム同士で行われる年間優勝決定戦が12月初め頃に開催されたため、シーズンを戦い抜いたチームを讃える歌詞としては適当であったと言える[注 7]。なお佐藤は「大阪タイガースの歌」を作詞する10年余り前の秋、すなわち六甲山地から南東に向かって六甲颪が吹き降ろす時期に阪神間を訪れ、甲子園球場から北東へ10km弱とほど近い兵庫県川辺郡伊丹町(現在の伊丹市)の墨染寺にある江戸時代俳人上島鬼貫の墓に花を手向けたことを1924年(大正13年)刊行の詩集『水を歩みて』で記している[21]

激励会の参加者には、記念品として奥山貞吉の編曲でA面中野忠晴とコロムビア合唱団が歌う「大阪タイガースの歌」、B面にコロムビア管弦楽団演奏で一部にA面曲と共通の旋律を用いたインストゥルメンタル「大阪タイガース行進曲」を収録したSP盤(A-305)が贈呈された[22]。このレコードはコロムビアに製造を委託したプライベート盤のため一般流通はしておらず、製造枚数は200〜300枚と推定される[1][22][23]。コロムビアはもとより阪神球団の事務所やNHK大阪放送局、在阪ラジオ各局も所蔵していなかったため、長らく“幻の1枚”として扱われて来たが、1999年平成11年)にレコード・コレクターの個人所蔵盤が地元紙の神戸新聞で紹介された[22]。2003年(平成15年)にはコレクターからの提供を受けてアルバム『阪神タイガース 選手別応援歌 2003』(COCP-32157)への収録で復刻・CD音源化が実現し[1]2000年代後半からは『野球ソングス 大定番と貴重盤』(COCP-36066)など各種のコンピレーション・アルバムや『国民的作曲家 古関裕而全集』(COZP-375〜381)のディスク5を始めとする古関裕而作品のベスト・アルバムでも採録されるようになっている。

歌唱史

前述の通り1936年(昭和11年)の中野忠晴による創唱を吹き込んだSP盤は一般流通しなかったため[注 8]、1リーグ時代から2リーグ分裂後の1960年代までは阪神ファンの間でもそれほど広く愛唱されていた訳ではなかった。

1リーグ時代

球団草創期は中学野球大学野球、その中でも特に六大学野球の方が人気が高く職業野球は一段低く見られていたため、鉄道会社や新聞社を母体とするプロ球団の応援を担ったのは社会人野球の延長線上でオーナー企業の社員により組織された応援団であった。阪神電鉄では9月12日に甲子園庭球会館で「大阪タイガース後援会」を組織しており、約200名の会員が現在で言うファンミーティングを行ったり選手と机を並べてカレーライスを食べるなどの親睦行事を開催した後に「大阪タイガースの歌」を斉唱していたという[24]。また、地元で競合関係にあった阪急軍とリーグ戦外で甲子園と宝塚球場を会場とする「阪急軍・タイガース定期野球戦」を開催したが[25]、1936年9月14日付の関西中央新聞では宝塚球場においてタイガース応援団が「大阪タイガースの歌」、阪急野球団後援会が「阪急職業野球団応援歌」を互いにスタンドから熱唱する応援合戦のヒートアップぶりを報じている[26]

「阪神」への改題と普及

コロムビアでは1961年(昭和36年)の球団名変更に合わせて若山彰とコロムビア合唱団による新録のカバー(PRE-1133)を製作し、このカバー盤が甲子園球場での阪神戦開催時に演奏されるようになったが、朝日放送(ABC)アナウンサー中村鋭一が球場へ通い詰めて歌を覚え1971年(昭和46年)以降のプロ野球シーズンで阪神が公式戦で勝利した翌朝にABCラジオの生ワイド番組『おはようパーソナリティ中村鋭一です』で歌唱するようになった[27]。同番組が近畿広域圏で高い聴取率を獲得したこと相まって1970年代半ばには多くのファンから歌の存在が認知されるようになり[22]、この伝統は後継番組(『おはようパーソナリティ道上洋三です』→『おはようパーソナリティ小縣裕介です』『おはようパーソナリティ古川昌希です』)へ引き継がれている。広く知られる通称の「六甲おろし」も、中村が歌い出しの部分から考案したとされる[27][注 9]1972年(昭和47年)にはテイチクレコードが中村の歌唱によるカバー盤(初回盤A-89、再発盤RS-96)を発売し、1974年(昭和49年)に10万枚以上のヒットを記録[22]1991年(平成3年)にはCDシングル(TEDA-15278)でも再発されている。その一方で、『おはようパーソナリティ』の歴代パーソナリティのうち、道上と小縣は原曲の歌詞に存在しない(自身やリスナーの創作による)「4番」や「5番」まで生放送中に歌い上げることがある。

