竹の丸(旧松本家住宅)主屋
名称: | 竹の丸(旧松本家住宅)主屋 |
ふりがな: | たけのまる(きゅうまつもとけじゅうたく)しゅおく |
登録番号: | 22 - 0095 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造平屋建、瓦葺、建築面積413㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治36 |
代表都道府県: | 静岡県 |
所在地: | 静岡県掛川市掛川1200-1 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | 静岡県近代和風建築総合調査 |
施工者: | |
解説文: | 掛川城北郭に位置し,敷地中央に南面して建つ。桁行9間半梁行7間規模,南北棟,寄棟造,もと檜皮葺の平屋建で,東方を土間,西方を床上部とし,東南に作業場を接続する。玄関と書院を失っているが近代の豪商居宅の様相を今に伝える。棟梁は「髙橋平四郎」。 |
竹の丸(旧松本家住宅)離れ
名称: | 竹の丸(旧松本家住宅)離れ |
ふりがな: | たけのまる(きゅうまつもとけじゅうたく)はなれ |
登録番号: | 22 - 0096 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造2階建、スレート葺、建築面積130㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治36/昭和初期増築 |
代表都道府県: | 静岡県 |
所在地: | 静岡県掛川市掛川1200-1 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | 静岡県近代和風建築総合調査 |
施工者: | |
解説文: | 主屋北西に連なり,昭和初期に2階を増築。1階は上段の間をもつ10畳座敷が主室で,2階には和洋折衷意匠の洋室を配する。洋室は南面に鉄製ヴェランダを張り出し,欄間にステインドグラスを入れ,内壁には葛布を張るなど凝った造作に特色がある。 |
建築物: | 立川吉村家住宅勝手蔵 立川吉村家住宅米蔵 竹の丸 竹の丸 竹中家住宅主屋 竹内家住宅主屋 竹屋旅館南土蔵 |
竹の丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/21 03:31 UTC 版)
竹の丸(たけのまる)は、静岡県掛川市にある近代和風建築。江戸時代から続いた葛布問屋「松屋」を営んでいた松本義一郎が、明治36年(1903年)に本宅として建築した。昭和11年(1936年)に当時の掛川町(現:掛川市)に寄贈され、後に掛川市指定有形文化財となった。
歴史
江戸時代、現在の旧松本邸がある場所は掛川城内であり、城の北方を守る曲輪として「竹の丸」と呼ばれた。北側に城中防御の大藪があったことが名前の由来である。
江戸時代、松本家は葛布問屋“松屋”を営み、掛川藩の御用達として赤字財政を支えていた。掛川廃藩後これらの整理で旧城内の土地を得ており、その中に竹の丸跡も含まれていたと考えられる。
旧本宅が明治33年(1900年)に火事で焼失したため、明治36年(1903年)6月20日に竹の丸跡へ本宅を移した。
外部リンク
座標: 北緯34度46分36.2秒 東経138度0分52.5秒 / 北緯34.776722度 東経138.014583度
竹の丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 01:14 UTC 版)
竹の丸は飯田丸と東竹の丸の南面、更に坪井川に面し直角三角形の様な形状をした郭。古くには嶽の丸とも書かれている。大正以降の坪井川掘削工事で現在は川面が下がっているが、藩政時代は長塀沿いの石垣を川面が洗っており元は白川(坪井川)の河川敷で有ったと思われる 北帯曲輪は本丸北面の郭。当初は郭でなく不開櫓門から平左衛門丸への通路であった。小天守が宇土城より移築され、平左衛門丸への通路がほぼ遮断されたため郭となった。更に、小天守と本丸埋門の間にも石垣が出来(下部に石門と呼ばれる1m四方程の通路はある)たため他の郭と繋がりが無い盲腸のような郭になった
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「竹の丸」の例文・使い方・用例・文例
- 竹の丸という紋所
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