小千谷市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 09:36 UTC 版)
概要
新潟県のほぼ中央、越後平野の南端にあり、中越地方に属している。隣接する十日町市とともに、魚沼地域の中ではいち早く市制施行し(昭和の大合併時)、国や県の出先機関が置かれるなど、主に北魚沼地域の行政・経済の中心として発展してきた。現在、都市圏では長岡都市圏に属しており、長岡市のベッドタウンの機能も有している。
信濃川の河岸段丘上(特に旭橋を中心とした信濃川両岸)に中心市街地が発達してきたほか、北部の片貝地区においても小規模な市街地が形成されている。 1990年代に入ってからは店舗の郊外化が顕著となり、2000年代以降は信濃川左岸地域の郊外が商業地域として機能しつつある。
市名の「小千谷」は、千谷郷の中にある小千谷に由来する説や、沢の落ち合う所や低湿地という意味の「落ち」が転じて「おぢ」となった説がある。
毎年9月に片貝地区で行われる浅原神社例大祭(片貝まつり)の花火大会は、世界一の大きさを誇る四尺玉の花火が上がることで有名である。
地理
新潟県中部、越後平野と山間地域の接点に位置する。
南から信濃川が市内に入り、山本山にぶつかり蛇行し、一度南東の長岡市川口地区(旧川口町へ抜け魚野川と合流した後、再び市内に入り中心部を南北へ縦断する。西は頚城丘陵へ続く西山丘陵、南は魚沼丘陵へ、東は東山丘陵、北は越後平野へ続く平地が広がっている。市内は河岸段丘上にあるため、坂が多く、市街地のほぼ中央には船岡山がそびえる。また、小千谷近辺は山本山を中心に地面の隆起や褶曲が激しく、河岸段丘など特徴的な地形が多くみられる。市内の最高峰は、長岡市との境にある金倉山で581m。
三国街道(現国道17号)や善光寺街道(現国道117号)、高田街道などが通り、宿場町として栄えた。平野部と山間部の接点の役割を持ち、戦国時代には上杉謙信の関東出兵時の経由地、江戸時代には魚沼郡内で作られた小千谷縮は小千谷に集積され柏崎経由で京、大坂、江戸に輸送した記録があるなど、交通・水運の要所として栄えた。
隣接している自治体
気象
日本有数の豪雪地帯であり、特別豪雪地帯に指定され、記録的な豪雪を何度も経験している。市は克雪都市宣言をしている。消雪パイプも設置されているが、設置されていない道路もあり、雪の日は除雪車が活躍している。
歴史
行政区域の変遷
- 1889年4月1日 - 市制・町村制がしかれ、小千谷町が単独町制施行して北魚沼郡小千谷町となる。同時に以下の村が成立。
- 北魚沼郡
- 城川村 ← 千谷川村、土川村、平沢新田、西千谷川村、時水村、藪川村、時水新田、藪川新田
- 桜町村 ← 桜町村
- 吉谷村 ← 東吉谷村、西吉谷村、四ッ子村
- 山辺村 ← 山本村、谷内村、西中村、片貝村、池ヶ原村、池中新田、塩殿村
- 千田村 ← 千谷村、小粟田村
- 川井村 ← 川井村、川井新田
- 三仏生村 ← 三仏生村
- 鴻野谷村 ← 鴻巣村、坪野村、山谷村
- 薭生村 ← 薭生村
- 上川村 ← 相川村、武道窪村、荒谷村、牛ヶ島村、牛ヶ島新田
- 三島郡
- 片貝村 ← 片貝村、山屋村
- 高梨村 ← 高梨村
- 古志郡
- 東山村 ← 南荷頃村、小栗山村、木沢村、塩谷村
- 山谷沢村 ← 蛇山村、滝谷村、渡沢村、猪沢村、犬茂沢村、黒田新田
- 六日市村 ← 横渡村、浦柄村、六日市村、三俵野村、中潟村、妙見村、白岩村
- 中魚沼郡
- 岩沢村 ← 岩沢村、豊久新田
- 真人村 ← 真人村
- 北魚沼郡
- 1901年11月1日
- 1929年3月1日 - 薭生村大字薭生が小千谷町に編入。
- 1942年4月1日 - 山辺村が小千谷町に編入。
- 1943年4月1日 - 吉谷村が小千谷町に編入。