立川清登のカバー

1980年(昭和55年)にはビクター音楽産業(のちJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)が立川清登の歌唱で“球団公認盤”と銘打って変イ長調、小沢直与志の編曲によるシングル盤(17VP-2071)を発売し、このバージョンが球場で流されるようになった。21年ぶりのリーグ優勝と球団史上初の日本シリーズ制覇を達成した1985年(昭和60年)には関西のみならず全国的なフィーバーで古関の代表曲としても知れ渡るようになり[28]1992年(平成4年)には「六甲おろし 阪神タイガースの歌」の表題でシングルCD(VIDG-10007)として再発されてファンの間で“正調”の扱いを受けてきたが[注 10]1999年(平成11年)に廃盤となった。その後、ファンの待望の声に応えて2005年(平成17年)にビクターから期間限定で発売されたコンピレーション・アルバム『大阪ソウルバラード2005』(VICL-61769)に収録され、2015年(平成27年)には立川のベスト盤『愛唱歌をどうぞ』(VICL-70153)のボーナス・トラックとなっている。

2023年(令和5年)には5月から阪神が首位を独走し、18年ぶりの優勝への期待が高まっていた中で立川版が配信限定シングルとしてリリースされた[29]

1990年代以降

球場で立川の歌が使われなくなってからは、1992年(平成4年)にコロムビアが発売したCDアルバム『'92阪神タイガース選手別応援歌ヒッティング・マーチ集』(COCA-10157)に収録された唐渡吉則歌唱のバージョンが代用された[注 11]。このバージョンでは、"正調"のメロディーに歌謡曲風(ト長調)のアレンジを施すことによって、行進曲風の調子が和らげられていた。もっとも、阪神球団から主催試合におけるテレビ・ラジオの中継権を与えられていた放送局のうちの1局(当時はテレビとラジオの兼営局だった毎日放送)が制作に関わっていたため、球場内では伴奏だけを収録したカラオケ音源を流している[注 12]。なお、阪神甲子園球場では、球団のマスコットであるトラッキーのアニメーションとともに、歌詞がスコアボードに映される。ソフトバンク、楽天、ロッテ、および阪神を除くセ・リーグ5球団のビジターゲームにおいて7回攻撃前に流れる「六甲おろし」は、これまで通り前述の唐渡の歌唱バージョンが流れている[注 13]

「六甲おろし」の歌唱音源は、朝日放送テレビが製作に関与している阪神球団の公式ドキュメンタリー映画でも使用。上映する映画館の一部では、上映中に流れる「六甲おろし」に合わせた観客の歌唱を、「応援上映」と称する上映回に限って特別に認めている。ちなみに、2020年(令和2年)2月14日から2週間限定で公開された球団創設85周年記念映画『阪神タイガース THE MOVIE 〜猛虎神話集〜』(製作:『TIGERS THE MOVIE』製作委員会、配給:KADOKAWA)では、2017年(平成29年)に87歳で永眠した中村が生前に歌唱したバージョンの音源を使用。その一方で、阪神タイガースの18年振りセントラル・リーグ優勝を受けて2023年(令和5年)12月15日から日本各地の映画館で公開されている『阪神タイガース THE MOVIE2023 〜栄光のARE〜』(制作:ベスティ/G・G 、配給:ティ・ジョイ)では、唐渡による歌唱音源を流している。


