準急列車 日本国有鉄道

準急列車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 14:39 UTC 版)

日本国有鉄道

国鉄では戦前と戦後の一時期に準急列車が設定されていた。 戦前の列車は運賃のみで乗車できたのに対し、戦後のものは準急料金が徴収されるなど、その性質が異なる。

戦前の準急列車

1926年(大正15年)9月に東海道本線東京駅 - 名古屋駅、名古屋駅 - 神戸駅間に設定された列車が「準急」を名乗ったのが始まりである。この当時は比較的長距離を、運賃以外の料金が不要で急行列車よりやや劣る速度で走る、現在の快速列車に相当するサービス的列車であった[1]。したがって、「準急」は現在の快速列車の当時の呼称ともいえ、一部の地域では同様の列車が既に「快速列車」「快速度列車」とも呼ばれていたとされる。

その後は長 - 短距離で同種の列車が設定された。戦前の黄金期といえる1934年(昭和9年)12月の改正当時の特徴的な列車としては、次のようなものが挙げられる。

1935年(昭和10年)12月には、関西本線の湊町駅(現・JR難波駅) - 名古屋駅間を3時間1分で結ぶ列車も設定されている。なお急行「かすが」が2006年の廃止直前時点で名古屋駅 - 奈良駅間を約2時間10分で結んでいたが、天王寺駅方面から奈良駅までを走る快速の所要時間を加味すると、70年前の当時とほとんど変わりがない。

さらに鉄道省では、関東大震災昭和金融恐慌世界恐慌などの影響を受けて日本が深刻な不況に陥り、それを受けて利用客の減少に悩まされていたことから、イメージアップと呼び込みを兼ねてシーズンになると観光地へ向けて臨時の準急列車をいくつも走らせた[2]。その中には、当時正式には特急列車にしか付けられていなかった列車愛称を地方局独自でつけていたものもあった。代表的なものに下記がある。

しかしこれらの列車は、1937年(昭和12年)の日中戦争開戦後、戦時体制が強まるにつれて同年12月15日に廃止された。

戦後の準急列車

戦後1946年(昭和21年)11月、上野駅 - 金沢駅間と上野駅 - 秋田駅間に再び「準急」と名乗る列車が登場した。「急行」として運転するには設備・車両が不十分であるという理由から設定され、この時から「準急料金」というものが定められて「優等列車」となった。しかし当時は運転事情が安定せず、翌1947年(昭和22年)の1月から6月にかけて石炭・車両事情の悪化から一時消滅し、6月から再び中央本線日豊本線山陰本線予讃本線土讃本線などに設定されている[3]