- 1954年3月10日 - 小千谷町が城川村、千田村を編入合併し、市制施行[1]。
- 1954年5月1日 - 北魚沼郡川井村を編入。
- 1954年11月1日 - 古志郡東山村(木沢、峠を除く)、六日市村の横渡、浦柄を編入。
- 1955年1月1日 - 中魚沼郡岩沢村、真人村を編入。
- 1955年3月31日 - 鴻巣町を三島郡片貝町(当時)へ分割。
- 1956年3月31日 - 三島郡片貝町を編入。
通史
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- 旧石器時代〜弥生時代
- 古代
- 続日本紀には西暦702年頃に魚沼郡の存在を記している。
- 市内一部は南魚沼市の一部、魚沼市、旧川口町を含む藪神荘という荘園であった。
- 935年に「千谷郷」の名が出てき、1073年には「小千屋」(『越後村名尽』)、1089年には「於知谷」(『越後国之図』)の名が見られる。
- 中世
- 戦国時代 - 上杉氏の所領となり、市内各城に上杉氏(長尾氏)家臣が居城していた。薭生城に平子氏、時水城に曽根氏、内ヶ巻城に田中氏、高梨城に長尾氏・高梨氏,片貝城に片貝氏などが居城していた。
- 1551年 - 薭生城の平子氏が上杉氏の命で時水城の曽根氏を攻め滅ぼした。
- 1553年 - 上杉謙信が朝廷にこの辺りで生産されている越後布を献上した。
- 1560年 - 魚沼地区が大洪水にあう。
- 1578年 - 御館の乱が起こり、平子氏は景虎方につき、薭生城は景勝方に攻め滅ぼされる。
- このころ青苧などは、南魚沼地区や中魚沼地区から魚野川や信濃川で小千谷に下り、陸路で柏崎の港に運ばれていたとみられる。
- 近世
- 1598年 - 上杉景勝が会津へ移封し堀秀治が越後領主になる。
- 1600年 - 関ヶ原の戦いに伴う上杉遺民一揆が起こる。小千谷では、五智院の僧が薭生城に立てこもる。
- 1610年 - 越後福嶋騒動発生。堀氏改易され、松平忠輝が高田藩主として入府。
- 1611年 - 三国街道開通。
- 1616年 - 松平忠輝が改易される。
- 1620年 - 信濃川が氾濫し大洪水になる。
- 1638年 - 街が元町から現在の段丘上(本町)に移転する。
- 1643年 - 魚沼郡が8組に分けられ、小千谷組ができる。
- 1668年 - 魚沼郡が飢饉に襲われる。
- 17世紀 - 堀次郎将俊が越後麻布から小千谷縮に改良し、小千谷縮の生産が始まる。
- 1680年 - 信濃川が氾濫し大洪水になる。(白ひげ水)
- 1681年 - 越後騒動で高田藩主松平光長が改易され、当市域の多くは幕府直轄領(天領)になり、出雲崎代官所支配下になる。
- 17世紀後期 - 江戸へ小千谷縮が売り出され、元禄には京、大阪にも売り出される。
- 1724年 - 魚沼郡の多くが会津藩の預地となり、小千谷も会津藩の支配下にはいる。
- 1730年 - 小千谷で蚕もみ制度がつくられる。
- 1731年 - 信濃川が氾濫し大洪水
- 1755年 - 小千谷に代官所を設置
- 1753年 - 信濃川が氾濫し大洪水。約1000名が死者が出たといわれる。
- 1781年 - 信濃川が氾濫し大洪水
- 1832年 - 天候不順と水害により大飢饉。(~1839年)
- 1847年 - 信濃国で地震があり、信濃川が大洪水
- 1861年 - 小千谷の米屋に対し打ち壊し
- 1868年 - 戊辰戦争(北越戦争)では、小千谷も戦場となった。
- 1868年6月16日 (慶応4年4月26日)、芋坂・雪峠の戦い
- 1868年7月2日(慶応4年5月13日)、朝日山の戦い
- 明治時代