注釈

  1. ^ 本楽曲の通称の表記としては「六甲おろし」、「六甲颪」ともに用いられており、公刊された書籍・雑誌でも両方の表記がみられる。「六甲颪」という表記の例としては、岡田久雄『阪神電車』JTBパブリッシング、2013年、73頁。ISBN 978-4-533-09233-6 がある。JASRAC公式サイトの「作品データベース検索サービス」においては、「阪神タイガースの歌」が正題、「六甲おろしに」「六甲おろし」「六甲颪に」「六甲颪」「一万人の六甲おろし」「ROCK黄WIND」「大阪タイガースの歌」が副題として登録されている(作品コード:067-6107-1)。
  2. ^ 現在ホームゲーム勝利時に流れるものは変ト長調、応援団の演奏は変イ長調。
  3. ^ 1978年(昭和53年)に現行の「白いボールのファンタジー」制定を受けて廃止。
  4. ^ 1967年(昭和42年)に旋律を改訂。
  5. ^ 1952年(昭和27年)に野球協約で地域保護権の明文化を実施した際に、球団の保護地域が甲子園の所在する兵庫県に設定されたため「大阪タイガース」の名称が実情にそぐわなくなったことも背景にある。なお2005年(平成17年)から2007年(平成19年)の3年間は、オリックスと近鉄の合併による暫定措置として大阪府が保護地域に含まれていた。
  6. ^ ただし戦前から大阪近郊を拠点とする阪急や南海との区別もあり「大阪」でなく「阪神」が通称とされることが多かった。また、二軍は一軍に先立って1954年(昭和29年)の新日本リーグ発足時に「阪神ジャガーズ」へ改称し、1957年(昭和32年)より「阪神タイガース」を正式名称としている。
  7. ^ 秋の到来を「覇者が決まる季節」とする趣旨は1939年(昭和14年)制定のライオン軍制覇に進む若き獅子」など他の球団歌でも見られる。
  8. ^ 1940年(昭和15年)の時点で日本職業野球連盟に属していた9球団は全て球団歌を制定していたが、レコードが作成されたのは阪神の他に巨人の「野球の王者」と東京セネタース球団歌の3枚に留まり、一般流通に乗せられたのは「野球の王者」(二葉あき子「若人の丘」のB面曲扱い)のみであった。
  9. ^ 井上(2001), p320で中村は「一番のうたいだしから、私が勝手に命名しました」と証言している。
  10. ^ 日本テレビズームイン!!朝!』のプロ野球いれコミ情報コーナーでも、阪神情報を伝える際のBGMに、同音源のインストゥメンタルが使用された。
  11. ^ 1993年(平成5年)に「六甲おろし」の表題でシングルカット(COSA-316)。
  12. ^ ただし、倉敷マスカットスタジアムなど、オーロラビジョンのない地方球場主催の場合は、歌詞つきとなる。また、ビジター球場で流される場合は、多くの場合唐渡版・歌詞つきである
  13. ^ 2017年までの巨人主催東京ドームでの試合のラッキー7は応援団が演奏していた。それ以外はインストゥメンタル。一方オリックスの主催の試合では甲子園などでの阪神主催試合のジェット風船時のBGMが流れる。
  14. ^ 以来、2003年(平成15年)発売の『阪神タイガース選手別応援歌2003』まで、日本コロムビアから発売のCDアルバム『阪神タイガース選手別応援歌』シリーズにおいて、必ず収録された('97年版までは、初出の音源。'98年版以降は、甲子園バージョンというアレンジバージョンを収録)。
  15. ^ 若旦那(湘南乃風)の本名で、2018年からソロ活動で使用。
  16. ^ 本アニメではエレブーズの他にも、横浜ベイスターズ(当時)のパロディであるスターミーズや広島東洋カープのパロディであるコイキングスの存在が明言されている。
  17. ^ 『エレブーズの歌』の歌い出しは「スリバチやまの 風に乗り」であり、山風に関する歌い出しであることから六甲おろしのパロディだと考えられる。

出典

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  2. ^ “「六甲おろし」の作曲者 故古関裕而さんも特別表彰で野球殿堂入り 阪神球団「共に歩む」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年1月13日). https://www.daily.co.jp/tigers/2023/01/13/0015962258.shtml 2023年1月13日閲覧。 
  3. ^ a b c 上杉純也. “中日の“お前”騒動で話題の応援歌。各球団ヒット応援歌の意外なトリビア”. 日刊SPA! (扶桑社). https://nikkan-spa.jp/1588254 2022年2月27日閲覧。 
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  10. ^ あなたが選んだ古関メロディーベスト30
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  28. ^ “「六甲おろし」は「阪神タイガースの歌」じゃなかった!? 本人にとっても「思い出の曲」の古関メロディー”. デイリースポーツ. (2020年6月12日). https://www.daily.co.jp/society/life/2020/06/12/0013419269.shtml 2022年2月27日閲覧。 
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  31. ^ 伝説のオマリー「六甲おろし」が20年ぶり復刻発売!(『BASEBALL KING』2014年8月24日付記事)
  32. ^ 好調阪神、“究極の応援歌”が登場や~!、ZAKZAK、2003年6月13日。
  33. ^ 【阪神】「六甲おろし」も超変革! 著名人が映像でエール報知新聞 2016年3月22日
  34. ^ 『みんなで六甲おろし』にCharさん、水樹奈々さんが登場!〜新たに2バージョンが完成〜,阪神タイガース公式サイト 2016年6月27日
  35. ^ 『みんなで六甲おろし 2020』〜今年はバンドバージョン!〜阪神タイガース公式サイト 2020年7月3日
  36. ^ 『みんなで六甲おろし 2017』〜今年も豪華有名人が続々登場!〜,阪神タイガース公式サイト,2017年3月16日
  37. ^ 『みんなで六甲おろし2017』に〜NMB48山本彩さんが新登場!〜,阪神タイガース公式サイト,2017年5月26日






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