その後は比較的近距離(300km未満)の区間に設定され、急行列車の補助としての役割を果たしていくが、昭和30年代には次のような急行を凌ぐ列車も設定されている。

  • かすが (関西本線)名古屋駅 - 湊町駅間運転。
    • 1949年(昭和24年)9月に関西本線には3往復の準急列車が設定されるが、その内1往復が1955年(昭和30年)7月に日本初気動車列車での運用となり、キハ17系気動車の初の2台機関搭載車キハ50形式2両とキハ17形式とキロハ18形式各1両の4両編成による準急列車となる。翌年7月にはキハ17系の2機関搭載車の量産形式のキハ51形式が入線し、キハ17形式とキロハ18形式の転入で、すべての準急列車が気動車に置き換わった。それにより余剰車となるキハ50形式は沼津機関区に転属して、御殿場線での使用となる。1956年(昭和31年)11月当時は、東海道本線の特急が名古屋駅 - 大阪駅間を2時間30分 - 35分、急行が3時間 - 3時間15分で走る中、2時間47分 - 3時間で走破していた。当時は近畿日本鉄道(近鉄)も大阪線と名古屋線の軌間相違から伊勢中川駅での乗り換えを要したため、名阪間の輸送においては最も優位に立っていた。1958年(昭和33年)11月に「かすが」と命名されている。1966年(昭和41年)3月、急行列車に昇格(近鉄と競合する国鉄・JR線の優等列車も参照)。
  • 日光 (東北本線、日光線)上野駅 - 日光駅間運転。
    • 1956年(昭和31年)10月に、戦前同様競争状態にあった東武鉄道との対抗馬として、客車列車と同水準の設備を持ったキハ55系気動車を使用し運転を開始する。当初、上野駅 - 日光駅間を2時間で結んだ。東武鉄道の優等列車の始発が浅草駅であるのに対し、国鉄は上野駅でアクセスのよさでは格段の差があり、運賃も安かったこともあって東武鉄道に大きな痛手を負わせる事に成功する。翌1957年(昭和32年)10月には東京駅始発となり、利便が図られた。1959年(昭和34年)9月に宇都宮 - 日光間が電化されたのに伴い、「日光」は特急列車並の設備を持った157系電車に置き換えられた。1966年(昭和41年)3月、急行列車に格上げとなる(国鉄・JR日光線の優等列車も参照)。
  • ひかり鹿児島本線、日豊本線、豊肥本線博多駅門司港駅 - 小倉駅 - 大分駅 - 熊本駅間運転。
    • 1958年(昭和33年)4月、博多駅 - 小倉駅 - 別府駅間に気動車(キハ55形)の臨時急行列車として設定。同年8月に運転区間を前述のように拡大した上、定期の準急列車となる。準急といっても気動車であるから、例えば小倉駅 - 大分駅間では「サン・ロク・トオ」と呼ばれた1961年(昭和36年)10月改正当時、急行列車「日向」・「高千穂」などが同区間を約2時間50分で運転していたのに対して、「ひかり」は2時間9分で走破し俊足を見せ付けた。1962年(昭和37年)10月に急行に格上げとなる。この2年後、「ひかり」の愛称名も東海道新幹線の速達列車に使われることになり、「ひまわり」・「くさせんり」へ改称されることになる。

急行の準急への格下げ

なお、急行列車の一部区間のみ「準急」として運行する事例が存在した。この場合の料金は、急行区間のみを利用する場合は急行料金を、準急区間のみを利用する場合は準急料金を、急行区間と準急区間を跨って利用する場合は全乗車区間の営業キロに対応する急行料金をそれぞれ徴収していた[4]

この初例としては、1949年に函館駅 - 釧路駅間で運行を開始した急行3・4列車であり、函館駅 - 札幌駅間は急行列車として運行し、札幌駅 - 釧路駅間は準急列車として運行していた。なお、この列車は1950年には全区間急行として運行されるようになり、1951年には列車愛称として「まりも」が付与された。

函館本線を運行した急行列車「あかしあ」は当初、函館駅 - 札幌駅間を運行する急行列車として設定されたが、運行区間を旭川駅まで延長した際に従来小樽駅 - 旭川駅間を運行していた準急列車「石狩」のダイヤを踏襲する関係から小樽駅を境に函館駅 - 小樽駅間を急行列車、小樽駅 - 旭川駅間を準急列車の扱いとした。このため、函館駅 - 旭川駅間など小樽駅を通過して乗車する際には「急行・準急券」が発行された[5]

また、こうした施策は支線直通急行列車に用いられることが多かった。たとえば、中央本線で運行していた急行「天竜」は、中央本線内(新宿 - 辰野間)は急行、飯田線内(辰野 - 天竜峡間)は準急となっていた[6]。また、急行「白馬」は、中央本線・篠ノ井線内(新宿 - 松本間)は急行、大糸線内(松本 - 信濃森上間)は準急となっていた[7]

車両

準急列車に運用される車両は旧型客車をはじめ、153系電車157系電車キハ55系気動車をはじめとする準急形車両で運行されるのが基本であった。新性能電車や気動車は後に急行列車にも進出するようになったことから急行形車両と呼ばれるようになり、キハ58系気動車など、製造時から急行形と呼ばれた車両も充当されることがあった。中にはキハ10系気動車キハ20系気動車80系電車などの一般形車両が使われることもあった。