- 1868年 - 「日本で最初の公立小学校」である「小千谷校」が開校する。ちなみに京都の番組小学校が設立されたのは1869年で小千谷校開校の翌年であるので、番組小学校が日本最初の小学校とする学説は間違いである。1967年10月には当時の文部省教科書調査官・目崎徳衛が「小千谷小学校が公立学校として日本一古い歴史を持つ学校であることは、諸調査より厳然たる事実である」と述べている[2]。
- 1868年(明治元年) - 小千谷民政局設置
- 1870年(明治3年) - 小千谷県をつくろうとする動きがあったというが実現しなかった。
- 1872年(明治5年) - 東小千谷に郵便取扱所ができる。
- 1873年(明治6年) - 長岡警察署小千谷分署ができる。
- 1887年(明治20年) - 旭橋開通。
- 1887年(明治20年) - 越後札紙の生産がはじまった。
- 1889年(明治22年) - 小千谷収税署ができる。
- 1891年(明治24年) - 小千谷病院ができる。
- 1902年(明治35年) - 時水で油田が発見された。石油は品質がよいものだった。しかし、1906年頃には石油が湧かなくなる。
- 1904年(明治37年) - 塩殿発電所が完成し、小千谷に電灯が灯る。
- 1908年(明治41年) - 魚沼橋開通。
- 1911年(明治44年)9月14日 - 魚沼鉄道(後の国鉄魚沼線新来迎寺(後の来迎寺駅)~小千谷(後の西小千谷駅)間開通。
- 大正時代
- 1920年(大正9年)4月-桑樹雪害試験場(国の委託事業「降雪と桑樹病傷害の関係試験」を実施するため)を開設。
- 1920年(大正9年)11月1日 - 国鉄上越北線(現上越線)宮内~東小千谷開通。
- 1921年(大正10年)8月5日 - 上越北線東小千谷~越後川口開通。
- 1921年(大正10年) - 桑樹雪害試験場を新潟県桑樹試験場と改称。
- 1922年(大正11年)6月15日 - 国鉄が魚沼鉄道を買収・国有化し魚沼軽便線と改称。
- 1922年(大正11年)9月2日 - 軽便鉄道法廃止により国鉄魚沼軽便線を魚沼線に線名改称。
- 1922年(大正11年) - 信濃川発電所の工事開始。(間もなく延期となる。)
- 昭和時代 (市制施行前)
- 1927年(昭和2年) - 飯山線が越後川口駅~十日町駅間開通。
- 1931年(昭和6年)9月1日 - 上越線全通。
- 1932年(昭和7年)7月15日 - 魚沼線小千谷駅を西小千谷駅名改称。(東小千谷駅が改称されるまでの約2週間「小千谷」駅は存在しなかった。)
- 1932年(昭和7年)8月1日 - 上越線東小千谷駅を小千谷駅に改称。
- 1931年(昭和6年)1月9日 - 小粟田原に中越飛行場がつくられる[3]。
- 1934年(昭和9年) - 明治神宮スキー大会が山本山で行われる。
- 1937年(昭和12年) - 魚沼病院ができる。
- 1942年(昭和17年) - 北魚沼郡地方事務所が小千谷に置かれる。
- 1947年(昭和22年) - 小千谷簡易裁判所が置かれた。
- 1948年(昭和23年) - 信濃川発電所の本格工事が開始される。
- 1949年(昭和24年)2月 -新潟県桑樹試験場を国に移管し、蚕糸試験場附属小千谷桑園とした。
- 1950年(昭和25年) - 新潟県立小千谷高等学校開校。
- 1950年(昭和25年) - 国立小千谷療養所ができる。
- 1951年(昭和26年) - 信濃川発電所が発電開始。
- 昭和時代 (市制施行後)
- 1954年(昭和29年)8月1日 - 国鉄魚沼線(西小千谷駅~来迎寺駅)開通。
- 1955年(昭和30年) - 小千谷縮が国の重要無形文化財に指定される。
- 1955年(昭和30年) - 三仏生遺跡で縄文土器が発掘される。
- 1956年(昭和31年) - 大平遺跡で縄文時代の住居が発掘される。