準急列車の廃止とその後

1966年(昭和41年)3月に、準急行券の販売を営業キロ100kmまでに制限し、その額をその距離の急行料金と同額にした[8][注釈 2]。また、準急行券での急行の利用(100km以下の利用)、急行券での準急の利用を、それぞれ可能とした。これにより100kmを超えて走行する準急はすべて急行列車となった。

そして、「ヨン・サン・トオ改正」と称される1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正で、残った準急列車も全て急行列車に統合され、これをもって国鉄の準急列車は消滅した。準急という列車種別は消滅したものの、かつての国鉄の準急列車の多くは、JRの特急列車のネットワークに形を変え、あるものは新幹線の各駅停車列車(「こだま」・「なすの」など)に形を変えて現在に引き継がれている。

国鉄分割民営化以後も、準急は急行料金が必要な種別であるため、JRグループにおいては準急の種別は全く使用されていない。


注釈

  1. ^ 私鉄の場合、普通列車は基本的に各駅停車する列車として案内されていることがほとんどであるため、優等列車は料金徴収の有無を問わず速達列車として解釈されているが、国鉄・JR同様に優等列車は運賃のほかに料金を徴収する列車として解釈され、必ずしも全ての速達列車が優等列車とは言い切れない部分もあり、料金不要列車には速達列車であっても優等列車という表現を用いない事業者もある(優等列車#私鉄も参照)。
  2. ^ それ以前は準急料金は距離にかかわらず一定、一方急行料金は300kmを境に2種類の料金が設定されており、300kmまでの急行料金でも準急料金より高額であった[9]
  3. ^ 南海電気鉄道泉北高速鉄道では準急列車を表記上は「準急」、アナウンスでは「準急行」と使い分けている
  4. ^ 私鉄各社のホームページにある「停車駅案内」などで確認できる
  5. ^ 券としての正式名は「ストーブ列車券」。なお、2006年までは運賃のみで乗車することができた。
  6. ^ 特急列車はその性質上、速達性と快適性が追求されるため、基本的に専用の車両が使用される[11]
  7. ^ 特殊な例として名古屋鉄道では特急に使用される一部特別車編成が間合い運用として使用される。この場合特別車は締め切り。
  8. ^ 西武池袋線阪急京都本線では快速
  9. ^ 名古屋鉄道(一部路線を除く)など
  10. ^ 実際、向ヶ丘遊園駅到着直前の段階で、「この電車は準急○○行きです」とアナウンスされる。
  11. ^ 2019年10月のダイヤ改正以降、郊外側(長津田駅 - 中央林間駅間)でも各駅に停車するようになった。
  12. ^ 2014年のダイヤ改正以降、日中などでも運行されるようになった。
  13. ^ ただし中津駅は京都線にホームがないので通過。
  14. ^ 尼崎発甲子園行で途中通過駅が1駅(尼崎センタープール前駅)だけという列車も存在した。
  15. ^ 阪急千里線では堺筋線直通(天神橋筋六丁目駅 - 淡路)のみで運行されているが、日本万国博覧会(大阪万博)開催期間中は梅田・堺筋線方面 - 北千里駅間の直通も運行されていた。
  16. ^ 登場時から深夜に1本だけ浅草駅発が設定されていたが、それだけは一貫して浅草駅 - 北千住駅間を各駅停車している。
  17. ^ 他社であれば快速もしくは区間急行(京阪を除く)に相当する種別である

参照元

  1. ^ JTBパブリッシング 岡田誠一『キャンブックス 国鉄準急列車物語』p.7
  2. ^ JTBパブリッシング 岡田誠一『キャンブックス 国鉄準急列車物語』p.8
  3. ^ JTBパブリッシング 岡田誠一『キャンブックス 国鉄準急列車物語』p.9
  4. ^ JTBパブリッシング 寺本光照『キャンブックス さよなら急行列車』p.76
  5. ^ JTBパブリッシング 岡田誠一『キャンブックス 国鉄準急列車物語』p.142-143
  6. ^ JTBパブリッシング 岡田誠一『キャンブックス 国鉄準急列車物語』p.104
  7. ^ 日本交通公社『交通公社の時刻表』1964年10月号 中央本線・篠ノ井線及び大糸線のページを参照。
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