- 1969年(昭和44年) - 小千谷市役所の新庁舎完成。
- 1970年(昭和45年)1月22日 -飯山線の越後岩沢駅 - 内ケ巻駅間にあった高場山トンネルが地すべりにより崩落。その後ルートを山の奧側に変更し、同年11月29日に新しいトンネル(新高場山トンネル)が開通した。
- 1971年(昭和46年) - 大平遺跡で縄文時代の炉が発掘される。
- 1973年(昭和48年) - 小千谷市川口町衛生組合時水清掃工場ができる。
- 1973年(昭和48年) - 小千谷市民会館が開館。
- 1978年(昭和53年) - 牛の角突きが国の重要無形民俗文化財に指定される。
- 1978年(昭和53年) - 小千谷市立図書館が開館。
- 1985年(昭和60年)9月10日 - 片貝まつりで正四尺玉の打ち上げ成功。
- 1982年(昭和57年)3月30日 - 関越自動車道越後川口~長岡間開通。
- 1984年(昭和59年)3月31日 - 国鉄魚沼線廃止。
- 平成時代
- 1990年(平成2年) - 小千谷地域広域事務組合時水清掃工場完成。小千谷山本山高原スキー場が開設。
- 1996年(平成8年) - 小千谷市総合体育館完成
- 1996年(平成8年) - 地域間交流センターちぢみの里完成。
- 1998年(平成10年)11月24日 - 小千谷バイパスが全通
- 2001年(平成13年)11月30日 - 一般国道117号西小千谷バイパス全通。
- 2002年(平成14年) - 片貝バイパス完成
- 2004年(平成16年)7月 - 平成16年7月新潟・福島豪雨で市内に甚大な被害。
- 2004年(平成16年)10月23日 - 新潟県中越地震(最大震度7、マグニチュード6.8)が発生し、小千谷市では震度6強の揺れを観測。
- 2006年(平成18年) - 新潟県中越地震で営業を休止していた小千谷山本山高原スキー場が廃業。市内のリフトのあるスキー場が無くなる。
- 2007年(平成19年)4月1日 - おぢやクラインガルテンふれあいの里開園。
- 2009年(平成21年)8月1日 - 小千谷市民学習センター「楽集館」開館。
- 2009年(平成21年)9月30日 - 小千谷縮が越後上布と共に無形文化遺産(世界無形遺産)の代表一覧表に記載。
- 2011年(平成23年)10月23日 - そなえ館が小千谷市民学習センター「楽集館」内に開館。
- 2014年(平成26年)10月23日 - 中越大震災からの復興の象徴として長岡市と同時に錦鯉を市の魚に制定。
- ^ 湯浅聖一(2014年3月17日). “小千谷市:市制60周年記念式典 市民ら350人”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ “小千谷小学校公式ホームページ|小千谷小学校の歴史”. 2011年11月27日閲覧。
- ^ 「逓信省告示第46号」『官報』1936年1月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “小千谷市議会議員定数条例”. 小千谷市. 2019年5月8日閲覧。
- ^ 十日町市とともに商標登録している。
- ^ “令和2年4月1日よりクローバーバスの時刻が改定になります”. NPO法人中越防災フロンティア (2020年3月27日). 2020年9月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “小千谷市観光ガイドブック 2019年5月改訂”. 小千谷観光協会. 2021年5月3日閲覧。
固有名詞の分類
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